期待の新人、衝撃のデビュー!②
第4試合が終わった後、久しぶりにヒューと話す機会を持つことができた。宿舎に戻り、喫茶室で互いの近況を報告し合ったのだ。
ヒューは今まで、ひたすら身体の回復に努めていたようで、訓練不足を憂慮していた。オレの方はソフィアのことをかいつまんで話したけど、内心の忸怩たる思いまでは伝えなかった。
会話を続けながら、ふと疑問に思っていたことを口に出す。
「ところで、ヒュー。そんな無理をしてまで、この大会に出場する理由って何なの?」
にこやかだったヒューの表情が困った顔になる。
「あ、無理に答えなくてもいいから」
慌ててオレは質問を取り消した。
「構いませんよ。それほど重要な話ではないですし……リデルには話しておいた方が良いかもしれませんね」
あのラドベルクに対する態度と怪我をおしてでも出場する姿勢の、どこを見たら重要でないと言えるのか、はなはだ疑問だ。
オレの疑わしそうな視線をスルーして、ヒューはあっさりと言った。
「師匠の名誉を回復するためです」
「お師匠さん?」
「そうです。私の剣の師にして恩人でもある剣聖ユーリス・ルフラン様の名誉のためです」
剣聖ユーリス・ルフラン……デュラント四世に仕えた剣の達人。武だけではなく政にも精通し、四世の懐刀とも言われた人物だ。出生、経歴とも謎が多く、伝えられる来歴のほとんどが創作されたものだと言う。四世の死後、公の舞台から姿を消し、諸国を遍歴して過ごす。剣をとっては生涯、ただの一度も負けたことがないという不敗神話を持つ。
ただ、晩年は無益な戦いを忌避し、書を綴ることに没頭したという。一説には、身体の衰えから挑戦を極力避け、不敗を保持するために策を弄したとも言われる。
何にしても、イオステリアでは最も名の知られた剣豪と言える。
「私はユーリス様の最後の弟子なのです」
それはわかった。けど、それじゃ、質問の答えになってないよ。
オレの怪訝な顔を見てとると、ヒューは頷いて続けた。
「10歳で弟子入りし、13歳で騎士の叙勲を受けるまで共に諸国を巡り、彼から剣を……いえ、全てを学びました」
いろいろなことを思い巡らせたのだろう。一瞬、遠い目をしたけど、すぐに我に返り、少し照れた表情を見せた。
「すみません……話を続けます。私は騎士となり、ユーリス様から離れて生きていくことを余儀なくされました」
その口振りは父を慕う息子のように感じられた。
「まだまだ教えを乞いたいことは、たくさんありましたが、ユーリス様はお許しになりませんでした。私も、いつまでも師の加護に甘えているわけにはいかないと、自ら未練を断ち切りました。自分からお目にかかることは今後の生涯において決してしないと心に誓ったのです……」
相変わらず石頭だなと思ったけど、黙って先を促した。
「そうして何年か経ち、ようやくユーリス様と過ごした時間を懐かしく思えるようになった頃、信じられない噂を耳にしました」
「信じられない噂?」
「ええ、そうです。信じられない噂……というより誹謗中傷の類と言っても良いでしょう」
静かな怒りに満ちた目で断言する。ヒューがこんなにはっきりと怒りを露にする姿を初めて見た気がする。
「その噂は、ユーリス様がラドベルク殿に負けるのを恐れて、挑戦を断って逃げ出したというものです」
最近わかってきたけど、ヒューは自分に対する誹謗中傷には寛容なところがある。もちろん、人前で騎士の名誉を傷つけられれば別だろうけど……。
その代わり、友人や知人への侮蔑にはひどく敏感で、正論を述べて一悶着起こす頑なさを持っていた。
「今となっては、その人物が本物のユーリス様であったかどうか知る由もありません。ただ、仮に本物のユーリス様であったとして、その申し出を受けなかった理由がラドベルク殿に負けるのを恐れてということは決してありえません」
「どうして言いきれる? 不敗神話が崩れるかもしれないじゃないか」
ラドベルクの強さを垣間見たオレにとって、例え剣聖であろうと加齢を考慮すれば、その勝利は危ういように思えた。
「不敗?……巷での噂は知りませんが、ユーリス様はご自分から一度も負けたことはないなどとは、一言も言っておられません」
「えっ、そうなの? まぁ、そりゃそうか。生まれた時から強い人なんていないしね」
「いえ、若い頃から戦う相手が、丁度自分の強さの成長に見合っていたようで、修行中にも負けたことはなかったそうです。自分はたまたま運が良くて負けてないだけだと、いつも言っておられました」
「それじゃ、やっぱり不敗なんじゃ……」
「いいえ、どうしても勝てない相手がいらっしゃったようです。それもユーリス様が最盛期の頃、何度も挑戦して、その度に敗れたと聞いています」
「だ、誰なんだ、そいつは?」
そんな凄い奴がいるんだ! オレは剣聖が敵わなかった相手に俄然興味が湧いた。
「さあ、ユーリス様も笑っておられるばかりで、名や素性は教えていただけませんでした。ただ……」
「ただ?」
「その方は、この世の者とも思えぬような美しい女性だと聞きました」
「女……」
オレが呆気に取られていると、少し嬉しそうにヒューは話を続けた。
「話を戻しますが、そういうわけでユーリス様は負けることに恐れなど抱いておりません。したがって、それを理由に戦いを避けるということもありえません。もし、断ったとしたら、それは別の理由があったのだと思います」
オレは剣聖が勝てなかったという女性のことが気にかかり、ぼんやりとヒューの言葉を聞いていた。
「けれど、この噂はちょうどラドベルク殿の評判が高まっていた時期でもあり、まことしやかに大陸のあちこちで噂され、ユーリス・ルフランの数ある逸話の中で最後の顛末として語られるようになったのです」
「つまり、噂が事実として認識されたわけか」
「お察しの通りです」
穏やかに話しながら、思いを秘めたヒューを見て、やっと彼がラドベルクとの対戦を欲する理由が理解できた。
一度流布した悪評を覆すことは難しい。
でも、新しく噂を塗り替えることはできる。弟子が勝つことで師匠の名誉を復権しようと考えたわけだ。
「私はすぐにルマへ赴き、ラドベルク殿と戦おうとしました。しかし、彼は既に引退した後で、消息がわからない状態でした。それからは、修行の傍らに彼の行方を捜す毎日でした」
「じゃ、村にいたのは?」
「もちろん、ラドベルク殿に戦いを挑むためです。やっと、居場所がわかったと思えば、またルマに戻ることになるとは……」
ヒューは軽く嘆息したが、オレを見てにっこりした。
「でも、そのおかげで貴女に出会えましたし、今回の事件でラドベルク殿の人となりもわかりました」
「ラドベルクの?」
「はい、私はあの噂が流れたのはラドベルク殿の売名行為ではないかと、ずっと疑っていたのです。でも、彼はそんな卑劣なことなどしない高潔な人物だと、今回の件でよく理解できました。これで正々堂々と力の限り戦えます」
晴れ晴れとしたヒューにオレは言う。
「目的と意気込みはよくわかった……けど、オレは負けないよ」
オレはヒューを真っ直ぐ見つめた。次のシリル戦にオレが勝ち、ヒューがイクス戦に勝てば、オレ達は戦うことになる。そして、ラドベルクと戦うためには目の前の相手を倒すより他なかった。
「もちろん、私も負けないつもりです。それに今回を逃すとラドベルク殿とは二度と対戦できないような気がします」
ヒューも優しい目で、オレをじっと見つめ返す。
「そうだね……」
今回が最後……そう、ダノンの陰謀がなければ決して叶わなかった対戦。ヒューが無理をおして出場する気持ちもわかる。
オレも…………彼と戦いたい!
勝ち負けよりも、とにかく彼と剣を交えたい。きっとそれは、今まで経験したことのない何かをオレにもたらしてくれるに違いない。
オレとヒューは黙って見つめ合った。
きっと、思いは同じなんだ。




