精霊祭
ナージャが宿を出ると、通りがいつも以上に騒がしいのに気付いた。
何があったのだろうかと、辺りを見回していると、木製のお面を被った子ども達が走って行くのが見えた。
「精霊祭か。もうそんな時期なのね」
精霊祭は、初秋頃に行われる祭りで、一年の無事と来年の豊作を祈願し、精霊に感謝する習わしである。
木製のお面を被るのは、精霊がお祭りに参加しても分からないようにするためだと言われている。
町の広場に出ると、中央には焚火用に大きな丸太が組まれており、周囲では屋台の準備が進められていた。
ふと、その中に見知った顔を見つけたナージャは声を掛ける。
「店主さーん! こんにちはー!」
「おや、勇者様」
酒場の店主は、ナージャに気付くとぺこりと頭を下げる。
「店主さんも屋台を出すんですね?」
「いつも通り、酒を売るだけですがね。今日ばかりは外に出ないと売り上げが立たないもんで」
困ったように笑う店主に釣られ、ナージャも苦笑いしてしまう。
確かに、祭りの中心である広場の近くならともかく、町の外れに近い酒場を利用する人は滅多にいないだろう。
「そういえば魔王さんは?」
「精霊への感謝の日ですからね……。今日はずっとご機嫌斜めだと思います」
酒場で例のミノムシ状態になっている姿が頭に浮かぶ。
さすがに、自身の宿敵とも言える精霊を祝う祭りに参加などする気にはなれないのだろう。
「そっとしておいてあげやしょう」
「それもそうですね」
「では、準備がありますんで」
店主はそういうと、屋台の方に向いて酒瓶を並べたりと働き始める。
これ以上は邪魔になってしまうだろうと判断したナージャは、町の様子を見物してみることにした。
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一応、冒険者ギルドにも寄ってみたが、閑散としていたため、この日は冒険者たちも祭りに参加するつもりなのだろう。
自分も羽を伸ばすのには良い機会かと思い、活気のある町を見て回るのが楽しかったため、広場に戻ってくる頃には日暮れ近くになっていた。
そこに、一台の豪華な馬車が入ってきた。
「お、領主様のお出ましだぜ」
周囲の人々がざわめき始める。
馬車から降りてきたのは、白髪交じりの黒髪をした中年男性だった。
細みで長身のため、タキシードがとてもよく似合っている。
「キャー! 領主様ー!」
観衆の中から黄色い声が上がるのも頷ける。
貴族という者は、横柄で小太りな人ばかりだというのは、ナージャの中の勝手なイメージだったらしい。
続いて、領主が手を差し出すと、馬車の中から女性が現れた。
領主にエスコートされ、馬車を優雅に降りる女性。
ティアラを付け、綺麗な金髪は纏め上げられており、純白のドレスを着たその女性は、まるで本の中で描かれているお姫様のよう―
「は?」
女性の顔を見て、思わず素っ頓狂な声を上げてしまうナージャ。
女性はお面の代わりに、メガネを掛けていた。
ビン底のように分厚いレンズと、付け鼻と付け髭が一体化した、いわゆる鼻メガネである。
「ハナメガネーゼ様だ!ハナメガネーゼ様が今年もいらっしゃったぞ!」
「本当に素敵なお面ねえ」
「何と美しいお姿だ……」
衆人の声を聞きながら、頭を抱えるナージャ。
周囲の人に応えるように、口元に笑みを浮かべ、優雅に片手を振って挨拶をするハナメガネーゼ様(仮)。
彼女の正体は分かっている。
右手の刻印が教えてくれる。
しかし、いくらなんでもこの状況はあり得ない。
腕を組んで、思いっきりハナメガネーゼ様(仮)を睨みつけるナージャ。
向うも、こちらに気が付いたらしく、目が合うとピタリと動きを止め、やおら領主と腕を組むと、そそくさと主賓席に歩いていく。
「あんのバカ……!」
ナージャは、それを追うように主賓席へ向かっていくのだった。
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ハナメガネーゼ(仮)は主賓席で領主の横にある椅子に座ると、両手を合わせて俯き、冷や汗をダラダラとかいていた。
バレていない……バレていないはずだ……自分の変装は完璧で、今まで一度も見破られたことがない。
安心しろ大丈夫だと何度も自分に言い聞かせる。
「ま……、ハナメガネーゼ様? 顔色が優れないようですが?」
「いいえ、大丈夫です。少し人が多くて戸惑っただけですわ」
心配そうに声を掛ける領主に返答する。
それにもし気付いたとしても、主賓席までは乗り込んで来られないはずだ。
万が一に備えて、今日の為に冒険者であるマルカ達を雇い入れ、主賓席の護衛に付けているのだ。
彼女が来ても、絶対に入れないように言い含めてある。
領主までも巻き込み、安全な位置を確保して祭りを楽しむ完全な計画。
気分が落ち着いてきたので、しっかりと座り直して息を整える。
「お酒を持ってきて頂けるかしら?」
「ええ、分かりました」
領主が指を鳴らすと、メイドたちが入ってきて領主の横にグラスが置かれてワインが注がれる。
「ハナメガネーゼ様にはこちらを」
「ありがと……う?」
顔の横に突き出されたのはジョッキに入ったエールだった。
聞き覚えのある声だった。
ゆっくりと振り返ると、視界の端の入り口でペコペコと謝るマルカ達が見えた。
そのままジョッキを持っている人間を見上げると―
「ハナメガネーゼ様? どうしました? 貴女の大好きなお酒ですよ?」
青筋を立てて笑顔のナージャが立っていた。
「ひっ!? 人違い!! 人違いなのだ!!」
「あら? ハナメガネーゼ様ですよね? なんでも毎年、精霊祭に参加されていらっしゃる領主様と遠縁のご親戚だとか?」
手に持ったジョッキの柄がミシミシと鳴っている。
領主もばつが悪そうに、そっぽを向いている。
助けはないのかと、周りを見回すが、誰も目を合わせてくれない。
「だ、誰か、た、助け……」
「初めましてハナメガネーゼ様。私、精霊に選ばれました勇者のナージャ=フレアルディカと申します。どうやら精霊を祀るこの祭りの主賓席に、魔王の手の者が紛れ込んでいるようで……」
バキリと音を立ててジョッキが足元に転がる。
「とんだ粗相を……で、捜査にご協力頂きたく……」
「何で!? 何で余のほっぺたを摘まむのかの!?」
「大丈夫ですよ? 信心深いハナメガネーゼ様なら、きっと試練を乗り越えられます」
「余のほっぺたに何の恨みがあるのだ!?」
「良く伸びると評判ですので」
「やめ、やめひぇええええええええええええ」
魔王さんの断末魔が主賓席に響き渡ったが、それは祭りの喧騒で綺麗にかき消されていた。
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「で、どういう事なのですか? 魔王さん?」
「ハナメガネーゼなのだ……」
頬を擦りながら、魔王がそれでも反論をする。
隣にいる領主が両手を上げて降参のポーズを取り、それに続く。
「勇者様は、精霊祭の由来をご存知で?」
思いがけぬ質問にナージャが戸惑っていると、領主は話を続けた。
「そちらにいるハナメガネーゼ様のご先祖が始めたのが最初なんですよ」
「え!?」
思いがけない言葉に魔王の方を向くナージャ。
魔王は、コクコクと頷いている。
「その、余が……。いや、余のご先祖様がの? 祭りの一つでもないと酒が飲めんと思っての?」
「はあ?」
「まさか300年で、大陸全土に伝わるとは思ってなかったの」
「ちょっと待って、つまり何? 貴女がでっち上げた祭りなわけ?」
「で、でっち上げたとは人聞きが悪いの! そう!古来から伝わる風習を復活させたのだの!」
「もしかして仮面着けるのって……」
「余が居てもバレないように……。いやぁ!? ほっぺはもう嫌なのじゃ!?」
「まあまあ、落ち着いてください勇者様」
領主に窘められて手を引っ込めるナージャ。
「私も初めて聞いた時は驚いたものです。 ですが、ご覧ください」
領主に言われ、広場に目をやる。
そこには、火を囲んで踊る人、酒を飲んで騒ぐ人、老人から子どもまでが楽しそうに過ごしている。
「始まりはどうであれ、人々が楽しく過ごせる良い機会ではありませんか」
「そうですね……」
思えば、この魔王に関わると大体そんな目に会う気がする。
きっと昔の人達も、この魔王の奇天烈な話に巻き込まれてきたのだろう。
それが歴史として積み重なっていく。
何もしない魔王の歴史。
ある時は人に迷惑をかけて、ある時は人を助け。
お節介で優しい魔王の歴史―
「そうですね」
ナージャは静かに頷くのだった。
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まさか勇者にバレるとは思わなかった。
魔王は酒場に戻ると、もそもそと毛布を取り出す。
やはり、鼻メガネが失敗だったのだろうか?
などと、見当違いな事を考えながらソファーに寝そべる。
しかし、祭りの起源を知った勇者の顔は傑作だった。
あのまま絵画にして、この酒場に飾りたいくらいだ。
「フフフ……」
寝返りを打っても思い出し笑いを堪えきれない魔王。
そこに、人がやって来る気配がした。
ソファーから起き上がり、人の気配がする方を見据える。
そこに立っていたのは酒場の常連客の老人だった。
「ウィル……?」
「はい、左様です。魔王さん」
「どうし……」
声を掛けようとして気付いた。
すでに彼はもう―
「最後の挨拶に参りました」
一瞬、声を上げて、手を伸ばしかけたが、諦めたように手を戻して嘆息する。
「良き人生であったか……?」
俯いたまま尋ねる。
「お陰様で。思い残すこともありませぬ」
「そうか。達者でな」
魔王はウィルに微笑みかける。
「はい。先に休ませて頂きます……」
消えていくウィルの姿を、微笑みは絶やさぬまま、恨みがましい瞳で見続ける魔王だった―。




