魔王さんと聖騎士
魔王は昼食を終えて、惰眠を貪っていた。
勇者はマルカ達と一緒に魔物の討伐に行っている。
久々に静かな時間を取り戻した魔王は、ここぞとばかりにダラダラしていたのだった。
「魔王さん、おへそ見えてますよ」
店主がやって来て、ずり落ちた毛布を掛けてくれる。
「しゅまむぅ」
良く分からない返事をしながら、魔王が寝返りを打つ。
店主は嘆息しながら、カウンターへ戻って行く。
その時、凄まじい殺気を察知し、魔王が起き上がって、高速で飛来した短剣を二本指で受け止める。
「随分、無礼な奴だの?」
短剣を投げつけた人物に、そう問いかける。
「魔王! 精霊の教えに従い、貴女を成敗します!」
「名前ぐらい名乗らぬか」
受け止めた短剣を片手で握り潰しながら邪悪な笑みを浮かべる魔王。
その姿に、臆することなく答える少女。
金髪はツインテールに纏められ、碧の瞳が鋭く魔王を見つめている。
「我が名はアリス=リィン=スガティニア! 教会に属する聖騎士なり!」
「教会、聖騎士とは、また面倒な……」
魔王がゆっくりと立ち上がる。
アリスは背中の両手剣を抜いて構える。
殺気が酒場に満ちてくる。
「そういうのは」
「へ?」
突然、店主に片手で頭を持ち上げられたアリスは何が起こったのか分からない状態のようだ。
「外でお願いしやす」
店主はそう言うと、そのまま扉を開けてアリスを外に投げ出す。
「ひょえええええええええ」
アリスが珍妙な叫び声をあげてゴロゴロと転がった後、何かにぶつかった音がする。
魔王は店主と目を合わせると、軽く溜息を吐いて外に向かう。
「すまんの。相分かった」
「ほんと、お願いしやすよ?」
店主は呆れるように呟いた。
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魔王が酒場の外に出ると、アリスは店の向かいにある鶏小屋に突っ込んだらしく、ひよこや鶏に突かれて目を回していた。
「いかんの。サーニャにどやされる」
魔王は慌てて、アリスを鶏小屋から放り出すと、柵を立て直し始める。
「よしよし、良い子じゃから逃げてはいかんぞ?」
鶏たちに声を掛けながら、柵を立てていく魔王。
その後ろで、アリスがようやく目を覚ましたらしく、立ち上がって叫ぶ。
「魔王! いざ尋常に……」
「バカ! 鶏が逃げるであろうが!」
その声に、鶏たちは驚いて四方八方へ逃げていく。
「あ、ああ……」
魔王の情けない声が響き渡る。
アリスは不思議そうにそれを眺めながら言った。
「何をそんなに怯えて……」
ギィィィッと目の前の扉が開き、老婆が顔を出す。
「おんやぁ? うちの鶏が少ないように見えるねぇ?」
「ち、違うのだ! そこの小娘がの!」
青い顔をして魔王が答えるが、老婆はウンウンと頷いている。
「まあ、夕方にもう一回見てみようか。きっと元の数に戻っているはずじゃ」
老婆が家の中に戻り、ギィィィッと扉が閉まる。
「あ、あ、あ、アリスとか言ったの?」
青い顔をしながら、アリスの方へ振り返る魔王。
尋常ならざる雰囲気を察したのか、同じく青い顔になっているアリスがコクコクと頷く。
「き、期限は夕刻までじゃ……それまでに……」
「そ、それまでに……?」
「に、鶏を戻さんと……」
「ど、どうなるのです!?」
「こ、今夜のサーニャの晩飯が、お主と余になる……」
震える魔王の腕と、真剣な瞳を見て、何かを感じ取ったのが、アリスの血の気が引いていく。
真っ青になったアリスは、腰を抜かして、その場にへたり込んでしまった。
「ええい! 腰を抜かしている場合ではない! 立て! 立つのだアリス!」
ペシペシとアリスの頬を叩く魔王。
「そ、そんな! 元はと言えば……!」
「元も子もないのじゃ! まだ分からんのか!」
「わたくしは聖騎士で、貴女は魔王で……」
その会話を遮るように、ギィィィッと扉と扉が開き、老婆が顔を出す。
「夕刻までですよ……?」
再び、ギィィィッっと鳴りながら閉まった扉を見て、二人は自分の命の期限を知った。
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「ここは、町の外れである。幸いに余たちは二手に分かれるることができる」
「で、でもわたくしは、鶏の区別など付きません」
「とりあえず歩いているのを捕まえてから、周りの人に聞くのだ! サーニャの鶏と言えば誰も嘘はつかん!」
肩をがっしり掴んで、アリスに語りかける魔王。
「もう市場で同じ数の鶏を買って渡せばよいのでは……?」
「お主は、自分の育ててきたペットが同じ目に会って、別物を渡されて笑顔で受け取れるのかの?」
「そ、それは……」
「正直、話している時間も惜しい。下手をすると、他の住人に食われた挙句に余達の犯罪にされかねん」」
「では、どうすれば……」
「余に任せろ! これから、メモ書きを渡す。そこに乗り込んで、お主は問答無用で『サーニャさんの鶏を探しています』と告げるだけで良い」
「そんなので見つかるんですか?」
「余は別方面から攻める」
そう話し合うと、二人は別行動を始めるのだった。
アリスが最初に訪れたのは、指定された工事現場だった。
きょろきょろと、話が出来そうな人を探していると、恰幅の良い安全帽をかぶったおじさんが話しかけてきた。
「お嬢ちゃん、ここは工事現場だから危ないよー? 遊ぶなら他の場所にしなー?」
ニコニコと笑顔で話しかけてくれるおじさんに、若干気不味い思いを浮かべたが、意を決して本題を切り出した。
「サーニャさんの鶏が逃げ出しました。それを探しています」
その言葉を聞いたおじさんは、帽子を整え、真剣な目で問い質す。
「冗談じゃねえよな?」
「はい」
真摯なアリスの瞳に、何かを感じ取ったのか大声を張り上げる。
「緊急警報発令! 緊急警報発令! サーニャのチルドレンが行方不明! 総員作業を中止して撤収後、捜索任務にあたる!」
ざわっと、一瞬現場が騒然となったが、すぐに周囲の人間が動き始める。
「え、え、ええっと?」
「俺は次の現場に伝えてくる。お嬢ちゃんはこっちへ行ってくれ」
工事現場のおじさんは、メモに走り書きをすると、急いでアリスに渡す。
「時間が勝負だ……頼んだぞ!」
「は、はい!」
受け取ったメモを握りしめ次の場所へ向かう。
聖騎士になってから、いや生まれて初めてかもしれない。
伝言役とはいえ、こんなにも多くの人に支えられ、信頼され、働けるのが嬉しかった。
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その頃、魔王は警備隊の詰め所に駆け込んでいた。
扉を開けると、開口一番こう叫ぶ。
「サーニャの鶏が逃げ出した! すまんが手伝ってくれ!」
その言葉を聞いた警備隊の面々の反応は様々だった。
がっくりと項垂れる者。
両手で顔を覆い、天を仰ぐ者。
手を組んでひざまづき祈りを始める者。
絶望的な空気が部屋の中に漂っていた。
「今こそ恩返しの時じゃねえか!」
一人が立ち上がり呼びかける。
「そうだな。魔王さんにはいつも世話になってるし」
「うちの子どもの面倒も見てくれてるしな」
「俺たちが楽してられるのも魔王さんのお陰でもあるし」
全員が立ち上がり頷く。
「よし! 全員出動だー!」
その言葉に呼応して、警備隊が駆け出していく。
「ありがとうの! 余は次の場所に向かうのだ!」
魔王は、子ども達の集まる場所に走って行った。
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アリスが、冒険者ギルドで助けを乞い、外に出ると町は大騒ぎになっていた。
大人から子どもまで町を駆け回り鶏を探している。
余りの事態に、アリスが困惑して立ち尽くしていると、警備隊と思われる一人の青年に声を掛けられた。
「ぼーっと立ってちゃ危ないぞ! お嬢ちゃんも、一緒に頑張ろうぜ!」
そう言って、アリスの肩を叩く。
「は、はい!」
その答えに満足したのか、ニヤリと笑って駆け出していく青年。
自分も、後を追うように駆け出していく。
色んな人が大騒ぎで自分を手伝ってくれる。
それは、まるでお祭りのようで、不謹慎ながらも、ちょっぴり楽しいと感じてしまうアリスだった。
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『教会』は精霊を崇め奉り、信仰の対象としている集団である。
その教会によって対魔物用に作られたのが『聖騎士団』という軍隊だ。
アリスの生まれたスガティニア家は、代々聖騎士団の団長を務める由緒正しき家系である。
しかし、先代の団長、アリスの父が病に伏せったため、現在は他家の者が団長を務めている。
そんな中、アリスは家の期待を一身に背負って13歳の若さで異例の入団を果たすことに成功。
次期団長として、一目置かれている存在になっていた。
だが、幼い頃から英才教育を施されてきたとはいえ、まだ子ども。
聖騎士団の末席に所属しているとはいえ、聖騎士団の練習などには入れて貰えない。
要するに、家名を上げるため、スガティニア家の工作により、名前だけでもという名目上の形だけで入団させられたのだ。
「とんだ茶番ですわね」
騎士団の練習を、特別に用意された個人用の部屋から見下ろしながら一人呟く。
勿論、アリス自身、幼い頃から父の背を見て育ち、聖騎士団には入りたいと思っていたが、この様な不本意な形ではない。
実力もないまま、特別扱いされての入団。
これでは、アリスでなくとも誰でも良かったではないか。
同じ騎士団の人々にも、『スガティニア家のお嬢様』として扱われ、距離を置かれている。
同年代の友人なんているわけもない。
このまま家の為に利用され、誰にも認められないまま過ごしていく。
そんな人形のような生き方が嫌になっていたアリスは、手元の紙を見る。
「魔王……」
魔王を倒せば、自分自身という者が認められる。
アリスは、自らの存在を知らしめるべく旅立ったのだった―
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夕暮れが近づいた酒場の前では、観衆に見守られ、次々と鶏を運んでいく魔王とアリスの姿があった。
「これで最後ですわね」
手に持った鶏を柵の中に入れたアリスは額の汗を拭った。
みんなと協力し、やり遂げた満足感で一杯のアリス。
その横では、魔王が鶏の数を数えている。
「おかしいの?」
ボソリと魔王が呟いた。
その言葉に不穏なものを感じたアリスは魔王を見る。
「どうしたんですの? 町中探して集めたではありませんか」
「十四匹しかおらぬ……い、一匹足りぬ……」
魔王の顔が青くなっている。
アリスも慌てて、柵の中の鶏を数え始める。
ちょこまかと動いている鶏を数えるのは大変だったが……。
「十三、十四……そ、そんな……」
がっくりとへたり込んで項垂れるアリス。
「これ以上、探す場所なんてないよな……」
「行きそうな場所は全部見たぜ……」
「家の床下まで見て回ったもんな……」
見守っていた観衆も、各々に話している。
絶望的な空気が辺りに漂い始める。
魔王は、アリスの両肩をがっしり掴んで言った。
「お主は良くやった。だから、後は余にまかせておけ!」
「で、ですが……それでは貴女が……」
「大丈夫だの。これでも余は魔王だの」
ニッコリと笑いかける魔王。
それから、ゆっくりと立ちあがり、サーニャの家の扉へ向かう。
「全ての責は余にある」
違う! と叫びたかったが、震えて声が出ないアリス。
ただ、縋るように手を伸ばし―
「何してんの? 新しい遊び?」
不意に声が掛けられた。
その言葉に、魔王が振り向くとナージャが立っていた。
「ゆ、勇者よ……余はこれから死地に向かわねばならぬのだ……」
「ふーん。大変ね」
ナージャは魔王の言葉を聞き流して、テコテコと鶏のいる柵の前に歩いていき、手に持った鶏をゆっくり下ろす。
「ポチョムキン、もう逃げちゃ駄目だよ?」
ニッコリと鶏に話しかけるナージャ。
「ゆ、勇者よ? そ、その鶏をどこで……?」
「ああ、ポチョムキンなら、町に帰る途中の道……町を出てすぐの所にいたから拾ってきたんだけど」
呑気に答えるナージャ。
そこに、ギィィィッと扉と扉が開き、老婆が顔を出す。
「あ、サーニャさん。こんばんわー」
「はい。こんばんわ」
老婆はナージャの挨拶に答え、柵の中の鶏を見ると、満足そうに頷いて扉を閉めた。
瞬間、固唾を飲んで見守っていた観衆から、割れるような拍手と歓声が巻き起こった。
「え? え? 何? どうしたの?」
突然の歓声と拍手に戸惑いながら周囲を見回すナージャ。
そして、巻き起こる勇者コール。
「勇・者・様! 勇・者・様! 勇・者・様!」
「と、とりあえず皆さん落ち着いて!」
必死に騒ぎを収めようとするナージャだった。
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いつもの様にソファーに座る魔王。
テーブルには食事が置かれており、向かいにはナージャとアリスが座っている。
「そんな事が起こってたのね」
半目になりながら、魔王を見つめるナージャ。
横では、なぜか、頬を染めてもじもじしながら、チラチラとナージャを見つめているアリス。
「こっちは命がかかっておったのだ!」
そう言い放ち、酒を煽る魔王。
「アリスちゃんだっけ? 貴女もこのヘンテコ魔王に付き合わされて大変だったわね?」
「ち、違うのだ! 元はと言えばアリスが……」
「わ、わたくしが悪かったのです……」
しょんぼりと項垂れるアリス。
その言葉が意外だったのか、魔王もキョトンとしている。
「あら? でも無事に解決したんでしょう? だったら良かったじゃない」
「で、でも、最後は、勇者様にまで助けて頂いて……」
「それこそ気にしなくて良いわよ。偶然だったもの」
「そ、それこそが凄いんですわ! あの時、勇者様のお姿を見た時には、後光が射して見えましたもの!」
「それは夕日が丁度そう見えたんじゃないかな……」
乾いた笑いを返すナージャ。
「いいえ! 貴女こそ、わたくしが思い描いていた勇者様そのものですわ!」
「そ、そんなに褒められても困るんだけど……」
「これからは、『お姉様』と呼ばせて頂いても宜しいでしょうか!?」
両手を握りしめ縋るように頼んでくるアリス。
「べ、別にいいけど……」
「ありがとうございますわ! お姉様!」
そう言ってナージャに抱きつくアリス。
「お主、その気があったのかの?」
「ん? 今更、兄妹が増えたって困らないわよ?」
魔王は嘆息すると酒を飲んだ。
カウンターでは、スミス、ダリル、マルカ達冒険者が食事をしている。
魔王たちの様子を眺めながら、スミスが店主に聞く。
「んで、結局何があったんですか?」
「なにも。いつも通りでやすよ。世は全て事もなしってね」
その答えに、不思議そうな顔で見つめ合うスミスとダリル。
マルカは、騒いでいる魔王たちを見ながらお茶を飲む。
「いつも通りですね」
そう言って笑うのだった。




