第十四回 許老人
甘夫人を迎えた兄者さんは、毎日がハッピーになりました。甘夫人の年齢は我々より長生きですから、いろいろ物知りなようで、客舎の台所を仕切り始めて、使用人をこき使っているようです。
「ホラホラ、粟の袋はそっちじゃないわ。こっちの蔵よ。一番使うんだから台所に近いほうがいいじゃない。手の空いてる人は移しかえすのに手伝ってちょうだい。雲長、益徳、アンタたちも例外じゃないからね!」
なんと、もう雲長さんや益徳さんまでアゴで使ってますわ! なぜか従うお二人……、肩に粟の袋を五つも重ねて、行ったり来たりしております。
「ふー、姐さん終わりやしたぜ」
「そうかい。だったらアンタたちには公務があるんだろう? 居候のアタシたちの食い扶持はアンタたちの秩石なんだ。しっかりお勤めしておいで」
「ははー」
大変に恐れ入っておりますわ。雲長さんも益徳さんも、それぞれの鎧に着替えに行きました。
甘夫人はサボってるものがいないか目を光らせてチェック! 怖いですわ。
「甘夫人、甘夫人」
呼ぶとこちらに顔を向けてニッコリと微笑みました。
「おや三娘じゃないか。困ったもんだよコイツら」
「なんか溶け込むの早すぎません?」
「もう四の五の言ってる暇ないよ。コイツら理想ばっかでなかなか前に進めない。主婦がケツひっぱたいてやらにゃあ」
「り、劉備さまは?」
「ああ旦那なら軍学のお勉強。家長がだらしなくてどうするって咜りつけてやったのよ。今ごろハチマキ巻いて孫子を見てるわよ」
孫子は戦争のやり方が書いてある兵法書というものですわ。いつも遊んでいる兄者さんを勉強させるなんて……。
なんかすごい! お母さんと子どもみたいだわ。歳の開きはそのくらいあるだろうけど。みんなやる気になっちゃってすごい。
前と雰囲気が全然違うわ。やっぱり狐さんってしたたかなのねぇ。
「やぁお嬢ちゃん待たせたね。早速市中の見回りに行こうか」
「張飛さま」
「ちょっと待っておくんな。馬引っ張って来るからよ」
「う、馬ですか?」
それも甘夫人の指導? 今まで馬に乗って見回りなんてしたことなかったのに。
ややもすると、馬に跨がった益徳さんがやって来ました。
「そら、お嬢ちゃん」
馬上から差し出された大きな手。え? ひとつの馬に二人で乗るの?
私はドキドキしながら益徳さんの手にちょこんと振れると、素早く捕まれて馬上に上げられました。
益徳さんの前に座らされたその場所はひとつの鞍です。密着感が半端ありませんわ。
「じゃいくぞ? しっかり手綱をもちな」
「は、はい」
ふわりとお腹に回された益徳さんの左腕。ガッチリと放すまいと固定されております。私の胸は早鐘のよう。
「こら! 益徳! 市中で二人乗りは危ないわよ!」
「大丈夫でい、姐さん。じゃあ行ってくらぁ」
「まったくもう!」
ぱぁっと門を飛び出して市中へ。手綱を引いてスピードを落としました。
「ふぅ。なかなか胆の座った姐さんでな。譜代の家臣が形無しだよ」
「まぁ。みんな狐さんにやり込められてしまったですの?」
「だがうちには丁度いい姐さんだよ」
どうやら狐さんは、兄者さん一家に受け入れられたようですわね。
益徳さんはゆっくりと馬を歩ませ城門まで参りました。
城門の警護が槍を構えて私たちを止めます。益徳さんはそれに答えました。
「張郎中だ。公務で城外を見回りに参る」
そう言うと、警護兵がサッと身を翻して道を空けてくださいました。
益徳さんは大人しく城門を潜り終えると、馬の歩みを早めました。
「張飛さま、城外ってどこに参られますの?」
「はは。居候の身や狐の姐さんのお陰で鬱憤が溜まってるんだ。ちょいとその辺を駆けて来よう」
「ま。すごい」
「今まではこうして馬に乗って戦場を駆け通ししてたのでな。たまにこうせんと身体がなまっちまう」
すごい、すごい! 益徳さんに抱かれながら田園地帯を駆けて郊外へ。なにこれとっても楽しい。風が私たちを通りすぎて行きます。青い草原が波打って、とってもキレイですわ!
益徳さんって馬を操るのも上手なんですわね!
やがて向こうに集落が見えてきたころ、左側に大きな土饅頭がありました。多分偉い人のお墓ですわ。そこからしばらく集落に向けて走ると老人が道の端で腰を下ろし、休んでいるようです。
馬なら集落への道のりはすぐですが、老人の足ではちょっと遠いでしょう。
益徳さんも気付いて老人の前で馬を止めました。
「どうしたい爺さん。どこまで行く?」
「おお、この先の樟林まで参るところです」
「あの集落か? 遠いぞ、大丈夫かい?」
「大丈夫ではありますが、喉が渇いて難儀しております」
「そうかい。だったらこれだ」
そう言いながら益徳さんは懐に手を突っ込んで瓢を取り出し、中の音をならしました。嫌な予感が致しましたが、老人は嬉しそうにそれを手にとって中のものを飲み干したのです。
「はややややや~……」
「はっはっは。旨かろう。都の酒だ」
予感的中……。ご老人は足をふらつかせて路傍の石に寄りかかってしまいました。
「やや。どうしたご老人?」
「張飛さまのお酒が効いたのでしょう。早く介抱して差し上げないと……」
私たちは馬から降りてご老人を介護することにしました。私はご老人を労り、益徳さんは馬を連れて沢を見つけて水を汲んできました。
「お爺さま、大丈夫ですの?」
「いやはやお恥ずかしや。昔はよく嗜んだものですが、久しぶりに火の気を体内に入れましたわい」
火の気とは陰陽五行の思想で、体内が熱くなるというような意味ですわ。
ご老人は未だに足元がおぼつかないので、益徳さんはご老人を背負い、私は馬の背に乗せて手綱を引きました。
「張飛さま、大丈夫ですの?」
「大丈夫、大丈夫。爺さん軽すぎるな。ちゃんと喰ってるか?」
「お気遣いありがとうございます」
ご老人はにこやかにお答えになり、そのまま集落の中へ。
ご老人の指すほうに進むと、集落の中では一番大きなお屋敷にたどり着きました。
「ここでございます。思いがけずにご馳走になり、家まで送っていただいた。お礼をせねば許家の恥でございます。どうかお茶でも飲んで行ってくだされ」
「ああ茶は馳走になるが、金品の授受はお断りしておる。そういうことはせんでくれよ」
「おお。なんとも善良なお役人でしょう。ささどうぞ」
ご老人に案内されるまま、お屋敷の離れに連れてこられ、茶席に案内されました。
ご老人はにこやかにお茶を出して、改めて挨拶をしました。
「本日はありがとうございます。私は許と申す、この屋敷の主人です。とは言え今では息子に家督を譲り、こうして隠居生活をしております。大したものはお出しできませんが、どうぞおくつろぎください」
「なに。遠駆けに茶はなによりの馳走だ。遠慮なく頂こう」
私たちはありがたくお茶を頂戴してますと、ご老人は気付いたように手を叩きました。
「そうです。本日は月初めですな」
「うん、そうだな」
「実は私は月初めに人物評をしてましてな、お役人さまはお礼の金品を受けらないとおっしゃいましたが、あなたさまの人相を占いたいと思いますがいかがでしょうか?」
「おお、面白い。占いなら賄賂にはなるまい。物は試しに見て貰おう」
昔は月初めにこうして人相見をするかたがおりました。こういうのを『月旦評』と申します。
「どうれお顔をこちらに」
「どうだい。オイラの顔にはなんて書いてある?」
「ふむふむ、おお、これは……」
「どうしたい? 明日乞食になるのは勘弁してくれよ」
「いえ、これはものすごいです」
「というと?」
「お役人は今は下っ端役人ですが、将来は良く君を佑け、軍事では高官に昇り、列侯の身分になりましょう」
「い? オイラが侯爵だと?」
「それだけではありません。その恩恵はお子さまにも伝わり、皇后の位につきましょう」
それを聞くと、益徳さんは固まっておりましたが、やがて大笑いしだしました。
「はーっはっはっ! こりゃ面白い。このオイラが侯爵で娘が漢の帝の皇后かよ。まだ妻も娶らず子もいないオイラが? いやいや許老人。お追従は結構だ。助けたお礼には丁度いい冗談だったな」
「いえいえ、冗談ではございません。顔にそう書いてあります」
「そうかい、そうかい。じゃあ信じよう。信じるついでだ。ここにいるお嬢ちゃんは高貴な家の娘だ。お嬢ちゃんの運勢も見て貰いたいね」
ええー? 私?
でもちょっと待って。このかたの占いが本当なら益徳さんは中郎将どころの騒ぎじゃなく、もっともっと上の位につけるってことよね? 列侯といえば臣下の最高の位で食邑が与えられる大貴族の侯爵だわ。
でも益徳さんの武勇ならあり得ますわ。そうだ。私は結婚と将来を占って貰えばいいんだわ。
「あのぅ、もしも私を占うのなら、いつ結婚してどんな人と結婚するのかしら?」
「そりゃいいや。お嬢ちゃんの結婚相手か。こりゃ高官か皇族もあり得るぞ」
許老人は襟を正して、私の顔を見出しました。
「ふむふむ、こりゃなるほど。若い頃は相当苦労なさいますな」
ええー? 苦労確定ですか。どんな未来なのぉ?
「結婚は若いです。十四、五といったところ。子どもはすぐに恵まれます。そのうちの娘は皇后の位に……え?」
許老人の言葉に、全員が固まりました。許老人は息を飲んで続けます。
「こ、こりゃどういうわけでしょう?
あなたは良く夫を支えます。その夫は軍事で高位に昇り、列侯に封じられます」
と、私と益徳さんの顔を交互に見ながら確認しておりました。
え、ちょっと待って? と、いうことはですよ? 私と益徳さんの未来が一緒?
てことは、益徳さんは私の旦那さま?
「あなたの運勢は夫から受けるもの……それはこちらのお役人から受け取るものでして……、ううん、私もこんなことは始めてなので動揺しております」
「い、いや、ご老人。そんなバカな。オイラはそのう。占いは信じない。信じないぞ?」
なんか益徳さん、超動揺しております。
「あのぅ……あなたたちは?」
後ろから聞こえた声のほうを見ると、入り口に男性が一人。なにやら困惑しているお顔。それに益徳さんが答えました。
「ああオイラは張郎中だ。お宅のご隠居に招かれて、今人相見をして貰ったところなのよ」
「ご隠居……? 冗談はやめてくだされ。父は二年前に亡くなりました」
──────白目。
またですの? また怪異なお話? もう何度目ですの? え? 許老人の占いは──!?
許老人のほうを見ると、消えてるゥ!
「父は名を劭、字を子将と申す、人相見でした。まだ迷って好んだ人の人相を見ているのかもしれません」
と……、いいますと、先ほどのご老人は有名な許子将? 昔、曹操さまを『治世の能臣、乱世の奸雄』と評して大変喜ばれたという、あの?
◇
私と益徳さんは許家を辞して、馬に乗って城へと戻ります。しかし言葉数は全くなく、私は意識しすぎて馬の首ばかり見ておりました。
益徳さんの回された腕も、行きと帰りでは全然違います。行きはギュッ、帰りはユルゥですわ。
私は小さい声で尋ねました。
「あ、あのぅ……、張飛さま?」
「え!!? な、なんです? なんでィ、なんでしょう、お嬢ちゃん!?」
キョドり過ぎ! これは益徳さんも意識してるってことよね?
「さっきの占いでは──」
「う、うん、うん」
「私と張飛さまは、結婚する、みたいな?」
「いやー、そんなバカな。お嬢ちゃんは夏侯家の縁者でオイラは流浪の居候の居候だし、そんな占いなんて荒唐無稽だし、ムリムリ列侯なんて。でもお嬢ちゃんの占いはオイラとは別な人かも知れねぇ。うんきっとそうだ。二十も歳が違うもの、別な時代の列侯かも知れねぇもんな、うんうんそうだ。きっと……きっと……」
「張飛さまは……私がお嫌いですの?」
「そ、そんな嫌いだなんて。お嬢ちゃんはおてんばだが、器量よしだし、機転は利くし、歳も二十も違うし、家格も違うし、そんな、そんな……」
な、なんか、益徳さん、超動揺してません?
「私は張飛さまのことを──」
と言ったところで、夏侯屋敷の門の前でした。
「あ、おおう! もう、あれだ。門の前だし、時間も遅いし。あのぅ、そのぅ、お嬢ちゃん、またな」
そう言いながら、さっさと私を門番に渡して行ってしまいました。
なんなの!? もう!!




