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「あら、リャーナちゃん。お勉強中だったの? 出直すわ!」
『ポケットに入れる新作のおやつ第5弾』を持ってリャーナの部屋に訪れたシャンティは、リャーナが机に向かっているのを見て、慌てて部屋を出ようとする。
「お姉ちゃん、大丈夫よ。今、書き終わったところだから」
リャーナは可愛らしい花柄の便箋に封をした。リャーナの机の上には、やたらと沢山の封筒がある。いつの間にこんなに手紙を受け取っていたのだろう。貴族や商人からのリャーナ宛の手紙は、利益管理人であるフロスが全て引き受けている筈なので、リャーナに届く手紙はそれ以外の個人的なものであるはずだが。リャーナはこの国には魔術師ギルドと冒険者ギルドぐらいにしか知り合いはいない筈だが、一体誰からこんなに手紙が届いているのだろうか。
「お姉ちゃん、美味しそうだね! 」
キラキラと目を輝かして、リャーナはシャンティの手にしているおやつに釘付けになっている。シャンティの右手には、日持ちのする焼き菓子がある。生地にクルミなどの木の実を混ぜて、普通の焼き菓子よりも固めだが、干した果物も入っているので適度な甘さがある。小腹を空かせた時にはちょうどいいだろう。
シャンティの左手には、3段に重ねたクリームと蜜がたっぷりかかったパンケーキがあった。生地の間に果物を挟み込んでいて、こちらは脳を直撃するような甘さだ。リャーナの大好物でもある。リャーナに激甘なシャンティは、新作オヤツの口直し用として、パンケーキを毎回用意している。万が一新作オヤツがリャーナの口に合わなかったら、大好物のパンケーキを食べて機嫌を直してもらうためだ。リャーナが新作オヤツを食べて口に合わない事も、機嫌を損ねた事も無かったのだが、万が一美味しくないとリャーナに嫌われる様な事態が発生したら、シャンティの死活問題に関わるのだ。
最近はリャーナは何故か、周囲の人からお菓子をもらえる機会が増えた。お菓子どころか時には軽食ももらえる。最初は恐縮して断っていたリャーナだったが、余りに数が多いので最近は素直に受け取るようになった。皆が自分が一押しのお菓子や軽食を勧めてくれるので、リャーナは色々な食べ物に詳しくなったぐらいだ。お菓子をくれる人が何故かリャーナを可哀そうな子を見る様な目で見てくるのが気になるが、美味しいお菓子でいつもポケットが一杯なので、リャーナはヒッソリと幸せを感じているのだ。
お陰で草や木の皮を口にする事がめっきり減った。リャーナ自身は草や木の皮を食べる事に抵抗はないのだが、シャンティが悲しい顔をするので我慢するようにして、口さみしい時はポケットのお菓子を食べるようにしている。毎日の様にシャンティが美味しいおやつを作ってくれるが、ポケットのお菓子もまた違う味わいで楽しみになっていた。
「随分と沢山の手紙を書いていたのね。お友だちに書いているの?」
ドーン皇国に来てまだ日の浅いリャーナに、お友だちと呼べる人はまだいないとシャンティは把握している。それともリャーナの姉である自分の預かり知らぬところで、リャーナにマブダチでも出来たのかと、シャンティは目を光らせながらも優しくリャーナに聞いた。
「お友だちなんて、恐れ多いよ。学園の先生たちにお手紙を書いていたの。この間、お返事をいただいたので!」
「先生? ああ、カージン王国王立学園の教授たちね?」
シャンティは納得しかけたが、再び視線をリャーナの机の上に向ける。あれ? 学園の教師とのやり取りにしては、数が多くないか? 卒業した生徒と教師って、そんなに頻繁にやり取りをするものだろうか。シャンティにもとてもお世話になった恩師がいて、今も手紙のやり取りをしているが、それでも年に数回ぐらいだ。こんな、机の上に山積みになるほど手紙を送り合った事は無い。
「はい! 学園の先生たち20人からお返事が来てたの! 嬉しい!」
20人? え? 20人って言った?
「リャーナちゃん? 2人じゃなく、20人って言った? そんなに大人数と手紙のやり取りをしているの? もしかして学園の教師全員?」
「うん! えっとこれがリーソ教授からの手紙でしょ。それからこれがガウディ先生から! これは語学のフェントリン教授で、歴史学のサーミッツ教授! それから……」
リャーナが次々に見せてくれる手紙には、カージン王国を代表する研究者の名がずらりと書かれていた。そういえば、カージン王国王立学園は周辺国からも認められるほど難易度の高い教育機関であり、在籍する教授や講師陣も有名な研究者ばかりだと聞いたことがある。
「あ! 薬草学のジョンバン教授から、お姉ちゃん宛ての手紙も預かっていたんだった! 」
はいっ!と元気よく差し出された手紙に、シャンティは自分の耳を疑った。
「ジョンバン教授? ま、まさかっ! 希少薬草の権威であるクリス・ジョンバン教授? 」
「そう! お姉ちゃんの忌避の薬草について是非情報交換がしたいって! 」
「ひぃぃぃぃ! あのジョンバン教授の直筆の手紙? あぁぁぁぁ、本当だ! この一筋縄では読めない癖字は確かにジョンバン教授のものだわっ! この字を解析するために、教授の論文は全て記憶している私がまちがえるはずがなぃぃぃ! な、なんて恐れ多い!」
薬師にとっては神様みたいな希少薬草の権威からの手紙を、シャンティは両手で押し戴いた。
一方のリャーナは、ジョンバン教授の文字はジーランド古代文字よりは断然読み易いとシャンティに説明しようかと悩んだが、『毛虫の死骸』という不名誉な二つ名があるジーランド古代文字と比べるのはあまりにジョンバン教授に失礼だと思い、口には出さずにそっと心に仕舞った。
「ジョンバン教授は国を跨いでのフィールドワークが多いから、授業は年に数回しかない特別授業だけど、とっても面白いの! 」
「ジョンバン教授の特別授業っ! そんなものが存在したなんて。くぅぅぅっ、受けてみたい。カージン王国王立学園、侮りがたし!」
王立学園の豪華な教師ラインナップも凄いが、そんな教授たち全員と文通しているリャーナも凄い。研究者というものは変わり者が多いのに、どうしてそんなに簡単に仲良くなれるのだろうかとシャンティは思ったが、リャーナの性格を考えれば納得出来た。
リャーナはとても頭が良い。それこそ、一を知れば十を知るどころか、百まで知識を広げようとする。分からない事は分かるまで努力するし、好奇心旺盛で色々な事に興味を持つ。魔術師ギルドの重鎮たちも、いつもは気難しい老人たちなのに、リャーナに質問攻めにされると嬉しそうに答え、しかもリャーナの柔軟な発想から新たな着眼点を発見して研究が捗る事も良くあるらしい。しかもそれを心の底から凄い凄いと賞賛するので、いわば研究者キラーなのだ。
そのお陰で、魔術師ギルドではほとんどの魔術師たちがリャーナにいい意味で骨抜きになっている。年配者からは孫、子ども扱い、ちょっと年上や同年代からは妹扱いで、魔術師ギルドが総保護者状態だ。可愛いリャーナに魅了される輩もいるらしいが、下手な事をすると魔術師ギルドの先輩、同僚たちから睨まれるので、おいそれと手出しが出来なくないらしい。妹に余計な虫を近づけたくないシャンティにとっては、大変都合が良かった。
「先生たちに連絡が出来て嬉しい! 皆さん、やっぱり、急に連絡が途絶えた事を心配して下さっていたの」
リャーナはフロスから、リャーナの立場がしっかりと守られるまでは、不用意に友人や知人に手紙を送ってはいけないと忠告を受けていた。ドーン皇国で住民として登録したのでリャーナはすでにドーン皇国民だが、唯の平民なら他国の王族とはいえ王侯貴族相手にカージン王国に戻れと命じられ、逆らうのは難しい。
しかしリャーナは臨時学会で功績を挙げた。しかも付与魔術について皇家の要請に応え、皇太子と共同で結界魔術の改良という新たな事業も始まっているので、皇家がリャーナの強力な後ろ盾になっている。ドーン皇国とカージン王国では、ハッキリ言って国力はドーン皇国の方が上である。カージン王国がリャーナを返せと言っても、ドーン皇国にとって有益なリャーナをそう簡単に手放すはずがない。リャーナの庇護という点では、ドーン皇国ほど強力なものはない。
正直、シャンティにとっていくら強力な後ろ盾であろうと、皇家、特に皇太子はリャーナを泣かせた極悪人であるため、可愛い妹を奴に関わらせるのはハッキリ言ってイヤだ。爛れる系か痺れる系の毒でも盛ってやりたいところだが、リャーナが皇太子に結界魔術陣の魔力効率化を手伝ってもらうんだと張り切っているため、今のところ保留にしている。もしもリャーナを誑かす様な真似をしようものなら、遠慮なく盛ってやろうと虎視眈々と狙っていた。
そういうわけで、限定的にではあるが、リャーナの手紙のやり取りは解禁された。元々、リャーナは学園の恩師と卒業後も定期的に手紙を交わしており、恩師たちにドーン皇国へ出奔した事を連絡していないことを気にしていた。急に便りが途絶えたら心配を掛けてしまうと思っていたのだ。魔術師ギルドに手紙を預け、論文や資料などと一緒に学園の魔術学教授のテアル•リーソ宛に送ってもらえば、これまでも定期的に魔術師ギルドからリーソ教授へ資料が送られているので、カージン王国にバレにくいだろうと考えたのだが、フロスもそれなら情報漏洩も少ないだろうと許可してくれた。
「でも、そもそも臨時学会でリャーナちゃんの顔と名前はがっつり周辺国にも知れ渡っているのに、そこまでする必要はあるの?」
「……たぶん、カージン王国が他国の魔術師ギルドの発表に意識を向ける事は無いと思うの。カージン王国は元々、閉鎖的な国で他国のことに関心がなくて……。あの国の魔術師ギルドはあまり研究熱心じゃなかったから、他国どころか自国の論文も碌に揃ってなかったし。リーソ先生が個人的に保有している蔵書の方が多かったし……」
リャーナは文官時代、仕事でカージン王国で魔術師ギルドに何度か訪れた事があるが、魔術師ギルドの職員たちは皆貴族で、ギルド内でお茶をしたり社交を優先させていて、実に優雅な雰囲気だった。ドーン皇国の魔術師ギルドの様に、研究に夢中になり徹夜続きで、幽鬼みたいに彷徨うギルド員など見かけたことがない。
「そうなの。国が違うとギルドの雰囲気も全然違うものなのねぇ」
シャンティも子どもの頃からマーサと一緒に魔術師ギルドに出入りしていたが、あそこは魔術師たちの強化合宿所のイメージが強い。理論派の魔術師たちは限界まで研究をしているし、実践派の魔術師たちは修練所でよく爆発を起こしている。ベテラン魔術師にもなると、魔力だけで『お、今日はトマスが火炎魔術の鍛錬か。いい爆発音だな!』と判別していた。優雅さとは対極にあった。
「カージン王国の冒険者ギルドも、ドーン皇国と違って人が少なくて、寂しい感じだったなぁ」
「ああ。余所者に厳しいカージン王国では、あまり受け入れて貰えないみたいね。冒険者は一か所で活動しないで、拠点を移動して依頼を受けるから……。カージン王国では依頼が殆どこないから、撤退するって話よ」
「そうなんだ。確かに、職員さんも肩身が狭いって言ってた……」
リャーナが納得して頷くのに、シャンティは笑みを深める。カージン王国の冒険者ギルドが撤退を決めたのは、依頼の少なさもあるが、それ以外の理由の方が大きいことを、シャンティは知っていた。
カージン王国の結界魔術陣への魔力供給が滞り、結界魔術陣が作動しなくなっているのだ。当然、そうなると魔獣がカージン王国内に侵入してくるので、騎士や魔術師が討伐にあたらないといけないのだが、討伐が上手く行ってないらしい。噂によると、カージン王国は結界の魔術陣があるからと、騎士団や魔術師団の人員を削減したようだ。結果、職にあぶれた騎士や魔術師は、国内に留まっても仕事がないからと、国外に出ていく者も多かったそうだ。
魔獣の脅威に晒された王家や貴族家は、やむを得ず冒険者ギルドにまで魔獣の討伐依頼を出そうとしたのだが、それを受ける高ランクの冒険者はカージン王国内にはいなかった。
余所者に冷たく、しかも身分主義なカージン王国は高ランクの冒険者から敬遠されている。他所の国なら高ランクの冒険者はまるで英雄の様に持て囃されるのに、カージン王国ではどれほど実力があっても、身分が低いというだけで侮蔑の対象となるのだから当然だ。依頼を受け、達成したところで正当に評価されない国で働きたい者などいない。
結局、冒険者ギルドは今後ますます危険が増すカージン王国内での活動は困難であるとして、ギルド自体をカージン王国から撤退させることにしたのだ。ほとんどギルドとして機能していなかったので、撤退も速やかに行えたらしい。
いい気味だと、シャンティは思う。
可愛い妹を搾取してきた国に、同情の余地などない。自国の防衛すら自力で出来ないのなら、いっそ滅びてしまえと、シャンティは物騒な事を考えている。
カージン王国の危機をリャーナに伝えることは、今はまだない。いずれ知ってしまうとしても、できる限り遅らせなくてはいけないと思っている。
今のリャーナでは、故郷の危機を知り、カージン王国から助力を命じられたら逆らうことはできない。ドーン皇国の民となり、強力な後ろ盾を得ていたとしても、リャーナ自身に彼らに逆らえないという意識がある限り、付け込まれる隙を作ってしまう。そして再び自分を擦り切れるまで差し出してしまうことになるだろう。それは何としても防がなくてはいけない。
シャンティは小さい頃から『妹』が欲しかった。シャンティの姉たちの様に、いつだって妹を大事にして、時には颯爽と助けてくれる『姉』になるのが夢だった。
そんなシャンティに、ようやくできた妹。初めは、『妹』というだけでもうその存在が愛しくて、何が何でも守り通そうと思っていた。大事に囲い込んで、どんな悪意にも触れさせるものかと思っていた。
でもリャーナを知る内に、シャンティの心は変わっていった。ただ『妹』として可愛いだけでなく、『リャーナ』自身が、可愛くて仕方がない。
そんなリャーナを、姉としてシャンティは全てを捧げて守るつもりだ。でもそれだけではいけないのだ。
リャーナ自身が成長して、自分でカージン王国に立ち向かえるようにならなくてはいけない。
ゆっくりでも、少しずつでも。自分に自信をもって。
愛されて、大事にされて、評価されて。
それが特別な事でなく、当たり前なのだと思えるようになって欲しいと、シャンティは願っているのだ。




