勇者の決意
ナージャ=フレアルディカは15歳まで普通の少女として過ごしてきた。
生まれたのは特に特徴もない村。開拓され、ようやく農業が始められたような村だった。
そんな中、農家の次女として生まれ、物心ついた時には朝から晩まで親の手伝いと兄妹の子守。
腕白だった部分もあり、近所のガキ大将と言われる男の子を木剣で〆て回った事もある。
ただ、漠然と、このまま結婚をして子供を産み、この村で一生を終えるのだろうと思っていた。
16歳を超えたある晩までは―。
夜中に目を覚ましたナージャは、布団の中で寝転がる。
まだ、夜明けには早過ぎる。兄妹を起こすわけにはいかないし、眠気もまだ残っている。
しかし、どうにもトイレに行きたくなった。
春までもう少しとはいえ、まだ寒さが残るこの季節は、布団で寝過ごすか、尿意を我慢するかの二択に悩まされる。
16を超えて粗相など、兄妹の手前言語道断だと理性が割り切った時、ナージャは意を決して布団を跳ね除けると、迅速にトイレに向かった。
用が済んで、トイレの扉を開けた瞬間にそれは起こった。
突如として眩い光が目の前に現れ、フレアルディカは慌てて腕で目を覆う。
意地悪な兄がランタンを持って待ち構えていたのかとも思ったが、この光は尋常じゃない。
「恐れることはありません」
優しい声が聞こえるとともに光は徐々に納まって行った。
目の前にいるのは、美しい銀色の髪をした女性。
ドクンと自分の胸が高鳴った気がした。
もし、間違いでなければ、この人は……!
「初めまして。ナージャ」
優しい声が聞こえてきた―
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「ふみゅ……」
そこで目が覚めたナージャは瞼を擦りながら身を起こす。
様々な記憶が駆け巡り、昨日の事が思い出される。
勇者として選ばれた自分が、何もしない魔王に対して何もできなかった。
それは、勇者として恥ずべき行為であり、世界を救う者としてあるまじき行いだった。
ベッドから身を起こすと、顔を洗い、気合を入れ直す。
例え、あれが何もしていないのであっても、災厄の根源である。
世界の敵であることに変わりはないのだ。
軽めに朝食を済ませると装備を整え、昨日の酒場を歩みを進める。
酒場の扉を開けると、店主が居た。
「いらっしゃいませー。ああ、勇者様。魔王さんならご機嫌斜めですんで……」
店主は申し訳なさそうに頭を下げると、奥のソファーに向かって目をやる。
釣られてナージャが目を向けると、そこには頭まで毛布をかぶったミノムシが佇んでいた。
「ああなると、暫く話も聞いてくれないんですよねえ……」
困ったように店主が頭を掻く。
「魔王……なんでしょう?」
「魔王さんは、魔王さんですよ!」
何が嬉しいのか、胸を叩いて答える店主。
いそいそとカウンター下から羊皮紙を一枚取りだして見せる。
「ほら! 町の観光名所にもなっているんですよ!?」
ナージャが渡された羊皮紙を眺めると、そこには町の名所などが書かれていた。
いわゆる、観光スポットのパンフレットという奴であろう。
その中の、ひときわ目立つ位置に『魔王と出会える酒場!』として、この場所が書かれていた。
「あのねえ……」
「いえ、勇者様の言いたいことも分かりますけどね」
両手を広げて大仰に応える店主。
「正直、観光名所なんですよ魔王さん。あの方を目当てに冒険者はもちろん、貴族の方までやって来るんですよ」
その答えに腕を組んで黙考するナージャ。
何もしていないと言っていたが、少なくとも町の観光材料にはなっているらしいミノムシを、じっと見る。
例えば、この状態で魔王を倒したとしてだ。酒場に珍妙なオブジェクトが一つ増えるだけである。
また、自分はこう呼ばれるであろう。
『毛布にくるまって、いじけた魔王を倒した勇者』
考えただけで頭が痛くなってきた。
ちゃんとした、魔王打倒のためには、まずは魔王に機嫌を直して貰わねばなるまい。
つかつかとソファーの方に向かって行き、ミノムシに声を掛ける。
「なにやってるんですか?」
一瞬、ピクリとミノムシが動いたが、返答はない。
勇者は溜息を吐くと、作戦に移る。
先ほど見たパンフレットにヒントが書かれていたのだ。
軽く咳払いをし、なるべく優しい声を心がけて言った。
「お酒奢りますよ?」
「本当かの!?」
ガバっと毛布の中から出てくる魔王さん。
ちょろい。ちょろ過ぎる。
パンフレットに書かれていた『お酒を奢ると、とても喜びます』という言葉は間違っていなかったらしい。
いそいそと、毛布を片付けるとソファーに座り直して、ワクワクした目でナージャを見てくる。
「仲直りのお酒じゃの!」
「えーっと、そうですね……」
ニコニコ顔の魔王に、ナージャは頬を掻く。
これは今日もまともに倒すのは難しそうだと思いながら。
昨日のように料理とお酒が並べられたテーブルを挟んで、二人は食事をしていた。
「美味しいですね!」
「そうじゃろ! そうじゃろ!」
昨日は流れで食べ損なったが、ここの料理はなかなかに美味しい。
鹿肉も美味しかったんだろうか? と昨日のことが余計に悔やまれる。
目の前の料理を黙々と食べながら、ふとまたも流されている自分に気が付いた。
自分は勇者なのだ! 目の前にいるのは魔王なのだ!
まずは、この魔王の悪行を暴かなければと思い、ナージャが質問する。
「魔王さんは、魔王軍について知っていますか?」
「ああ、そういえば、むかーしに『せめて軍隊だけでも作らせて下さい』と言いに来た奴がおったな」
驚きの余り、ナージャの動きがピタリと止まる。
「え、魔族がここに来たんですか?」
「余がテコでも動かぬと知ってな。今でもここに来ることがあるの」
ナージャはカウンターの店主に目を向ける。
「あ、はい。たまにいらっしゃいますよ。魔族の方って綺麗な人が多いんですよね」
などとのんきに余計な情報まで答える店主。
「その魔王軍が各地で暴れ回っているという話は知っていますか?」
「それはないの」
キッパリと答える魔王。
「魔王軍を作った時の約束での。他の種族の国に手を出すなと言っておる。まあ、さすがに攻め込まれた場合は反撃せよとは言ってあるが」
「で、では、各地で暴れ回っているのは……?」
「それ自体が嘘じゃろ。そのような報告も受けてないしの」
「報告が嘘って可能性は?」
「魔王に対して嘘がつける魔族なんぞ存在せんよ。仮に黙って魔王軍が動いても余の千里眼でお見通しじゃ」
得意気な魔王の言葉を聞いて、テーブルに突っ伏すナージャ。
心配そうに魔王が声をかける。
「どうしたのかの? 腹でも痛くなったのかの? 大丈夫かの?」
貴女が原因なのよ! と叫びたいのをぐっと堪えて顔を上げる。
「魔物が群れをなして、町や村を襲っているのは……?」
「イナゴだって大量発生して畑を荒らすことがあるのう。適度な駆除が必要じゃの」
「イナゴと同列なんですか……」
「あれらは人間が勝手に区別しているだけでの。ちなみに魔族の領地でも、魔物が大量発生して村が襲われることもあるのだぞ」
ナージャは自分の中の何かがガラガラと壊れていく音が聞こえた。
この魔王の言葉が真実ならば、今まで聞いてきたことが全くのデタラメという事になる。
魔王軍が様々な国を攻め滅ぼしているだとか、魔物を使って町や村を襲っているだとか……。
ふと、気付いて、最後の噂を確かめる。
「あのー、魔王が火山を噴火させたとか、地震を起こしたとか、嵐を呼んだとか聞いたことがあるんですが」
天災さえ自在に操るという魔王。災厄の根源と呼ばれる由縁である。
「何かあるとすぐに余のせいになるのじゃ! 困った事じゃ!」
何とも不機嫌そうに答える魔王を、ナージャは遠い目で見つめていた。
この魔王を倒す理由が見つからない……。
ナージャも勇者であるとはいえ、元はただの村娘である。
何もしていない相手を、切りつけるのはどうにも納得がいかない。
困った顔をしているナージャを見て、魔王が尋ねてくる。
「どうしたのかの?」
「私には、貴女を倒す理由がありません……」
ぽつりと本音を漏らしたナージャを見て、今度は魔王が困った顔をする。
「それは困るのう」
「へ?」
意外な反応に、ナージャが驚く。
自分を打ち倒そうとしてきた相手が諦めているのに、本人は打ち倒されたがっているのだ。
ふと何か閃いたのか、魔王がにんまりとほくそ笑む。
「さっきまでの話は全て余のウソであったのだ! 騙されたな勇者よ! フハハハハ!」
立ち上がってポーズまで決める始末である。
「嘘吐く人は自分から正直に言いませんって」
「ぐぬぬ……」
ナージャのツッコミを受けて、魔王は悔しそうにソファーに座り直す。
なんという正直な魔王だろう。
「困ったのう」
「困りましたねえ」
難しい顔で考え込む二人。
そこに酒場の扉が勢いよく開いて、子ども達がぞろぞろと入ってきた。
「魔王さーん! 今日も報告に来たよー!」
その声を聞いて、魔王は満面の笑みを浮かべる。
「おお、そうか! もうそんな時間じゃったか! 勇者よ、すまぬがしばしカウンターの方で待っていてくれるか?」
「ええ、良いですけど……」
ナージャは席を立つとカウンターの方へ向かった。
入れ替わるように子供たちが、魔王の前に立つ。
「皆揃っておるようじゃの。さて、今日はどんな事があったのじゃ?」
「木の実を拾いに行きましたー!」
「私達は川で遊んだのー!」
「鬼ごっこしましたー!」
どうやら子ども達は魔王に今日遊んだことを教えているようだった。
一人一人の言葉を聞いて、嬉しそうに頷く魔王。
その光景を不思議そうな顔で見ているナージャに店主が声を掛けてきた。
「昔っからの習慣でね。ここいらの子供たちは、ああやって毎日魔王さんに報告に来るのさ」
「ずっと……なんですか?」
「俺もガキの時分には、ああやってたもんさ」
「ワシもやっておったぞ」
店主に続いてカウンターに座っている白髪の老人が答える。
「なんで……」
「魔王さんが子ども好きというのもあるが、子ども達が心配なのじゃろう。」
「危ない事をしてたら、良く叱られたもんさ」
店主の言葉を聞きながら、再び魔王の方に目をやると、ソファーまで乱入してきた子供たちに魔王がもみくちゃにされている。
ナージャは、どこか懐かしむようにその光景を見ていた。
自分の兄妹たちは元気でやっているだろうか? とりあえず、手紙でも書いてみるか。
そう考え、お代を渡すとナージャは店を後にした。




