見た目より中身を重視しましょう!③
すぐに治療室は見つかった。部屋に飛び込むと闘技場つきの医師が、眉をひそめてオレを見る。
「何の騒ぎですか、あなた?」
「ヒューは……ヒュー・ルーウイックの容態は?」
「と、とにかく落ち着きなさい。話はそれからです」
確かにメイド服を着た女が息せき切って、飛び込んで来たら、普通は驚くよな。
「あ、驚かせてすみません。オレは……」
オレが医師に説明しようとした時、奥からオレを呼ぶ声がした。
「ヒュー?」
止めようとする医師を振り切って、奥に進むとベッドで横たわるヒューの姿があった。
「大丈夫なのか、ヒュー?」
「ええ……」
そう答えるヒューの息は荒い。防具を外し、横になったヒューの顔色はいつもに増して白く、生気が感じられないほどだ。腹に巻かれた布に血が滲んでいるのが見える。
「話をするなら、手短かにしてください」
後ろから医師が注意する。
「イクスに負けるなんて思わなかったぞ。どうしたんだ、怪我のせいか?」
オレの率直な問いに、苦しい息の下のヒューが苦笑する。
「彼を侮ってはいけません。見た目に惑わされると痛い目に会いますよ」
「ヒューみたいにか?」
「いいえ、私は全力で戦いました。ただ、万全でなかったとはいえ、勝てなかったことは事実です」
オレの笑えない冗談に真剣に答える。
「でも最初は優勢だったって聞いたよ」
「それは、彼が攻撃してこなかったからです。しかも私の攻撃は、ことごとくかわされました」
「白銀の騎士の技量でも?」
「ええ、そうです」
ほつれた前髪が額にかかるのを直そうともせず、悔しそうに唇を噛む。
「最後は、いったい何が起こったんだ?あんたがそう簡単に相手の剣を受けるとは思えないんだけど」
「気付いた人間は少ないと思いますが、盾を飛ばされた彼は、その空いた左手で隠し持った投げナイフを尋常でない素早さで、私めがけて投げつけてきたのです」
「ホントか!」
「ええ、恐らく始めから当てる気はなかったのでしょう。けれども、反射的に身をかわす動作をしたため、体勢が崩れてしまったのが致命的でした。そこへ例の腹部への強打がきたのです。通常の打撃なら、防具もあり耐え切れると思ったのですが……あれは、そんな生易しいものではありませんでした」
ヒューの傍らにあった防具の腹当てがひしゃげているのが見えた。
「私は確信しました」
「えっ?」
「あの夜、私を襲った相手はイクスに間違いないと……」
ヒューの断言にオレは呆気にとられた。
あのイクスが……?
その瞬間、最初に出会った時に感じた違和感の正体にオレは気付き、愕然とした。
そう、あの時、奴は口では怖がる素振りを見せながら、その実、少しも緊張している風ではなかった。むしろ落ち着き払っているようにさえ見えた。
その台詞と行動の不一致さがオレに違和感を感じさせていたんだ。
イクスの奴! とんだ食わせものだ。
「もう、それぐらいにしてください」
医師が痺れを切らして、横合いから口を挟む。
「あ、すみません。終わりにします」
医師に頭を下げるとヒューに向き直り、言葉をかける。
「じゃ、オレは試合があるから行くけど、ゆっくり休んで傷を治せよ」
ヒューは頭をベッドにつけると目を瞑った。オレが静かに出て行こうとすると、目を閉じたまま、ヒューが言う。
「シリルに勝ったら、次はイクス戦です。心して戦ってください。油断は禁物です」
「わかった、気をつけるよ」
オレは医師に目礼して治療室から出た。
シリル・ラトセルは強い。
第二試合が始まろうとする闘技場で彼女に相対して、それを実感した。均整のとれた体格にしなやかな雌豹を思わせる筋肉は、その身体能力の高さを窺わせる。キルト地にチェインメイルを着込んだシリルの動きは、思ったよりずっと速い。
幅広の両手剣を構えたシリルはオレを睨みつけて叫んだ。
「よく逃げなかったじゃないか、褒めてやるよ」
馬鹿にした口調だが、目は真剣だ。さすがに女剣闘士部門第二位のことはある。
オレは背にある剣に右手をまわして柄を握ると、反対の手で剣帯に吊るされた鞘の留め具を外した。
するりと、剣から鞘が真っ直ぐ抜け、ゆっくり地面に落ちる。素早く柄を持つ手を両手に持ち替えると、鞘が抜け落ちるのを利用し、テリオネシスの剣を抜く。
オレの身長で、背中にある鞘に納められた長い剣などとても抜けないからだ。
シリルは剣を正眼に構え、対してオレは腕を斜め左に下ろし下段に構える。
「始め!」
審判が言い終わるやいなや、シリルが突進してくる。オレから見て上段左斜め前から剣を振り下ろす。気迫のこもった一撃がオレの肩口を狙う。身体を右にさばきながら、下から切り上げた剣で受け流す。刃先が触れ合い、耳障りな金属音が周囲に響く。
続けざまにシリルは剣を返し、小さな半円を描いて水平に切りかかる。オレは後方に下がって、それをかわした。
両者とも、一瞬で間合いをとり、剣を構えなおす。
「嬢ちゃん、顔に似合わず、いい動きじゃないか」
シリルが感心したように笑う。
「まあね、あんたも二位になるだけのことはあるよ」
オレとしては褒め言葉のつもりだったけど、シリルは顔を赤くして憤怒の表情を見せた。
「あの女に負けたことを言うな!」
し、しまった。怒らせた。
「手を滑らせて剣が飛ばされなければ、あたしが確実に勝っていた。いや、戦場ならそれ以前に絶対殺してた」
そういや、一位のメイリルさんは、細面の美人さんだったっけ。
虎の尻尾というより猪の尻尾を踏んだみたい。
シリルは剣を垂直に立て自分の肩の前に構え、膝を軽く折ると摺り足で前に進む。最短、最速で剣を動かすつもりだとわかった。
胸当て以外の防具を着けていないオレにとって、どこか掠っただけでも負傷は否めない。相手の戦闘力を見極めて攻撃方法を変えるのは常道だが、激怒しながらも意外に冷静な判断だ。
シリルはまさに本気モードと言っていい。よほど無差別級に勝って、名誉を挽回したいみたいだ。
前にも言ったけど、無差別級部門は基本部門より一段高く評価されている。その理由は、出場制限が厳しいこともあるが、一番の理由は死人や怪我人が多く出ることにある。
何故なら、基本部門で使用する武具・防具は大会から貸与され、刃を潰してあったり殺傷力が抑えられているのだ。
もちろん、剣の打撃により骨折、あるいは運悪く命を落とすことも無くはないが、無差別級に比べれば、はるかに少ない。
と言うより、故意に相手を殺したと認定された場合、道義上の問題で無効試合になることさえある。
それに対して、無差別級では自前の武具や防具の持ち込みは全て許される。文字通り無差別級は何でもありなのだ。
ずいぶん前の大会で、魔法を使うという触れ込みの戦士がいたが、それさえも出場資格に抵触しなかった、もっとも結果は1回戦負けだったけど……。
唯一の制限らしい規則は武器に毒薬等を塗ってはいけないことぐらいだ。これもかつては制限になっていなかったが、賭けの不正行為を助長するという理由で違反となった経緯がある。
だから、命の危険や怪我を防ぐため、防具は往々にして重厚な代物になる。
ただ、それだと経済的に豊かな者が有利になるのではないかと言った意見も聞かれたが、その戦力を整えてくるのも本人の実力の内と解釈されている。
そうは言ってもやはり、軽装な防具を着て戦う者は、大いに歓迎され、その勇気を褒め称えられることになる。
オレへの今大会での評価が、賭け率は低いのに人気が高いのも、このひらひらした恥ずかしい格好にも一因があるようだ。
これもクレイの策略なんだろうか?
シリルが間合いを計りながら、歩を進める。間合いに入るいなや、即座にシリルは剣を繰り出してくる。
大人と子ども程の身長差があるオレ達では、間合いに関しても明らかにシリルの方が有利だ。
右、左、上、右下と連続で来る攻撃を剣で受け流し、足さばきと身のこなしで、突きをかわす。
お互いの位置がくるくると入れ替わる。
最小限の軌跡で繰り出される剣撃は並みの剣士では到底、防げなかっただろうが、今のオレは相手の動きの先が見えていた。以前のオレなら、もて余したであろうシリルの攻撃も、防ぎきる自信があった。
何度攻撃しても、的確に返され続けると、最初は余裕の表情だったシリルも、徐々に焦りの表情に変わっていくのが見てとれた。
次の瞬間、合わせた刃を滑らせながら間合いを詰めると、いきなり足でオレの腹を蹴ってきた。
オレは崩した体勢を立て直すために、その反動を利用して後方へ一回転しながら飛び退いた。
あ! もしかして見えちゃったかも……スカートだって忘れてた。
振り返ると一部の観客が異様に盛り上がっているのがわかる。
見せても大丈夫な下着だったけど、思わず赤くなった。
連続した攻防が中断し、間合いを大きく取ると、お互い息を整える。激しい攻撃のため、肩で息をするシリルは、汗がきらきら光り、上気した表情に何とも言えない色香があった。
切る、突く、受け流す、かわす……一連の動きは、一流の踊り手が持つ流麗さに似ていた。
顔の美醜など関係ない躍動する戦士の美しさが、そこにあった。
「シリル、あんたの闘ってる姿って、とっても綺麗だよ!」
激怒されることを承知でも、オレは言わずにはいられなかった。
シリルはその言葉に、一瞬目を丸くするが、にやりと笑って答える。
「ありがとよ。そうさ、世の男どもは見る目がないんでね。そういうあんたも、顔だけが取り柄のバカ女かと思ったら、やるもんだね」
闘いの最中では、見た目なんて問題じゃない。あるのは強いか弱いかだけだ。もしかしたら、シリルって本当はすごく良い人なのかもしれない。
そんな風に考え込んでいると、すかさずシリルが攻撃に移る。
隙があったら、見逃さない……好きだよ、その性格。
何度も剣を交えながら、オレはどんどん楽しくなってきた。命のやり取りをしてるっていうのに、不謹慎にも程があるけど、偽りのない感情だ。強い相手と戦うことの快感に酔いしれていた。
自分の身体が思い通りに動き、否、自分の思う以上に動いてくれるこの身体に驚嘆した。
けど、そうこうしてる内に、不意に違和感を覚え始める。
シリルの攻撃や防御がオレのそれより少しずつ遅れ始めているように思えたからだ。
何故だろうと考え、ハッとした。
シリルの動きが限界に近づいているのに対し、オレの動きはますます速くなっているのだ。
その上、先ほどから刃を合わせるたびに、歪な金属音が聞こえていた。
もしかして、シリルの剣……。
そう思った矢先だった。オレの上段からの攻撃を受けたシリルの剣が根元からポキリと折れた。
あっけにとられて、オレは攻撃を止めた。
シリルも折れた剣と攻撃を中止したオレとを交互に見つめた後、軽くため息をついた。『またか』という色が目の表情に表れていた。
オレは黙って両手から右手に剣を持ち替え、膝を折りながら、そっと地面に置く。そして、顔を上げるとシリルに向かって目で笑いかけた。
最初は訝しげにオレを見つめていたシリルは、オレの意図に気付き、ニッと笑った。
「お前、馬鹿だろ?」
「うん、相棒にもよく言われる」
「そうだろ、でも嫌いじゃないぜ、そういう馬鹿……」
と言いながら、腕を振り上げて突進してくる。
「何で剣を手離したんだ!」
「殺されるぞ!」
「勝負を投げたか?」
観客席から一斉に悲鳴と野次がとぶ。
オレは意に介さず、両手を挙げてシリルの猛攻を受けて立つ。がっしりと互いの手を合わせると、力勝負になる。
体格の違いから覆いかぶさられるような格好になり、あっという間に決着がつきそうに見える。
シリルの日に焼けた丸太のような腕に、白くてほっそりとしたオレの腕が対抗できるわけがないと、観客席の誰もが思った。シリルもそのつもりで組み伏せようとしたが、オレが敢えて剣を置いた意味をすぐに悟った。
上から力任せに押さえ込もうとしても、びくともしない。今までも幾多の女性闘士と戦ってきたが、力で負けたことは一度もなかったシリルだ。
女剣闘士大会優勝者のメイリル・テイラーも格闘技ならともかく、力勝負だけならシリルに勝てないだろうと言われていた。
そのシリルが顔を真っ赤にして満身の力を込めても、押さえ込めないどころか、逆に少しずつ押し返され始め、やがて抗しきれず膝をつく。
驚愕して見開いた目がオレの目をじっと見つめる。やがて、不意に力を抜いた。オレが手を離すと、シリルは地面に手をついて座り込んだ。
「完敗だ!」
オレを見上げて、シリルはそれだけ言った。




