魔王さんと白い花
宿に戻ったナージャは、部屋の窓を開けて町を眺めていた。
時刻は深夜になったというのに、まだ遠くから喧騒が聞こえてくる。
きっと夜が明けるまで騒ぎ通すのだろう。
自分の村でも大人たちが夜通し騒いでいたのを思い出す。
「その祭りが、魔王発案なんてねえ……」
何とも複雑な気分である。
ちなみに変装についてだが、店主などに問いただしたところ、明後日の方向を向きながら、何も知りませんの一点張りだった。
どうやら、町の人々にもバレバレだったようである。
子供の頃から知り合いだとはいえ、ちょっと魔王に甘すぎるんじゃないかと考えていると、通りを歩いていく人影が見えた。
「また、何かやらかすつもりじゃないでしょうね?」
ナージャは、嘆息すると部屋を出て良く知っているその人物を追うのだった。
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辿り着いたのは、町の外れにある海の見える崖の上だった。
満天の星空の下、海を眺めて立っている魔王。
その後ろ姿は、どこかとても寂しげに見えて声を掛けるのが一瞬ためらわれた。
無言のまま、ナージャが一歩踏み出した時、魔王が喋った。
「ウィルが死んだよ」
突然の言葉に、声が出なかった。
「余は魔王だからの。人の生命力を見ることができる。最近、ウィルが衰えている事は手に取るように分かっていた」
「だったら―」
何か方法がと言いかけたナージャの言葉を魔王が遮る。
「何も出来んよ。人の命は定められたものだからの」
「……」
「思い残すことはないと言っておった。羨ましいのう。妬ましいのう」
星空を見上げる魔王がぽつりと呟く。
「また、置いていかれたの」
二人の間に沈黙が訪れ、波の音だけが小さく聞こえてくる。
魔王の肩が小刻みに震えているのが見えた。
「貴女……」
ナージャの言葉に振り返った魔王は、とても悲しげな目をしていた。
「魔王だからかの。泣く事も出来ぬ。涙が出ぬのだ」
「……」
「魔王だから死者を弔う事も出来ぬ。行き先が変わってしまっては困るであろ?」
俯いて自嘲する魔王。
ナージャには掛ける言葉が見つからなかった。
魔王として生まれて三百年。
多くの人と出会い、それと同じくらい別れを繰り返してきたのだろう。
別れの度に、悲しみだけが積み重なって行き、寂しさを味わい続けるのだ。
たった一人だけで―
そして気付いた。
最初に出会った時に言われた台詞。
『この時を待っていた』
ナージャだけが、魔王の悲しみを止めることができる。
覚悟を決めたナージャはゆっくりと魔王に歩み寄っていく。
魔王は微笑みながら、それを迎える。
「すまんの―」
ごちん! という盛大な音が鳴り響いた。
ナージャが魔王に思いっきりゲンコツを落としたのだ。
尻もちを付いて頭を抑える魔王。
「い、痛いの! まさかの撲殺かの!? お主、いくらなんでも残虐過ぎんかの!?」
「バカ言ってんじゃないわよ!!」
ナージャの目からは大粒の涙がこぼれていた。
それを、ポカンと見上げる魔王。
「貴女が泣けないなら、代わりに泣いてあげるわ! 貴女が弔えないなら、代わりに花を手向けに行くわ! だから、そんなバカみたいな考えには絶対に付き合って上げない!」
大声で叫ぶと、蹲って泣き始めるナージャ。
魔王は、それを困った顔で見ていたが、やがてゆっくりと手を伸ばしてナージャを抱きしめる。
「ありがとうの」
ナージャの泣き声と、波の音が静かに響き渡っていた。
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「どんな花が良いのかの?」
月明かりの下で、ごそごそと地面をはい回る魔王。
手伝おうかと申し出たのだが、自分の仕事だからと断られたナージャは黙ってそれを見ていた。
「大分集まったの!」
茂みから出てきた魔王の手には、いくつかの小さい花があった。
いそいそと、それをナージャに渡す。
「頭に葉っぱが付いてますよ」
「おお、すまんの」
とりあえず頭の葉っぱは払ってみたものの、服にもついてるし、泥だらけだし、何とも情けない格好であるが、本人は満足そうである。
「大きい花も欲しいのう」
キョロキョロと辺りを見て回る魔王。
やがて、崖を見下ろしてナージャを呼ぶ。
「あれが良いの!」
ナージャも見下ろしてみると、崖の中腹に大きな白い花が咲いていた。
「取れるんですか? あんな場所」
「余に任せるが良い!」
言うが早いか、崖の出っ張りを利用してスルスルと降りていく魔王。
「気を付けてくださいよー」
「分かっておるー」
器用に花の近くまで行ったが、それ以上は進めないらしく、懸命に手を伸ばしている。
「あと、あとちょっと……」
花を摘まもうとした瞬間、足が滑ってそのまま崖の下に落ちていく魔王。
ドボンと海に落ちる音が鳴る。
「ちょ、魔王さん!?」
慌てて呼びかけるナージャ。
「大丈夫だの! 魔王だからの!」
呑気な返事にひとまず胸を撫で下ろす……と、そこでナージャはある事に気付いて、魔王に問いかける。
「魔王さんって、空飛べましたよね?」
返事がない。
しばらくすると、バサバサと翼を広げて、手に花を持った魔王が上がってきた。
顔が真っ赤である。
「忘れてましたね?」
「ここの所、そんな事、なかったからの……」
もにょもにょと恥ずかしそうに言い訳をしながら手にした白い花をナージャに渡すのだった。
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翌日、ウィルの葬式を終えたナージャは酒場に戻ってきた。
「いらっしゃいませ勇者様」
カウンターに立っている店主が挨拶をする。
何となく、いつもウィルが座っていた席に目をやると、一杯のジョッキが置かれていた。
「私なりの弔いってやつです」
ナージャの視線に気付いたのか、店主が答える。
「どうだったかの?」
酒場の奥に座っていた魔王から声を掛けられた。
「ちゃんと渡してきましたよ。それに」
「それに?」
「とても安らかな顔でした」
「そうかの」
魔王は静かに微笑んだ。
「私も食事を―」
と、席に座った瞬間、酒場の扉が勢いよく開く。
どかどかと入り込んできたのはマルカ達冒険者三人組である。
「ちょっと魔王さん! 護衛のお金が半分まだなんですけど!」
「困るぜ! いくら魔王さんと言えども払うもん払ってもらわないと!」
「だって、お主ら勇者を止められなかったではないか!」
「それとこれとは話が別です!」
ちらりと、ナージャに目を向ける魔王。
「こういうのも代わって貰えんかの……?」
「お断りします」
ニッコリと微笑み返すナージャ。
「やっぱり勇者は鬼だの! 悪魔だの! 血も涙もないの!」
「さあ、出すもん出して貰いましょうか」
「ちょっとジャンプしてみましょうか魔王さん?」
「強盗だの! こいつ等、冒険者じゃなくて強盗だの!」
別れがあれば、新しい出会いもある。
本人が望むものとは限らないが。
とりあえず何を食べようかとメニューと睨めっこを始めるナージャだった。




