第四十四回 徐州奪還 九
さて、あくる日。曹操さまは兄者さんを呼びました。兄者さんは徐州牧の印綬を取られたことに気持ちが落ちておりましたが、悟られないように雲長さんと益徳さんとともに、曹操さまの前に跪きました。
「我ら三義兄弟が司空閣下に拝謁致します」
「おお劉備。そして関羽、張飛よ。面を上げよ」
「ありがとうございます」
三人が顔を上げると笑顔の曹操さまの顔がそこにありました。
「本日、三人をここに呼んだのは他でもない。君たちの徐州を奪った大罪人の裁きをしようと思ってな」
それは呂布軍団の諸将の裁判をするということでした。曹操さまは三人に自分の後ろに立って裁きを見るように命じたので、三人はそれぞれ曹操さまの後ろに侍りました。
最初に連れてこられたのは高順でした。後ろ手を縛られ、首には縄をかけられて兵士に引き出されて来たのです。
しかし、威風堂々として曹操さまの御前にどっかりと座り込みました。
「高順よ。そなたの用兵は見事で、間違ったのは主君だけである。どうだ、これからは余に支え、存分にその才能を発揮するといい」
「……………………」
ですが高順は何も答えず、膝を使って立ち上がったかと思うと、そのまま刑場に向かって歩き出したのです。
曹操さまの兄者さんのほうを向いて感嘆の声を上げました。
「ほう……。高順は根っからの武士だ。『敗軍の将は以て勇を言うべからず』だ。惜しむべきは仕える主。そうは思わぬか?」
「まさに……。彼に攻められたときは恐ろしかったですが、こうしてみるとなんとも清々しいものです」
二人は、潔く死に向かう高順の背中を見送りました。
次に連れてこられたのは陳宮です。このかたには曹操さまは並々ならぬ思いがありました。
なにしろ、旗揚げ時代からの側近中の側近で、曹操さまは右腕にとも頼む人だったのです。さらに曹操さまには若い頃からの親友がおりました。そのかたを張邈と言います。曹操さまは張邈に家族を預けるほど信頼しておりました。
ところが陳宮は張邈を誘って曹操さまを裏切ったのです。その際に呂布を引き入れ、本拠地である兗州を奪わせたのです。
当時の曹操さまは、側近と親友に裏切られたあげく、家族は取られ、本拠地まで奪われるという、一歩間違えば曹操軍全滅の憂き目にあったのです。
それもこれもこの陳宮の策略。曹操さまは烈火の如く怒り、近くにあった箱を投げ付けたので、陳宮は額から血を流しました。それでも彼は跪きませんでした。
「陳宮! なぜ跪かぬ!」
「なぜとは? 私は民を苦しめるお前には屈しない。押さえ付けられて屈したとしても魂までは屈しないよ」
曹操さまは苦笑して聞きました。
「そなたは自信家でよく余に『私の策を用いれば天下統一はすぐ』と言う知恵者であった。しかし今日、余の前に縛られているのはどういうわけか?」
「その通り。あの呂布とて私の策を用いれば負けてはいなかった。すべては仕える主君を誤っただけだ!」
仕える主君、それには呂布だけではなく、曹操さまも含まれています。曹操さまはグッと彼を睨み据えました。
「では今の事態をどうする!?」
すると陳宮は晴れ晴れとした顔をして曹操さまの顔を真っ直ぐに見つめたのです。さながら昔、天下を語った当時を思い出させる顔でした。
「私は君たちを裏切ったのだから、殺されて当然だよ」
その回答に曹操さまは思わず椅子の背もたれに寄りかかってしまいました。死に向かう気迫。覚悟を込めた言葉に負けたのです。
曹操さまは裏切り者を許しません。この時代、人の命は少しのきっかけで消えてしまうことが多かったのです。陳宮の裏切りは、曹操さまはおろか、この夏侯三娘さえも死んでしまう策略だったのです。
ですから陳宮を生かしておけないと、ずっとずっと思っていたことでした。
ですが曹操さまの唇から、『陳宮を刑場に連れていけ』という言葉がなかなか漏れません。
曹操さまは陳宮が見苦しく命乞いをして、負けましたという言葉を聞きたかったのです。それで溜飲を下げたかったのです。
しかし陳宮は死をもって償うと言いました。曹操さまはこの昔馴染みを、共に戦場を駆け抜けた親友にかける言葉がでて来なかったのです。
「そ、そなたには年老いた母がいよう。どうするのだ」
「君に任せるよ」
「ならば妻子は?」
「君に任せるよ。こうなった今でも、私は君を信頼しているのだ──」
曹操さまは、肘掛けに寄りかかり泣き出してしまいました。陳宮の言葉に。
彼は高順と同じように、そのまま刑場に向かって行きます。曹操さまは、立ち上がってそれを追いかけました。
わずか十歩ほど後ろを──。
陳宮は振り返りもせずに階段を下り、刑場に消えていくのを曹操さまは欄干に掴まって見つめ、首の切られる音を聞いて目を閉じました。
そこで曹操さまは目を袖で隠しながら声を上げました。
「閣下……」
曹操さまが顔を上げると、そこには兄者さんが手を差し伸べておりましたので、それを掴んでまたもや泣きました。
「ああ劉備どの。みんなみんな余から離れて行ってしまう。張邈も、陳宮も……。信じれば信じるほどに裏切られてしまう。余は分からぬ。どうすればよい? 教えてくれ、劉備どの──」
そんな曹操さまを兄者さんはそっと抱き締めました。
「閣下。それでも信じなくてはなりません。赤心を推して人の腹中に置かなくては……。それでも裏切るものは仕方ありません。その人にも事情があるのかも知れませんし」
それを聞いて曹操さまは涙を拭いて立ち上がりました。
「劉備どの、その通りだ。余には曹家はもちろん、夏侯家も、荀彧も郭嘉だって。そばに居てくれるものはたくさんいるのだから」
それに兄者さんは目配せして答えます。
「それに私も──」
「ふふ、そうだな」
二人はがっちりと手を握りあって元の場所に戻ってきました。
そこに連れてこられたのは、呂布だったのです。
彼は縛られながらも、にこやかに膝を使って進み出て曹操さまの前に平伏しました。
「閣下。この度はおめでとうございます」
「どうしてだ?」
「それは拙者を捕らえたことにより、天下の形勢は大きく閣下に傾いたからです。私に三万の騎兵をお任せください。すぐにでも袁術、袁紹、張繡、馬騰、韓遂を討伐して参りましょう。さすれば天下統一は間近です。さあ、この縄を解いてください」
曹操さまは、呂布ならそれをやれるだろうと、なるほどと感心して兄者さんのほうを見ました。
「劉備どの、どう思うか?」
「さすれば狼の子は所詮は狼で、飼い慣らせません」
これを聞いて呂布は真っ青になってしまいました。兄者さんが自分を狼に例えて、また裏切るぞと吹聴したということです。曹操さまも、それに大きく頷きました。
「たしかにそうだ。呂布に三万の騎兵を預けて、こちらを攻められては防ぐ手だてがない。呂布を刑場に連れて行け!」
呂布は死刑宣告を受けると、駄々っ子のように身をよじって暴れました。
「わああああ! いやだ、いやだ、死にたくない!」
そこに次に連れてこられた張遼が一喝します。
「見苦しいですぞ、呂布どの! 武人らしく潔くなされよ!」
叱責された呂布は、涙のまま兵士に連れられて刑場の露に消えました。
そして張遼は、曹操さまの前に立ちつくすので、兵士二人に肩を棒で押さえられてようやく跪きました。
「張遼。そなたはさんざん余や劉備を苦しめてくれたな。死を前にして何か言うことはあるか?」
「もちろんある」
「聞こう。申せ」
「それはただ一つ。お前を殺せなかったことが残念だ」
曹操さまは真っ赤になって怒り、兵士たちにさっさと刑場に連れていけと怒鳴りました。
しかし、そこに兄者さんと雲長さんが、彼の命乞いをしたのです。
「閣下。張遼は希代の武人で、得難い将です。殺すのは漢の損失となります。どうか死刑はお止めください」
「その通りです。張遼はただ仕える主を誤っただけです。彼を重く用いてやってください。もしも彼が裏切れば、この関羽の首を切っても構いません」
張遼は何も言えずに黙っていると、曹操さまは張遼の縄を解かせて言いました。
「そなたは敵にしたら恐ろしいが、縄を解くので好きにするといい。ただ呂布の残した騎兵三万を漢の為に指揮してくれると嬉しいがどうか?」
すると張遼は平伏して答えました。
「やらせてください」
それに曹操さまは喜び、雲長さんも進み出て手を握りました。
「張遼、良かった。共に漢のために働こうではないか」
「関羽、ありがとう」
こうして呂布一党は滅び、徐州は漢に戻りました。曹操さまは陳宮の家族を今まで通り面倒を見ることにしたのです。
そして、曹操さまは、兄者さんたちを伴って都に凱旋することとなったのです。
私も久しぶりに益徳さんに会えるので、ドキドキしておりました。




