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第四十二回 徐州奪還 七

 さて陳宮の二通目の手紙は袁術へと届きましたが、こちらは不振に終わりました。

 負けそうな呂布に力を貸したところで、得るものなど少ないと考えたのです。使者は必死で説得を試みます。袁術は皇帝と称していたので『陛下』と追従しながらです。


「陛下! 援軍を送らねば、呂将軍は逆賊曹操に捕らえられます。そうすれば陛下は大事な臣を失い、曹操という脅威が目の前に来るのですぞ!?」


 使者は敢えて自分の主君である呂布を袁術の臣下のように言って援軍を促します。しかし袁術は自慢の口ひげをしゃくりながら答えました。


「呂布には頑張るよう伝えよ。さすれば褒美は思いのままぞ。それに朕の威徳は中原に広がっておる。曹操とて明日には帰順して参るであろう」


 それに使者は溜め息をつきました。袁術の顔には贅沢で油が光っており、外で何が起きているか分かっていない様子です。

 昔は聡明だった人も、権力の野望で頭がおかしくなってしまったのだろうと、使者は諦めて帰るほかありませんでした。




 さて、陳宮の三通の手紙は、都の車騎将軍府に届きました。

 陳宮の思った通り、董承は野望深き人で、曹操さまを蹴落としたい思いを持っていたのです。


 董承は曹操さまが呂布を攻めあぐねているのを知り、いい気味だと思いました。

 そして手紙にある通り、帝に頼んで兵を引かせれば、曹操さまが兵や食糧を減らしただけの戦をし、弱体化すると考えたのです。


 董承は帝のおわす、宮殿へと向かいました。董承の娘は帝の奥さんでしたので、帝は喜んで董承と会いました。


「おお董承か、そなたに会えて嬉しいぞ」

「ははは、陛下。娘の董貴人(とうきじん)はお元気ですかな?」


「それがのう、元気ではない」

「ええ? いかがいたしましたでしょう? 娘がなにか不都合でも?」


 それに帝は微笑みました。


「実は妻は妊娠してな、現在はつわりの真っ最中なのだ」

「おお! それはそれは。おめでとうございます」


「ありがとう董承、そなたのおかげだ」


 そこに董承は、泣く演技をして帝の前に跪きました。


「いかがした董承。めでたいのに泣くでない」

「ですが陛下。そのお子さまは富貴の座におられましょうか?」


「な、なんと董承。どういう意味か?」

「陛下は今までご不幸でした。董卓や、その一味に囚われの鳥だったのです」


「ああそうだ。しかしそなたや曹操のおかげで、こうして都に居られる」

「曹操? 曹操!! ああ陛下、しっかりなすってください!」


「どうした。曹操は董卓ではない。朕は許に来て以来、なんの不自由もしておらんぞ?」

「とんでもない。曹操は董卓以上の悪人だとお気づきにならない。陛下の回りの臣たちは全て曹操の息のかかったものばかり。陛下はここにいても政治に参加しておりません。全て曹操が好き勝手にやっているのです。陛下や娘の腹にいる公子さまとて安泰ではありませぬ」


「ま、まて、それは曹操の政治は正しく、朕が水を注してはいかんと身を引いておるからだ。それに対して曹操は、民の幸せを祈ることこそ朕の勤めと、誉めてくれたのだぞ?」

「ああ陛下は曹操に騙されているのです。曹操にこれ以上力をつけてはなりません」


 董承は口八丁手八丁で曹操さまの悪口を吹き込みました。帝も最初はその気がなかったのですが、思い当たる節ばかりをいうので、帝もだんだんとその気になってきてしまいました。


「陛下、ですから徐州を曹操に取らせてはなりません」

「う、うん……しかし……」


「呂布も陛下の臣ですから、この二人が争うことは漢の損失です。却って袁術のような賊を討つべきなのです」

「それは、そうだ……」


「ですから、すぐに勅令をお書きください。戦で疲れている曹操も、きっと喜ぶでしょう」

「曹操が喜ぶのか。では書こう」


 帝は上手く丸め込まれて、曹操さまに撤退の命令を書いて使者を送らせました。




 やがてその勅令が曹操さまの陣に届きます。曹操さまは何事かと郭嘉さんと荀攸さんを引き連れて、使者の下座に平伏しました。使者は帝の声ですから、こうすることが慣わしなのです。


「臣、曹操が勅令をお受けいたします」

「さすれば曹操どの。陛下のお言葉をお伝え致します。早々に兵を引き上げ、都にお帰りください」


 それに一堂ざわつきます。勝っている今撤退など、無駄の局地だからです。曹操さまは平伏しながら答えました。


「お断り申し上げます」


 その返答に今度は使者がたじろぎました。使者は帝にも司空の曹操さまにも逆らえません。この返答を持ち帰れば帝を裏切ることになり、かといって曹操さまにも楯突けません。

 使者は唇を震わせながら尋ねました。


「し、司空閣下。それはどういうことでしょう。陛下になんとお答えすれば私には分かりません。まさか陛下に閣下には叛意(はんい)有りなどととても言えません」


 使者の心配はもっともです。間に挟まれる人は大変で、曹操さまが勅令に逆らったと言えば帝は曹操さまを処分しなくてはならないからです。

 しかし曹操さまは笑って答えました。


「ははは、そうではありません。陛下は遠く都にいるわけですから戦況が分からないのでしょう。こちらはもうすぐ決着がつきますからな、今撤退すれば莫大な予算を減らしただけとなってしまいます。兵法に曰く『将、軍に在りては君命をも受けざるところにあり』です。現場は靖んじて司空にお任せくださいとお伝えしていただければ、ご使者に咎めは参りません」


 というと、使者は安堵の溜め息を漏らしました。曹操さまは、そんな使者に労いの宴を開いたのです。


 『将、軍に在りては君命をも受けざるところにあり』とは、孫子の言葉で、軍事の現場を任せられたものは、主君の命令通りにはしてはいけないという意味です。

 負けているのに『攻めろ』と言われたり、勝っているのに『撤退』と言われても現場の判断を優先にしろという教えでした。




 その宴の最中に、曹操さまのところに伝令が来ました。それこそ兄者さんが張遼を捕らえたという報告です。

 曹操さまは、勝ちを確信しました。


 あくる日、またもや使者をたて、城外より呂布を呼びました。そして張遼を捕らえた旨と張遼の槍を見せると、もはや呂布は戦意喪失。どうしてよいか分からず、城に籠ってしまいました。

 呂布の部下ももはや敗けは必定と、呂布と陳宮を捕らえて曹操さまに降伏したのです。

 我々の勝利でした。





 しかし、都では……。


 曹操さまに勅令を伝えに行った使者は帝に拝謁し、曹操さまがもうすぐ勝つ戦なので撤退しない旨を伝えると、董承はまたもや讒言(ざんげん)しました。

 讒言とは他人を貶めるために事実をねじ曲げて悪く言うことです。


「陛下。曹操は陛下を軽んじておいでです」

「い、いや、曹操は勝ち戦の真っ最中だろう。それを放棄して帰ることのほうが愚臣である」


「いいえ、なんとでも言えます。曹操はどうしても徐州を取る領土拡大の野心があるのです。あなたの父君である先の帝も、宦官にあることないこと吹き込まれ、外のことを知らずにご薨去なされました」

「う、うむ。聞いておる」


「どうか奸臣(かんしん)と忠臣の区別をおつけください。この董承が信頼なりませんでしょうか?」


 帝は、今まで信頼していた曹操さまをどうしても疑うことが出来ません。しかし涙を流しながら言う董承のことも間違っているとは思えなかったのです。


「うん……、董承よ。そなたは朕の義父で父とも頼む人物だ。そなたがそう言うならそうなのかも知れないな……」

「おおお、陛下。ありがとうございます!」


 董承は跪いて、袖で涙を拭くために顔を被いましたが、その裏ではずる賢く笑っているのでした。

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