見た目より中身を重視しましょう!②
「ノリスは傭兵上がりの元剣闘士でね、私にとって数少ない親しい友人だった」
来客用の椅子をオレに勧めると、ラドベルクは回想するように目を瞑った。
「彼とは年齢は離れていたが、互いの境遇が似ていたせいか、すぐに親しくなった。現役時代は、ほとんど毎日衣食を共にし、兄弟同然に過ごしたと言っていい。あれほど他人と親しくなったのは、後にも先にも彼一人だったと思う。何故だろうか、妙に馬が合ったというか、一緒にいて全く苦にならなかった」
ふと何か思い出したように笑ってから、表情が曇る。
「弟のいない私にとって、本当の弟ができたように感じていた。だが、試合中の怪我が元で彼が剣闘士を辞めてからは、だんだん疎遠になってしまった。私が、影で彼の生活を援助しようとしたのが、気に入らなかったようだ」
ラドベルクは沈痛な面持ちで続けた。
「そんな彼が、先日ルマに着いたばかりの私の元に現れ、『どんな仕事でもいいから、斡旋してもらえないか』と言ってきた。……丁度、私もイエナの件で信用がおけて、危険を承知で引き受けてくれる人間を探していたところだった。まさに彼はその条件を満たしていて、渡りに船だと思った」
「悪いけど、身をやつした人間を頭から信用するのは、どうかと思うよ」
「私もそう思う。本来の彼なら、決して私に膝を折って、仕事を求めるような性格ではなかった。だから腑に落ちなかったし、疎遠な時間も長すぎた」
「じゃ、どうして?」
「ノリスは私の目を真っ直ぐ見ていた。語りはしなかったが、深い仔細が恐らくあったのだろう。しかし彼は視線を逸らさず、背筋を伸ばし、精一杯の虚勢で私を見つめていた。その目は決して死んではいないと確信できた。だから、私は娘の命を彼に託した」
「どういう意味?」
「詳しくは言えないが……君を信じていないのではなく、君の身を案じてのことだと思って欲しい。ノリスにも、命の危険があることを説明したが、彼はそれならますますやらせて欲しいと言った。とにかく、もし私が計画通りを完遂しても、イエナが解放されなかった場合、君が今持っている紙包みをノリスがアーキス将軍のところへ届ける手筈になっていた」
それが何を意味するか、今ひとつ飲み込めなかったがラドベルクにとってそれが切り札なんだとわかった。
「その存在を匂わすことで牽制しているつもりだったが、ノリスの命を奪う結果となってしまうとは……。彼との関係を知る者はほとんどいなくなっていたので、気付かれないと考えた私が浅はかだったのだ」
再び、表情を曇らすラドベルクにオレは言った。
「ノリスは気の毒だったと思う。でも悪いのは、あんたじゃなくてダノンだろ」
ラドベルクの握った大きな拳に手を添えて、力づけるように見上げる。オレを見下ろす目は、泣いてはいなかったが、ひどく悲しい色を湛えていた。
力になってあげたかった。
オレに何かできることってないんだろうか………………あった!
「この紙包み、今度はオレが預かるよ」
「それはいけない!」
ラドベルクが狼狽して椅子から立ち上がった。
「君にノリスと同じような危険な目に合わせるわけにはいけない」
「大丈夫さ。オレが強いのは知ってるだろ?」
「知っている……それでも駄目だ」
立ちすくんだラドベルクが上から、険しい表情で見下ろす。オレはそれに真っ向から立ち向かうように座ったまま睨み上げた。
しばらく、そうしてお互い無言で睨み合いを続けた後、急にラドベルクが緊張を解き、大きく息をはいた。
「君が一度言い出したら、引かない性格だと良くわかった」
「え、そりゃどうも」
「それでは、さぞかし君の友人は苦労していることだろう」
「そんなことは……」
あるかな? いやいや、オレの方が絶対苦労させられてるって……。クレイの顔を思い浮かべながら、自問自答した。
「とにかく、紙包みは君に預けることにしよう。くれぐれも失くさぬように気を付けてくれ。そして、ノリスに頼んだ同じ用件を君にもお願いしたい。大会終了直後に闘技場の第一ゲートでイエナが開放されないようなら、アーキス将軍のもとへ赴き、その紙包みを渡して欲しい。それだけで十分だ」
「わかった、任せてくれ」
オレは自信を持って頷いた。ラドベルクが不本意そうな表情で頷き返すのを見届けると、
「じゃ、オレはこの後、試合だからもう行くね」
だから、詳しい話はまた後で……と笑って彼の部屋から出た。
紙包みを大切に懐にしまうと、あれでホントに良かったのか少し心配になる。ラドベルクも呆れていたみたいだし……。
やっぱり、強引だったかなぁ。
軽く落ち込みながら、廊下を闘技場の観客席に向かって歩いていくと、何だか騒がしい。試合が終わったのかなと喧騒に耳を傾けると、信じらないフレーズが耳にはいる。
『白銀の騎士が無名の男に敗れた!』
なんだって! ヒューが負けるわけない。
オレは闘技場のメイン会場まで走った。すぐに会場に着くが、人がごった返していて、なかなか先へと進めない。業を煮やして、近くにいる男を適当に捕まえて試合の様子を訊く。
「悪いけど、試合中に何が起こったか教えてくれ」
「……あれ、貴女はリデルさんじゃ、ありませんか?」
捕まえた男は運悪くオレのファンだったようだ。
首が見つからない幅広の体型に、はちきれそうな上衣は仕立てが上質で、その青年が富裕層に属していることを明らかにしていた。
「え、まぁ……そうだけど」
オレが口を濁すと、相手はテンションMAXで話し始める。
「こ、光栄です!最初の試合を見てから貴女のファンなりました。ずっと応援してます。遠目で見るより、実物は100倍美しいですね。惚れ直しました」
「……わ、わかったから、試合の状況、教えてくれる?」
「話します話します、何でも聞いてください。でも、後でサインくださいね」
「…………」
オレはにっこり笑って頷くと、内心は虚脱感に襲われていた。
興奮気味の彼の話を要約すると、次のようになる。開始早々、イクスは逃げの一手だったそうだ。ヒューの素早い攻撃に対処できず、かろうじて避けている状態に見えた。重装備のヒューに対し、イクスはハードレザーを着込み、右手にロングソード、左手にラウンドシールドという軽装備だった。
そのおかげか、お世辞にも格好いいとは言えない避け方だったが、ヒューの攻撃を何とかかわしていた。
逃げ回るイクスに対して、当然観客席からブーイングが沸き起こった。
『真面目に闘え!』
『臆病者!』
『さっさと負けちまえ!』
散々な野次が浴びせられた。観客に罵られても、へらへら顔でヒューの攻撃を不様にかわし、たまに出す一撃も難なくヒューに受け流される。
誰が見ても、ヒューの勝利は時間の問題に見えた。
終始、厳しい顔つきのヒューと緊張感のない顔のイクス。戦況とは真逆の表情に気付くものは少なかった。
そして、その時が訪れた。
ヒューの剣による打撃で、イクスの左手に持つラウンドシールドがはじき飛ばされた。次の一撃でヒューの勝利だと、皆が確信した瞬間、信じられないことが目の前で起こった。
イクスが自棄になって、闇雲に振り回した剣が初めてヒューの身体に当たったのだ。しかし、当たった部位が防具のある腹部だったので、たいしたダメージではない、誰もがそう思った。
だが、次の光景に誰しもが声を失った。
ヒューが全ての動きを止め、やがて崩れるように膝をつくと、くの字に折れ曲がり前のめりになったのだ。観客も攻撃したイクス当人もポカンとして、何が起こったか理解できないでいた。
が、いち早く我に返ったイクスが恐る恐る自分の剣を、動きを止めたヒューの防具の隙間から首筋に刃を当てた。
それを認めた審判が、一呼吸おいてイクスの勝利を宣言する。闘技場は蜂の巣を叩いたように騒然となった。
あちこちで、立ち上がって呆然とする男達や悲鳴を上げ倒れこむご婦人達が見受けられた。
皆、今起きたことが認識できず右往左往していた。ヒューは担架で運ばれ、闘技場に一人残されたイクスはただ呆然と立ち尽くしたままだ。
それが第1試合の全てだった。
オレは語り終わった彼に訊く。
「ヒューはどこにいる?」
「え、たぶん闘技場内の治療所にいると思いますよ」
「ありがとう」
オレは踵を返すと、今来た廊下を走り始める。
「リ、リデルさ~ん! サインを……」
ファンの男が情けない声を上げる。
「後で宿舎に来て!」
振り向きざまに、そう叫ぶとオレはわき目もふらず駆け出した。廊下を行く人が目を丸くするが、構っていられない。スカートの裾を翻しながら屋内を走るのは、褒められた行動ではなかったが、それを気にする余裕はなかった。
ヒューが負けたことは事実だとわかったけど、未だに何かの間違いじゃないかと信じられない自分がいた。
否、信じたくなかったのだ。
彼の技量、冷静さ、そしてその人柄。全てにおいて尊敬に値した。彼を倒したいと考えながら、誰にも負けてほしくないという矛盾した気持ちにオレはとらわれていた。




