40 憧れの人
誰が誰にとっての憧れの人なのか。色々と錯綜しています。
気ままな暴れん坊末っ子のフライ教授と気苦労が多い長男気質のアース教授のイメージです。
フライとアースを連れたリャーナは、2人に宿を案内した後、ダルカスの家にやってきていた。
出迎えに同席していたラルフとボルク師とは解散している。正確に言えば、フライとアースにタープシー家への滞在を熱心に勧めるラルフを、ボルク師が無理矢理連れて帰った。あれだけキッパリとフライとアースに一線を引かれていたのに、体面を保つために引き留めるラルフ氏をみて、リャーナはやっぱりお貴族様って強引だなぁとちょっとだけ怯えていた。
「ほ、ほ、ほ、本物! 本物のフライ教授とアース教授! 本当に本物なの? リャーナちゃん!」
「お姉ちゃん、お姉ちゃん、落ち着いて。お茶が、お茶が零れているから!」
出迎えたシャンティの持つお盆カタカタカタカタとが揺れている。それに合わせてざっばんざっばんと波のようにお茶がコップから溢れているが、シャンティは気づいていないようだ。
早々にシャンティからお盆を取り上げて、リャーナはてきぱきと零れたお茶を片付ける。いつもは冷静沈着で格好良くて可愛いお姉ちゃんなのに、珍しい事もあるなぁとリャーナは驚いていた。シャンティに対してそんな過大な評価をするのは妹のリャーナぐらいだということには気づいていない。概ね、世間のシャンティに対する評価は『優秀だけど残念な変人』である。
「フフフフ、フライ教授! お初にお目にかかります、薬師のシャンティと申します! フライ教授のお書きになった『フリニンの内臓内における植物の変異』の論文、大変興味深く読ませていただきました! あの変異した植物を使って新たな痛み止めを作ることが出来ました!」
「おおう。あんたが薬師シャンティ殿か。随分とマニアックな論文を読むんだな。書いた俺でも『誰が読むんだ、この論文』って思っていたのに。あれで新しい痛み止めまで作るとは、あんた、本当に、相当変わっているな?」
件の論文は、フライがまだ若い時に書いたものだ。北の僻地に住む特異な変異を遂げた『フリニン』という魔物の内臓液で変異した植物についての検証をしたもので、当時は、誰からも注目を集めなかった。読む人がいたのかと驚くのも無理はない。それどころか、そこから新しい痛み止めまで作るなんて。
「ア、ア、ア、アース教授! 教授の書かれた『ジズベリ地方の雨季における気候変動』! あれは素晴らしい論文です! ジズベリ地方特産のジベリ花に欠かせない謂わば教科書! あの論文のお陰で、枯れやすいジベリ花の生育が可能になりました!」
「薬師シャンティ殿……。ええ、ええ。嫌というほど存じております。幻の薬花『ジベリ花』の増産に貢献した薬師ですね。貴女がジズベリ地方の領主に私の論文を読むように助言したお陰で、ジベリ花の生育に成功したとか……」
アースが額に手を当てて呻く。こちらもアースが若い頃に書いた非常に地味な論文だ。学会でも特に話題にならず、アースすら忘れて他の論文の中にひっそりと埋もれていたのに、ジズベリ領でのジベリ花の生育成功を切っ掛けに一躍有名になったのだ。その立役者が、目の前の若き天才(変態)薬師である。
「わ、私のような若輩者をご存知頂けるとは、こ、光栄ですぅぅ」
シャンティにとって、『カージン王国王立学園』は憧れの場所だ。シャンティにとって神ともいうべき希少薬草の権威であるクリス・ジョンバン教授は勿論のこと、他の教授もそれぞれの専門分野の第一人者ばかり。彼らの書く論文はシャンティにとっては何にも代え難い宝であり、もちろん薬師としての仕事にとても役に立つものばかりだ。
それはシャンティに限らず、世界中の研究者たちにとっては共通の認識である。カージン王国が周辺諸国から閉鎖的で排他的だと評されることが多い中、『カージン王国王立学園』の評価はとても高いのだ。
「そんな素晴らしい教授たちを、街の宿屋にご案内するなんて。リャーナちゃん、せめて貴族向けの高級宿にご案内した方がよかったんじゃないかしら……」
シャンティはオロオロと心配した。教授たちが、ダルカスの家の近くのごく普通の安宿をドーン皇国に滞在する間の宿に決めてしまったからだ。安宿に決めたのも、リャーナが『ここの宿のご飯美味しいですよ! お手伝いした時の賄い、最高でした!』とお勧めしたからだ。一緒にいたボルク師が止める間もなく、『じゃあ、そこにしよう』と、即決だった。ボルク師的にはラルフの面目が潰れてざまあ見ろという気持ちはあったが、さすがに国賓が街の安宿に滞在するのは頂けなかったのだが、あれよあれよと決まってしまったのだ。
「なぁに、安宿でも、ベッドがあるだけ十分だ。研究の間は、泥の中で寝る事もあるからな。飯が旨いのならなおいい」
フライが心配ないとからりと笑うが、アースが額に青筋を立てて否定する。
「泥の中に寝るのは私は同意していませんからね! 貴方が無理矢理私まで泥の中に引きずり込んだんですよ!」
アースは潔癖症なのだ。それを無視してフライはアースをフィールドワークに連れて行き、凡そ人間が過ごせるとは思えない場所を寝床にする事も多々あった。この大雑把な男は、アースの事などお構いなしにどんな場所だろうとも、ものの数秒で寝てしまう。危険と不快が隣り合わせの環境で、まんじりともせずに夜を明かした事が何度もあるアースとしては、せめて人並みにテントや寝袋で寝たいと願っていた。
「分かります! 木の上とか、意外に寝心地がいいですよね? 結構安全だし」
「おお! 空から襲ってくる魔獣には葉が邪魔をして狙われないし、地上の魔獣からは臭いがバレにくいしな! 分かっているじゃないか、リャーナ君」
「はい! 単独討伐の時は安全に寝る時間を確保するのが必須でしたから! 木の上で寝たり、泥水で身体を汚して臭いを誤魔化したりしてました! 」
まさかのリャーナの賛同に、フライは喜んだ。しかもなかなか上級者の寝床だ。これは見どころがあるぞと、フライは感心したのだが。
「リャーナちゃん! なんて危ない事をしているの! もう絶対にやっちゃダメよ!」
リャーナのまさかの経験談に、シャンティは悲鳴を上げた。すでに鼻まで垂らして号泣している。
「リャーナ君。あり得ません。フライ教授ならともかく、貴女は歴とした女性なのですよ? 冒険者だって、そんな危ない真似をする者はいないでしょう」
アースには青筋を立てて怒られた。瞼がぴくぴくしていて怖かった。『俺ならともかくって、どういうことだ?』とブツブツ言いながらも、フライも一緒になって首を竦めていた。
「おお、なんだ、どうした? 随分と賑やかだな。おお、そちらがリャーナちゃんの言ってたカージン王国の教授たちか? 初めまして、ダルカスです」
そんなカオスな状況の中、家の主であるダルカスが帰宅した。いつもの新人冒険者たちの討伐指導を終えたばかりなので、身軽な冒険者姿だ。
ダルカスは号泣しているシャンティに動揺することなく、にこやかに教授たちに挨拶を交わす。シャンティの様子がおかしいのはいつもの事なので、気にならないようだ。
「貴方がS級冒険者のダルカスさんか! お噂は良く聞いている。私はフライ、そっちがアースだ。おお、さすがS級冒険者だ! 筋肉の付き方や魔力の巡りが凄いな!」
フライが魔獣を観察する時の様な目で繁々とダルカスを見つめる。アースに『初対面で失礼ですよ!』とわき腹をどつかれているが、好奇心には勝てないらしい。
「ははは。単に長く冒険者をやっているだけで、凄くも何ともありませんよ。それよりシャンティ、お客人にお茶も出していないのか? マーサはどうした?」
客に出したにしては盆の上に置かれたままの茶器に不思議そうな顔をして、ダルカスが問うと、シャンティは泣きながら答えた。
「うえぇぇぇ、お茶は溢しちゃってぇぇ。そんなことよりぃぃぃ、父さん聞いてぇぇぇぇ! リャーナちゃんが、リャーナちゃんがぁぁぁ! とっても危ない野営をしていたのよぉぉぉぉ!」
「マ、マーサさんは、ボルク師に呼ばれて魔術師ギルドに出掛けてます!」
慌てて誤魔化すリャーナだったが、一歩遅かった。シャンティの涙ながらの訴えは、ダルカスの耳にしっかりと届いていた。
「ふうん?」
気の良い父親の顔からすっかりと先輩冒険者の顔になったダルカスに、リャーナはピャッと背筋を伸ばした。『お人好しのダルカス』なんて呼ばれているが、こういう顔をしている時のダルカスは怖い。彼は若い冒険者や新人冒険者の生存率を上げるために、生き残るための安全な討伐を日々指導している。若さや勢いに任せた無茶な討伐にはとても厳しいのだ。
「リャーナちゃん。詳しい話を聞かせてもらおうか」
ダルカスにしては珍しいひんやりとした声に、リャーナだけでなく客人であるフライやアースまで一緒になって肝を冷やした。
◇◇◇
「なるほどな」
リャーナの話を聞き終えたダルカスは、深いため息をついて呟いた。
話し終えたリャーナの背中は汗でびっしょりだった。物凄く緊張した。なんなら、臨時学会で発表した時よりも緊張した。だって、いつもニコニコしているダルカスが、腕組みしながら厳しい目でこっちを見ていたからだ。嘘や誤魔化しなんて一切出来るはずもなく、リャーナはこれまでのソロ討伐で実践していた野営方法を全て白状した。
「確かに、ソロでの討伐ならば木の上や臭いを誤魔化すために泥の中での野営も有効ではある」
「そ、そうだな。俺も魔獣の観察の時に良く取る方法だ!」
ダルカスの言葉に、フライが勢い込んで頷く。
「だがそもそも、冒険者としてはソロでの討伐が推奨されていない。リャーナちゃんやフライ教授が採用していた野営方法は、例えば他のパーティメンバーとはぐれたとか、メンバーが全滅してソロでの野営を余儀なくされた時の様な、緊急避難的なものだ」
ダルカスの断言に、フライの顔が強張る。横から、アースの視線が痛いぐらいに突き刺さっている。
「フライ教授も。貴方の魔獣の研究には我々冒険者たちも大分恩恵を受けている。しかし、その身を危険に晒してまで研究をなさることには感心できない。魔獣の危険性やその性質を熟知しているからこそ、十分な準備と対策を備えて欲しい」
フライの研究で解明された魔獣の性質や弱点のお陰で、冒険者たちの討伐が格段に楽になったのは事実だ。その点についてはダルカスもフライに対し敬意を払っていたが、それと安全を疎かにすることとは別問題だ。
「い、いやー。俺は単身でもそこそこ戦えるし、細かい準備とかは面倒で。こう、思いついたらすぐに動きたくなるしなぁ」
「そこを私がフォローしているってことに、いい加減気づきなさい! 大体、食料や水といった基本的な備えも碌にせずに魔獣の巣に向かうなんて、考えなしにもほどがあります! 私が貴方を野放しにしていたら、何回死んでいたと思うんですか!」
ベシッとアースに頭を叩かれて、フライがションボリする。確かにアースのフォローのお陰で、今まで怪我もなくのびのび研究を続けてこれたのだから、ぐうの音も出なかった。
横で聞いていたリャーナも、アースの言葉にションボリと俯いた。リャーナの場合は、ソロでの討伐も仕方のない事情があったし、食料や道具を揃えたくても金銭的な余裕がなかったのだが。
「リャーナちゃんの場合は、これまでの事情を考えたら強くは叱れないが。これからしっかりと正しい野営を学んでほしい」
「……はいっ!」
ふわりとダルカスの雰囲気が和らいで、リャーナはほっと息を吐く。ダルカスは厳しい師匠ではあるが、その言葉の一つ一つに確かな経験と実績が裏付けとなっているので、リャーナは素直にその言葉に従いたいと思うのだ。
「フライ教授。貴方もリャーナちゃんという教え子のためにも、立派な見本となって欲しい」
冷ややかなダルカスの声に、フライはこくこくと頷き、アースは尊敬の目でダルカスを見つめるのだった。
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