第九回 商家の怪 二
黄老人の最後の話が始まりました。別に始まらなくてもいいのに……。
◇
これは昨日の晩の話です。私は自室で書を読んでおりました。夜になるといささか寒うございます。どこからか冷たい風が吹き込んでいるなと辺りを見回すと、天井付近に小さな穴が空いております。使用人に言って補修させよう思い、戸を開けて人を呼ぼうとしましたが驚いて動きが止まりました。
庭が明るいのです。まるで高貴なおかたが花見をしているようです。高く掲げられた灯籠、それに手持ちの提灯が何百と動いております。笑い声と詩を歌う声。まるで夢の世界のようでした。
それに見入っておりますと、突然それらがはたと止まって、私に気付いたのか灯りが一斉に動いてこちらに近づいてくるではありませんか。
私は恐ろしゅうなって、すぐさま戸を閉めて後ろ手で戸が開かないようしたのですが、顔を上げると部屋の中にすでに何者かがおりました。
それは朝服を着ており、まるで大臣のようでした。
心臓が凍りそうでしたが、すでに部屋の外には何者かが迫っております。私は内にも外にもある恐怖にどうすることも出来ずに床にへたり込むと、部屋の中の大臣のようなものが、私など気にも止める風もなく、戸を開けてしまったのです。
すると外にいた化けものどもが部屋の中にずいずいと入って参りました。
先頭のものは、五本指の竜が刺繍された金色の衣服を纏い、頭には前後あわせて二十四本の玉すだれがついた冕冠を被っております。まるで噂に聞く天子さまのようです。
その後ろには文武百官が付き従ってぞろぞろと部屋を埋め尽くしました。
しかしみな小さいのです。私の腰くらい……、三尺ほどでしょうか。その中の天子さまのお姿をした小人が言いました。
「黄氏よ」
「は、はい」
「この屋敷、気に入ったぞ。朕の一族で住まわせてもらう」
とおっしゃいます。この怪異になんの権限があって私は屋敷を差し出さなくてはいけないのでしょう?
しかし数が数です。部屋の中に数千の小人が凄むのです。その中の大臣らしきものが仰いました。
「陛下がありがたくも、ああ仰っておられる。畏れ入って引き下がれ」
「と申されましても、私どもはこの屋敷に代々住んでおります。突然のお話を承るわけには参りません」
「なるほど。そなたにも事情があろう。天子さまは慈悲深いおかた。数日待ってやろう」
そう言うと、その人たちの姿は、ひとつ、ひとつと消えて行き、最後には私しか残りませんでした。
◇
気絶……。私はしばらく魂が抜けたようになり、益徳さんに揺さぶられてようやく目を覚ましました。
むむっ。益徳さんの前で無様なところを見せてしまった! でも可愛いなって思ってくれるかしらね?
ふぅ。少し先ほどのお話を解説させていただきますと、この時代の一尺は今の二十三センチほど。益徳さんは八尺ありましたから百八十五センチくらいですわね。まるでプロレスラーですわ。
私は六尺なので百四十センチ……。旦那と私、すごい体格差ですわね。
ご老人は話し終わった後、益徳さんに深々と頭を下げました。
「お役人さま。この話を役所に話に行きますと、気の迷いと門前払いをくらいました。しかし気の迷いでもありませんし、あのような人数では我らには太刀打ちできません。どうかお力をお貸しください」
その話を益徳さんは腕組みをして聞いておりましたが、しばらく考えてようやく目を開きました。
「うーん、怪異が真っ昼間から現れるのかねぇ。にわかには信じられねぇ話だ」
「本当です! 本当なんです!」
前のめりになって叫ぶご老人を、益徳さんは手を前に向けて制しました。
「まぁまぁ。だったら実際に行ってみりゃ分かる話だ」
「え? お役人さま、お一人でですか?」
「不服かい?」
「しかしあの人数をお一人では……」
そこに私は胸を張って、伯母さまから聞いてました話を黄老人に致しました。
「黄老人。ここにおられる張飛さまは、あの呂布と一騎討ちで渡り合ったこともあるのですよ」
「ええ!? あの呂布と!?」
き~もちいい~。一気にご老人の顔のシワが緩んで、益徳さんを見る目が変わりましたわ。
しかし益徳さんはイジケ顔……。
「へっ。なんで呂布のヤロウのほうが有名なんでィ……」
うーん、そうよね~。たしかに。気持ちは分かりますわ。
さて、ご老人の案内で大きなお屋敷に連れてこられました。なるほど大きいですが、伯父さまのお屋敷よりも少し小さいかな?
「ささ張飛さま、お嬢さま、こちらです」
うう~ん。怖いけど、益徳さんがどんな風にお化けを倒すのか見てみたいしね。
ご老人はさらにお屋敷に上げて下さいました。ご老人の奥さまも、使用人たちも益徳さんの回りに集まってすがり付くようです。
益徳さん、照れてる。可愛い。
益徳さんは大立ち回りがあると思ったのか、私たちをお部屋の端っこに行くように言いました。
なにかが起こる予感。怖いですわ。
すると益徳さんは、そこで大きく踏ん張って、大声で叫びました。
「おい! 怪異とやら! この燕人張飛さまが相手してやる! 腕に覚えがあるやつァ、かかって来やがれィ!」
お屋敷が震えるほどの轟音一声。その後は水を打ったように静寂──。
その静寂が一刻とも二刻とも思えるほどの長さでしたが、途端に天井のほうから『トトトトトト』と鳴り響く足音。
「張飛だ。張飛が来た!」
「張郎中だ、張郎中だ!」
まるで地響きのような音とともに、奥から何千というネズミの大群が益徳さんの足元をすり抜けて行くのです。
「張郎中! 張郎中!」
口々に益徳さんを恐れる声を出しながら、外のほうへ逃げて行きます。中には、人間のように服を着ているものもおります。
益徳さんは大脱走のネズミたちのただ一点を見定めて槍を繰り出すと、断末魔を叫んで槍に突かれているネズミが一匹──。
それはまるで天子さまの出で立ちでしたが、こと切れる頃には装いが消えて、猫ほどもある古鼠が絶命しておりました。
みんなあまりのことに汗だくになって、その場にへたり込んでしまいました。
「どうやらこいつが怪異の元らしいな。ただの古鼠じゃねぇか。所詮は畜生よ」
という益徳さんに、みんな歓声を送りました。私はというと、飛び上がって益徳さんに抱きついておりました。
「凄い! 凄いわ! 張飛さま!」
「へへ、なんでぇ。お嬢ちゃん。ネズミごときどうってことねぇやな」
「ネズミたちは張飛さまを、張郎中と呼んでましたわ。どうして?」
「なんでぇ。チョロチョロチュウチュウ言ってただけじゃねぇか」
そうなんかしら? 私の聞き間違い? でもすごい!
「こんな怪異を解決してしまうなんて! でもネズミたちは益徳さんが叫んだだけで逃げて行ったわ。なぜなのかしら?」
みんなも興味津々です。ですが益徳さんは赤くなって恥ずかしそうに頭を掻きました。
「昔、兄者たちと各地を流浪してる頃よォ、食うものもなくて、野ネズミを取って食らっててなぁ、オイラは取るのが上手かったので、時には町人に頼まれてネズミを取ったこともあったっけ。おそらく、あいつらはその一族なんじゃねぇのかなぁ……」
みなさん、それを聞いてズコーですわ。え? ネズミって食べるもんなんですの? ネズミが恐れるほどって……。いやーん。益徳さんってなんでも食べちゃうのねぇ……。
それから私たちは歓待を受けて、ご老人にお菓子をご馳走になりました。そのうちに使用人がお盆にお金を乗せて運んできたのです。
「ご主人。準備が出来ました」
「おお、さようか」
そう言ってご老人は、そのお盆を益徳さんにうやうやしく差し出したのです。
「張飛さま。本日は誠にありがとうございました。こちらはほんの気持ちでございます」
凄いお金! 銀の元宝が三つも! 元宝は銀や金の塊ですわ。お化け退治のご褒美ですわね。でも益徳さんはお盆を押してご老人に返しました。
「張飛さま、どうして受け取って下さいません。これでは私の気持ちがすみません」
「いやなに。オイラは兄者たちとともに、官僚の腐敗を叩き潰し、皇室を復興するために立ち上がったのよ。それがお礼の気持ちといえども賄賂を貰って喜んでいては、“結局張飛も同じ穴の狢”と言われるだろう。それではいかん。ご老人。その金は受け取れん」
そう言って断りますが、ご老人も一度出したものを引っ込めては黄家の恥だといい、益徳さんも受け取っては張家の恥と言って互いに譲りませんでした。
そのうちにご老人はため息をついて、使用人を呼びました。そしてお盆を引っ込めさせたのです。ですが使用人はまたお盆を持ってやって来ました。
「お、おい、ご老人」
「いえいえ張飛さま。張飛さまが受け取らないのは分かりました。ですがこちらのお嬢さまは私に張飛さまを推薦して下さいました。張飛さまの代わりに、お嬢さまに受け取っていただくことに致します」
「なるほど。お嬢ちゃんが受け取るなら賄賂でもあるまい。許す。許すぞ」
「ありがとうございます。ささ、お嬢さま。張飛さまの許しを得ました。代わりにこちらの品を受け取って下さい」
えー、私? 見ると銀細工の簪と耳飾り。とても見事な品だわ。
「当家は代々の装飾品を扱っておりましてな。昔は皇室にも献上したものです」
「ほう、それは凄い。お嬢ちゃん、早速つけてみるといい」
益徳さんが勧めるなんて! 嬉しいわ。私は耳飾りを取ってつけようとするも、なかなか上手くいかない。難しいものですわ。
「どれ、オイラがつけてやろう。まぁ、オイラ初めてのこったから、不器用だったらすまねぇ」
そう言って益徳さんは椅子から立ち上がり、お盆の上から耳飾りを取り出します。私の髪を少し撫で上げて右耳へ。少し身をずらして左耳へ──。
そして頭を撫でながら簪を刺してくれました。
その時の私は真っ赤になって顔から火が出そう。
「さぁできた。お嬢ちゃん、似合ってるぞ」
「あ、ありがとう……ございます」
本当に火を噴いていたかもしれませんね。
さて、その日はどうやって帰ったのやら。もう嬉しさを全身で感じながらフラフラでございました。
夏侯家の門をくぐり、屋敷のほうへ──。
「やぁ三娘、お帰り」
「覇お兄さま、ただいま帰りました──」
フラフラしながら覇お兄さまの横を通り過ぎ屋敷の中へ──。
「──む? 銀の耳飾り……」
と、うっすらと後ろから聞こえたような気がしました。




