第十六回 竹葉楼の怪人 二
私はいつものように用意を整えると、益徳さんに会いに客舎へ向かいました。
客舎の門をくぐると、使用人に指示をしている甘夫人と目が合いました。甘夫人はニコリと笑って私のところに早足でやってきたのです。
「あら三娘、おはよう」
「ごきげんよう、甘夫人」
「益徳?」
「分かります?」
「立ち話もなんだから、お茶でも飲みましょうよ。これ陳叔、客間にお茶を用意しなさい」
「へぇ、奥さま」
甘夫人は使用人に命じてお茶を用意させました。すっかり夫人が板についちゃって。狐さんなのにすごいですわ。
甘夫人は私にお茶を薦めながら話し出します。
「最初に会ったときからアンタたちは何かあるとは思っていたけどねぇ。相思相愛かァ」
「え? そうなんですか? 張飛さまも?」
「それがねぇ、あの朴念仁」
「どうしました?」
「多分あなたへの恋心が芽生えたのねぇ。でもその感情の意味が分からずに戸惑ってるのよ」
「そ、そうなんですかぁ。だったら側にいて一つずつ解消してあげたいですわ」
「そうすれば一番いいのだろうけど、さっき言った通り精神が落ち着かないのよ。あなたに会いたいけど会ったら気持ちが爆発しちゃうとか本能で思ったのか、早朝から矛を担いで公務に出ていったわ」
「え? 一人でですか?」
「そう。私も言ったのよ。『益徳、三娘はまだ来てないわよ?』『あ、姐さん! いや、お嬢ちゃんは、そのぅ……、はは、オイラは公務です。では、じゃあ、また』なんて顔真っ赤にしてね、門の柱に顔をぶつけて謝ったりしながら。ありゃ相当意識してるわよ。何があったの?」
「実はですね──」
私は甘夫人に、許子将からの占いのことを伝えました。
「なるほどねぇ、そりゃあ意識するはずだ」
「張飛さまも私のことを思ってくださるのかしら?」
「普通の男なら、こんな可愛くて若いお嬢さま、欲しくてたまらないだろうけど、あの男はねぇ~」
私たちは大きく溜め息をつきました。
◇
一方その頃、渦中の益徳さんはというと、市中をあっちへフラフラ、こっちへフラフラと心ここにあらず。
みんな怪しがって遠巻きに観察しているようです。ぼーっとした顔をしているかと思ったら、突然ニヤニヤ笑いだしたり、そうかというと顔や頭を叩いて気合いを入れたり。
そのうちにブルブルと顔を振って見上げたところが酒屋の看板です。
益徳さんは辺りを見渡してから中に入りました。
「おや? 郎中どのではありませんか」
「主人。酒だ、酒だ」
「いやですよ。いつも公務中は真面目な郎中どの。不真面目な官吏は嫌いだとおっしゃってたのは誰あろう郎中どのではありませんか」
「いいや、今日は仕事にならんから止めだ。今から飲むことにする」
「ああそうですか。では郎中の具足は預かりますのでお脱ぎください。他のお客に見られたら、いつもの真面目が損を致しますぞ?」
「おお、ありがたい。気が利くな主人」
「そりゃ手前も商売ですから」
そう言って酒屋のご主人さんは具足を預かり、益徳さんにお酒を提供します。馴染みなのか、ご主人さんは益徳さんが言う前にいつものお料理など供じました。
お酒を飲んでいくらか気分が良くなったのか、飲むペースはお酒を味わう感じになった頃、益徳さんの前に一人の男性が立っておりました。
「張郎中どの」
「おやアンタは誰でィ?」
見ると町人の服装です。服の色は黒お顔立ちは整ってまして太い眉に、双眸は光を宿しております。そのかたが微笑みながら酒甕を抱えておりました。
「私は玄刃と申します。是非とも張郎中とお近づきになりたくご挨拶に参りました。ご同席しても構いませんか?」
と男はニコリと微笑みます。益徳さんも笑顔を返しました。
「ああ構わんよ。一人酒は寂しいし、手酌は出世の妨げだ。いや別に出世したいわけではないがな。互いに酒を酌み交わし楽しもうではないか」
「ありがたいお言葉です。私も酒を持参しました。ではどうぞ、郎中どの」
「お、すまん。あ、あ、あ、おおっと。これはなみなみと注いでくれたな。早速頂戴しよう」
益徳さんは美味しそうにきゅうきゅうと音を立てて飲み干します。いつもの楽しげな笑顔。かわいいですわ。
「はぁー、お強い。息もつきませんで一息に」
「いやなに。夢中で味も分からんかった。もう一つ頂こう」
「もちろんでございます。さあ、もう一献」
「くぅー、ありがとう。どうだ玄刃どのも一杯?」
「豪傑に注いで頂けるとはありがたや! 当然頂戴しますぞ」
二人は差しつ差されつ。仲良く酒を酌み交わしました。店のほうも別のお客が入れ替わり立ち替わり。しかし、益徳さんの席は誰よりも長く続いておりました。
二人とも楽しそうに大声を発して身体を揺らしておりました。そらそうです。空いた酒瓶は数えきれずに並んでおります。お酒が好きな益徳さんには丁度良い酔客だったでしょう。
「玄刃どの。お強いのォ」
「いえいえ、郎中どのこそ」
「さては貴様、大虎だな」
「はっはっは。さすが郎中どの、お気づきになりましたか」
大虎とはお酒にめっぽう酔ったかたのことです。お酒を飲んで大声で咆哮するのでこう呼ばれます。
この玄刃と言う男は、益徳さんにそう言われて肯定した上で妖しく笑いました。
「いかにも私は大虎です」
「あん?」
「郎中どの、私はこの許都で仕事がありましてな。郎中どのにはその仕事を邪魔しないで頂きたい」
先ほどまで、酔って楽しげに身体を揺らしていた益徳さんでしたが、ピタリと動きを止め、玄刃という男を眉尻を上げてグッと見据えました。
「どう言うことだ、それは」
「どう言うことも、こう言うこともありません。あなたは役目の手前、いろんな所を巡回して歩くでしょう。明日は私の仕事日なので、そう言うことは止めて貰いたい」
「お前さまは一体何者だい」
「先ほど言った通り、大虎ですよ。この許都で、私の力量に叶うのはあなただけだ。よりにもよって白蛟の力まで得たとは勝ち目がないのでね」
「白蛟? あの白蛇か」
「さようでございます。それさえなければ五分と五分でしたが、今ではあなたのほうが上だ」
「だったらよそへ行け。オイラの目が黒いうちは都で悪さはさせねぇぞ?」
「そうも行きません。我が一族は天帝より生けとし生けるものの間引きを命じられております。たまたま今回は許都の生き物だったというだけ。それに郎中は私から賄賂を受け取った」
天帝とは天の神の中で最高の地位を持つものです。この国では天の国も帝を中心とした官僚制となっております。玄刃はそこから命令を受けているとの話なのです。
賄賂と言いながら玄刃はテーブルの上の酒瓶を指差しました。益徳さんは賄賂と聞いて顔を青くします。そして言葉が詰まって二の句が継げられませんでした。
玄刃は微笑みながら席を立ちます。益徳さんは片手を上げてそれを制しました。
「ちょっと待て!」
「いいえ、待てません。明日はあなたは仕事をしては行けませんよ。これは運命です」
そう言って店の外の夜闇に姿を消してしまいました。
益徳さんは酔った頭で考えます。彼は大虎だということ。つまり、虎が人に化けたもので、仕事とは人を喰うことなのだと。
ハッとして表に駆け出すものの、どこにも玄刃の姿を見つけることは出来ませんでした。




