魔王さんと魔物討伐
「これ、勝てる気しませんぜ」
「矢が何本あっても足りんな」
「倒す前に魔力切れになる自信があります」
「気が遠くなるの」
「手に負えそうもないわね」
ナージャ、魔王、マルカ、スミス、ダリルは目の前の光景を見てそれぞれに呟いた。
場所は森の中の綺麗な湖の畔。
目の前に広がるのは、湖畔を埋め尽くさんばかりにいる無数のスライムの群れだった。
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話は三日ほど前に遡る。
いつもの酒場で、ナージャと魔王は床に正座させられていた。
「良いですか? いくら魔王さんでも、冒険者に払うといったお金を半額で済ませようなんて話は通じないんです!!」
「はい……」
目の前にいる、冒険者の魔法使いマルカは腕を組んで魔王に怒っている。
「あの、なんで私まで……?」
片手を上げて、質問するナージャをギロリと睨みつけるマルカ。
「勇者様も勇者様です!! 祭りの主賓席に乗り込んで来るだなんて、他所でやったら切り捨てられても文句は言えないんですよ!?」
「す、すみません……」
しょんぼりと手を下げて項垂れるナージャ。
精霊祭の時、護衛に呼んだマルカ達に『勇者を止められなかった』という理由で半額しか払わなかった魔王と、マルカ達が引き止めるのを無視して主賓室に乗り込んだナージャは、二人揃って怒られていた。
マルカ達が乗り込んできた時は、我関せずを通して食事をしていたナージャだったが、魔王に『勇者も悪いのだ!』と叫ばれて、反論を始めたのが失敗だった。
連帯責任という名目で、二人で怒られることになった。
目下、マルカのお小言が炸裂中である。
「そうは言われてもの? 余もお小遣いが心許なく……勇者よ、お主何とかならんかの……?」
「私だって、そろそろ蓄えがきつくなってるんですよ……」
小声で話し合う二人。
「聞いてるんですか!?」
マルカの怒声に、二人は慌てて姿勢を正す。
「あの、おっかない人、アンタの仲間らしいぜ」
「余計な事を言うな。飛び火するぞ」
スミスとダリルは独り言のように呟きあった。
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こうして、魔物討伐の依頼を手伝うことで、手を打とうという話になり、お手軽なスライムを討伐するつもりで、町から離れた森の中の湖までやって来たのだが、目の前には絶望的な光景が広がっていたわけである。
「割に合わないにも程があるな」
「でも、放っておくわけにもいかないし……」
ダリルの言い分も分かるが、この群れが人里近くまで行くと恐ろしい事になるのは必然だ。
「これ、軍隊呼ぶ規模よね?」
「普通に戦おうとしたらリンクされて終わりだの」
スライムなど、一部の魔物は『リンク』と呼ばれる行動を取る。
群れの中の一匹が襲われると、周囲にいる同じ魔物が集まってきて反撃を始めるのだ。
つまり、この場合、スライム一匹でも攻撃した場合、湖畔にいるスライムが総掛かりで襲ってくることになる。
想像して嫌になったのか、頭を振ってからスミスが言う。
「魔王さんの魔法でドカーンっとやっちゃえませんかね?」
「湖ごと吹っ飛んで地形が変わるの」
魔王のすげない返答に、スミスががっくり肩を落とす。
「勇者様の魔法とか……必殺技とかないんですか?」
「私は魔法使えないし、必殺技なんてないわよ」
ナージャの言葉に、驚愕の顔を浮かべる四人。
「ちょっと、なんでそこまで驚くのよ? 魔王さんまでポカンとしちゃって」
「だ、だっての? 必殺技はともかく勇者にしか使えん魔法とかあるしの? 大体、勇者って大概の魔法は使えるはずなんだがの?」
「魔法を教えてくれる人がいませんでしたから」
「剣だけで旅をしてきたんですか!?」
「そうよ?」
アッサリとした返答に、何故かマルカと魔王が憐みの目を向けてくる。
「余も手伝うからの? 今度魔法を覚えようの?」
「私も手伝いますよ?」
「ちょ、ちょっと、その可哀想な子を見る目を止めなさい! それよりも、この状況をどうするかが問題でしょう!? 貴女、仮にも魔王なんだからちょっと命令してどっか行かせなさいよ!」
「お主は公園にいる鳩の群れと話して、どこかに移動させられるかの?」
どうやら以前、イナゴと同じと言っていたのは本当らしい。
「でも、それじゃ打つ手がありませんね」
「かといって、このまま報告に戻って、軍を要請して、再度ここに戻って来るまでに、どれだけ増えているか分からんな」
その言葉に、魔王は頷くと、スライムの群れを指差して宣言した。
「こうなったら余たちが解決する! 力技しかないの!」
魔王は湖畔の近くまで歩いていくと、魔法を詠唱する。
「スリープ!」
放たれた魔力の風が広がり、湖を通り抜けるようにして流れて行った。
その風に触れたスライム達はゆっくりと動きを止めていく。
「おお、これで安心して戦えるってもんだ!」
嬉々として剣を抜こうとするスミスを魔王が止める。
「剣を使うのは止めておくのだ。 終わる頃にはボロボロになっておるぞ」
「でも、それじゃどうやって戦うんで?」
頭を掻きながら質問するスミスを放置して、魔王は森の中へ入っていく。
不思議そうに、それを眺めている四人だったが、魔王は枯れ枝の棒をいくつか持って帰ってきた。
「余が直々にスライムの簡単な倒し方を教えよう!」
そう言って、枝を一本持つと、スライムの近くに歩いていく、スライムのど真ん中に枝を突き立てる。
すると、ブシュっという音を立ててスライムがみるみる内にしぼんでいった。
「この様に、寝ているスライムは無防備なので、後は中心を狙って棒でも突き刺せば良い」
「おおー」
感嘆の声を上げ、拍手する四人。
「しかし、魔法の効果は半日程度だしの。死骸も放っておくわけにはいかん。手分けして作業するかの」
こうして、スライム達との激闘が始まったのである。
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「スライムって、こんなに簡単に倒せるんだ」
若干楽しくなってきたのか、嬉々としてスライムを潰して回るマルカ。
「このグリーンスライムは睡眠への耐性が低いからの。 他のスライムだと別の方法を考えんといかんの」
目についたスライムを、片っ端から潰していく魔王が答える。
「魔法って便利な物ね」
同じく、スライムを潰しながらナージャが呟く。
「結構、普通に戦うと痛いんですよね。体当たりされると鎧がへこむこともあったりして」
しぼんだ死骸を集めながらスミスが言う。
「死骸は森の方へ集めて持って行けば良いのですね?」
死骸を両手に抱えたダリルが魔王に尋ねる。
「うむ。あとでまとめて燃やすからの。穴を掘って一か所に集めておくんだの」
分かりましたと返事をして、森の中へ入っていく。
この時までは、全員気楽に作業をしていた。
まだ、自分たちが地獄の入り口に立ったことも知らずに―
二時間後。
「こ、腰が痛い!」
胸を反らしながらマルカが呟く。
「だから力技だと言ったじゃろ?」
魔王も腰を叩きながら返事をする。
「とんだ力技ね……」
背筋を伸ばしながら溜息を吐くナージャ。
「こっちも、しゃがんだり立ったりの繰り返しで意外に辛いぜ」
要領を掴んだのか、最初の頃より多くの死骸を抱えたスミスが言う。
「穴がそろそろ埋まって来たな……次の穴も掘る必要があるぞ」
同じく両手に死骸を集めているダリルが言う。
マジかよーというスミスの嘆きが辺りに響き渡った。
四時間後。
「これ、潰している間に増えてたりしませんよね……」
座った目で、スライムを眺めるマルカ。
「眠っているから大丈夫だと思うがの……」
半目のままスライムを潰し続ける魔王。
「口より手を動かしましょ……こ、腰が」
スライムを潰そうとして、屈んだ瞬間、痛みにのけ反るナージャ。
「休憩しませんかね?魔王さん」
手袋も胸当てもベタベタになってしまったスミスが言う。
「魔法が解けるまでは作業せんとの……」
魔王の答えにしょんぼり頷いたスミスは死骸を集め続ける。
「ダリルはどうしたの?」
マルカが尋ねると、スミスが嘆息しながら答えた。
「無言で穴を掘ってる」
その答えを聞くと、マルカは観念したようにスライムを潰す作業に戻った。
六時間後。
「これ、何かの罰ですかね……?」
誰に問いかけているかも分からない状態でマルカが呟く。
「余は、三百年の歴史の中で今一番働いておるの……」
遠い目をしながら魔王が呟く。
「勇者ってスライムを潰すのが仕事だっけ……」
瞳の輝きを失くしたナージャが自問自答を始める。
「農作業より辛いかもしれない……」
死骸を拾う度に溜息を吐くスミス。
「何か穴を掘るのが楽しくなってきました」
ダリルが違う世界に飛びかけていた。
八時間後
日暮れも近付いてきたので、全員無言で死骸集めの作業を始める。
ナージャが夕暮れに染まりつつある湖畔を見つめながらボソリと言った。
「まだ、一杯いるわね……」
全員の動きが一瞬止まる。
「明日は夜明けから始めるかの……」
魔王の言葉に、全員が遠い目になった。
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二日目。
誰も何も言わずに作業していたが、些細な切欠でナージャと魔王が喧嘩を始めてしまう。
マルカの喧嘩両成敗のビンタにより、喧嘩は終結。
ギスギスした空気が漂う中、二日目の作業は進んでいった。
三日目
全員が泣き言を言いながら作業を進める。
そんな中、スミスの『エールが飲みてえ』という言葉に魔王が発狂。
ナージャが取り押さえて作業に戻らせる。
ダリルは『冒険者一、穴を掘るのが上手くなったと思います』と豪語していたが、他の皆には聞き流されていた。
四日目
ようやく湖の半周を制覇する事に成功。
『もう湖ごと吹き飛ばせば良いじゃない』というナージャの言葉に、全員が頭を悩ませるが、あと半分で終わるという希望も見えてきたので作業を続ける。
ダリルは、穴を掘っている時だけ笑うようになった。
五日目
全員が微笑みを浮かべて作業するようになっていた。
ただし、目は一切笑っていない。
スライムを突き刺す音と『ウフフフ』『アハハハハハ』という静かな笑い声だけが湖に響き渡っていた。
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六日目の夕暮れ。
ナージャの叫び声が響き渡った。
「これで終わりよ!!」
目の前のスライムがしぼんでいく。
ナージャは感慨深く立ち上がり、腰を叩いた。
果てのない作業だと思われていたこの戦いが、ようやく終わりを告げたのだ。
後ろから、拍手が聞こえてきた。
ナージャが振り返ると、魔王、マルカ、スミス、ダリルが笑顔で拍手している。
「一時期は本当に終わらないかと……」
マルカが涙を浮かべている。
「魔王を働かせた唯一のパーティじゃの」
魔王が満足そうに頷いている。
「スライムスレイヤーって称号貰っても良さそうだけどな」
スミスが苦笑いしている。
「で、次の穴を掘りますか?」
真顔で言うダリルを全員が悲しい目で見つめる。
ダリルは尊い犠牲になったのだ。
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帰り道の途中で、ダリルを何とか正気に戻すことができた。
『もう穴は掘らなくて良いんですね』と泣き崩れたダリルが印象的だった。
町に戻った一同はギルドに乗り込んで盛大に喚き散らした。
この一週間がいかに大変であったかを時に淡々と、時には盛大に語り尽くした。
それを聞いたギルド職員は、怯えながら報奨金を渡してくれた。
元の十倍以上の額である。
倒した数で割ると、相場より全然少ないのだが、それでも全員が満足していた。
酒場に戻り、盛大にお祝いを始める。
「やはりの? 余の作戦が上手くいったんだの?」
「私、今ならレイピアとかうまく使えるかも」
「魔法があったら、もっと楽だったのかしら?」
「何か結構力が付いた気がするんだよなー」
「おかしい。弓を持ってもしっくりこない」
思い思いに語り合いながら飲みあっていた所へ酒場の扉が開いた。
「すみませーん! こちらにスライム駆除の業者さんがいると聞いたんですがー!」
「違う!!!!」
全員の声が綺麗にハモった。




