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参拾陸

ステルス妖魔を全滅させたとのニュースが世間を騒がせる中、警視庁の1室で警視正がミネラルウォーターを飲み大きく息を吐いていた。

眼下に広がる街を見下ろし、警視庁の入口付近で時間を潰している報道関係者らしい人々に目星を付ける。


「やっと、終わったか」


ただのチンピラが偶然に激流鬼の研究員の拉致を成功させ、偶然にもヤクザとパイプが有り、偶然にもヤクザが妖魔研究の設備を用意出来た事を発端とした事件がやっと収束したのだ。

報道関係者や一般人からの情報開示や調査の進捗を求める連絡で一時的に警察組織の処理能力が非常に圧迫されていたが、これで少しは平常業務に戻れるだろう。


「情報が有っても身を守る術も無いだろうに、営利目的にしてもパニック寸前にしても人とは厄介なものだ」


普段ならわざわざ口にする事も無いが彼は数ヶ月に渡って感じ続けて来た緊張から解放されて口が軽く成っていた。

そんな警視正の個室にノック音が響き、入室を許可するとあまり見たくない顔が入って来た。

四鬼の1人、雷電佐右ヱ門。

形式的な挨拶や縦割り組織の枠組みの常識が通じない者が多い中では比較的話の通じる方では有るが、それは擬態だ。この佐右ヱ門という男は一見すると普通の警察組織の人間の様に話す事が出来るが、根本的な部分で四鬼として完成されている。

そして完成されているからこそ擬態が可能なのだ。

自分が普通ではないと理解している者にとって普通を演じる事は可能だ。

警視正から見ても佐右ヱ門はその典型例だった。


「四鬼が私を訪ねて来るとは珍しい。アポも無い様だが、何か用かな?」

「そうですね、少々込み入った用が有りまして」


言って佐右ヱ門は室内を軽く見渡し、警視正と視線を合わせると唐突に視界から消滅した。

何が起きたか分からず、しかし警視正の脳が佐右ヱ門の消失に対して何かの反応を示す前に右手で首を掴まれ持ち上げられる。

思わず悲鳴を上げそうになった警視正だが佐右ヱ門が首の気道を指だけで締めて強引に止める。

急激な変化に理解が追い付かないが気道を一瞬でも絞められた事で反射的に咳き込み、本能的に両手で雷電鬼の腕を掴んで少しでも苦しさから逃れようと試みる。

それは妨害されず、警視正はやっと状況を理解して自分を掴み上げる佐右ヱ門を睨み付け驚いた。

佐右ヱ門はいつの間にか魔装を展開し、雷電鬼として警視正を掴み上げている。

夜と雷を思わせる黄と黒の装甲を身に纏い、武器は無く無手の鬼。過去の相撲取りの名を由来に持つ四鬼でも他に類を見ない相撲の技を修める雷電鬼は生身でも格闘戦でも他の四鬼とは根本的に戦闘方法が異なる。

国防の為にも四鬼に軍事的訓練を施そうという案が上った時、真っ先に反対意見を出し当時の日本軍を単騎で屠った世界で最も有名な四鬼の1家だ。

そんな相手が自分の首を締め上げている。

いつでも掌から雷撃を放ち警視正の命を奪う事が出来る状況だ。

やっとステルス妖魔の緊張から解放されたと思ったら今度は四鬼に殺されかけている。

何が起きたか分からないが理由無くここまでの暴挙を許す程、警視正は温厚では無かった。


「何の、つもりだっ」

「まあ、簡単に言えば30年前のツケを払って貰おうというだけだ」


そう言って開いた左手で警視正のノートPCを持ち、メールを開いて入室直前の佐右ヱ門の着信を開き内容を警視正に見せた。

メールには複数の写真と音声データが添付されており、激流鬼の研究員の拉致やヤクザへの研究設備の横流しについての情報が証拠付きで記述されていた。


「なっ!?」

「お前単独ではない事は知っているし、生存している関係者の下には別の人員を派遣済みだ」

「ま、待て!」

「業炎鬼の分家から灰山桐香が出た時に好機だとでも思ったか。一介のヤクザに四鬼の訓練を積んだ者が何の抵抗も出来ずに捕まるものか」

「し、知らん! 捏造だ!」

「黙れ。知りたい事は知っているし、調べるべき物は調べ尽くした」

「わ、私は巻き込まれただけだ!」

「なら正しく抵抗するべきだったな」


雷電鬼の右手に力が込められ、鈍い音を立てて警視正の身体から力が抜ける。雷電鬼の手を掴んでいた両手が離れ目から光は失われ口の端から涎が垂れた。

ゴミを捨てる様に床に警視正を放り投げた雷電鬼は魔装を解除して佐右ヱ門の姿に戻る。


「妖魔等よりも余程、人にこそ悪鬼という言葉は相応しいな」


今回の事件を機に、少しはマシな人員が要職に就く事を願うしかない佐右ヱ門は大きく溜息を吐いた。


▽▽▽


警察関係者の訃報が連続した2月を適当に過ごしつつ、3月のある日、裂は麻琴の卒業式をサボって校庭に設置された自動販売機の有る休憩ルームで適当に時間を潰していた。

教師陣も流石に卒業式では校内を巡回していないので卒業式の終了時刻さえ気を付けていれば捕まる事は無い筈だ。

実は上級生に囲まれた件で目を付けられているので後で不参加について怒られるのだが、例え未来が見えても裂は卒業式をサボっただろう。

スマートフォンで漫画を読みつつ紙パックのカフェオレにストローを刺して、甘さが強くて眉間に皺を寄せた。少し甘過ぎたので今後は買う事も無いなと思うが、実は今回で6回も同じ事を繰り返している。興味が無いにも程が有るが裂にとってはいつもの事だ。

事前に配布された卒業式のレジュメに書かれた終了時間が近付いてきた。裂は休憩ルームから人気が無く部活等でも使われない資料室に移動してパイプ椅子を置いて背凭れに寄り掛かった。

妖魔を討滅した後に調書が完了してから四鬼からの連絡は1度だけ、司法取引は終了とし今後は監視も外すとの事だ。

そのメッセージを文字通りに信じる様な素直さは裂には無いが、確かに見える範囲で監視は居なくなった。スマートフォンの監視は有るのか無いのか分からないので気にする事もせずクラスメイトとも今まで通りに付き合っている。

影鬼からは週1のペースで指名の妖魔調査依頼が有るので影鬼と四鬼の間で取引が有ったのだろう。

妖魔の反応も意図的に近い物が反応しない事も無くなり適当に近場で小遣い稼ぎも可能に成った。


……このまま何も無ければ卒業して蒲田支店に移って適当に過ごしたいもんだ。


高校2年生にして随分と枯れた考え方をしているが中学の頃から犯罪組織に染まっている少年だ、夢と希望に溢れた将来を考えるような思考は持っていない。

カフェオレは飲み掛けのまま教室に戻るのも面倒に成った裂はスマートフォンを仕舞って身体を伸ばした。

そのタイミングを見計らった様に勢い良く資料室の引戸が開かれた。

驚きはしたが面倒臭そうに裂が扉に向けて首だけ振り返ると冷たい目をした麻琴が鼻で溜息を吐いて入室し引戸を閉める。そのまま裂の前にパイプ椅子を置いて腰掛け、裂の手からカフェオレを奪い残っている事を確認して一気の煽り飲み干した。


「おいおい、後輩の貴重な100円になんて事をするんだ」

「2ヵ月でサラリーマン平均年収より稼いだでしょ。この程度で文句を言わない」


嫌な指摘に溜息を吐いて裂は麻琴が片手に持っている卒業証書が入った筒を見た。


「よ、犯罪者の娘でも卒業出来る高校って証明した女」

「長いし語呂も悪い」

「後輩に厳しくない?」

「煩い。今日で最後の先輩を少しは労わりなさい」

「そんな機嫌悪い事有る?」


ここまで不機嫌な麻琴を見た事が無い裂だが、恐らく卒業式の最中や後に人に囲まれて面倒だったのだろう。だから気を遣う必要も無い裂を探し出して鬱憤を晴らしている。

そう予想して裂は何か小粋なトークでも振ろうかと考え、そんな間柄では無いと溜息を吐いた。


「何をそんなに苛ついてんだ?」

「卒業式だからって面倒な呼び出しが多いのよ。全部無視してきたわ」


何度もストローを噛んで変形させるのを見ると無視し切れずに追い掛けられたのかもしれない。美人で有名では有るが表面的には穏やかな性格なので押しが強かったり最後のチャンスにと声を掛ける男子が多かったのだろう。


「お疲れさん」

「今日で最後なのが唯一の救いだわ。声かけて来た連中は連絡先もさっき全部ブロックよ」

「お~、徹底してる」

「どうせ大学は別だし人伝に連絡よこしても纏めてブロックよ」

「そう言いながらさっきからスマホ鳴ってね?」

「煩い」


ブロックしていなかった者達からの連絡の様だ。

麻琴はスマートフォンの通知を全て切って仕舞い、鞄からマグボトルを取り出して中身を煽る。


「持ってるなら俺のカフェオレ要らねえじゃん」

「糖分が欲しかったのよ。これ、ミネラルウォーターだし」

「それで後輩のカフェオレ奪って良い理由には成らねえよ」


溜息を吐いて諦めた裂を見て少し溜飲が下がったのか麻琴はマグボトルを仕舞い大きく溜息を吐いて落ち着きを取り戻した。

やっと機嫌が直った麻琴に安堵の息を吐いて裂は聞いておく事を聞く事にした。


「そういや四鬼から何にも干渉されてないのは麻琴が何かしたのか?」

「私? まあ当主に何かご褒美は要るかって言われて四鬼からスカウトされない様に言って貰えないかって頼んだわ」

「あ、それでか。一応、礼は言っておくか」

「要らないわよ。我儘言えって言われて思いつかなかったんだもの」

「それで俺の事言ったのかよ。適当に金くれとか言っとけば良いじゃん」

「お金に困って無いのよ」

「成程。じゃ影山ってあのお姉さんを専属にして貰うとか?」

「私が束縛するの好きじゃないの知ってるでしょ」

「俺はカフェオレ奪われて愚痴に付き合わされてるんだが?」

「貴方は良いのよ。今日で最後の筈だし」

「気遣って、これからも高校生活が大変な後輩を気遣って」

「どうせボッチでしょ。しかも自主的な」

「うわぁ酷い」


2人で悪態を吐き合うが険悪な空気は無い。悪友同士が嫌味を言い合う事を楽しんでいる様に悪戯っぽい笑みを向け合っている。


「別に言い寄って来る奴だけじゃねんだろ? 仲良いクラスメイトとか良いのか?」

「友達とは後でカラオケの約束してるし良いわ。学校内に居る間が1番面倒なのよ」

「人気者は大変ですな」

「煩い奴等が飽きて帰るのをここで待つわよ。流石に資料室に居るなんて思われないでしょ」

「卒業生が卒業式の後に資料室に来る方が可笑しいわな」

「そういう意味では貴方も人の裏を取るのが得意よね」

「1人に成りたい時に凄い楽だぜ」

「在学中に聞いておくんだったわね。あ、そう言えば迷宮では世話に成ったわね」

「あん?」

「走る時に私だけ付いていけなかったでしょ」

「ああ。適材適所だろ」

「何か俺をした方が良いかしら?」

「ご当主に四鬼からの監視を外して貰えただけ充分だよ」

「そう。なら貸し借り無しにしておくわ」

「そうそう。大学は渋谷だっけ?」

「ええ。魔装についての学科が多くてね」

「いやぁ、平和に成りそうだ」

「ボッチを平和と言うのは末期よ」

「良いんだよ。卒業後は蒲田支店に行く事に成ってるし、1年を適当に過ごして新天地だ」

「飽き性の貴方が蒲田でどれだけ続けられるか見物だけどね。そう言えば、渋谷と蒲田って結構近いのよね」

「止めろよ? 俺はもう専属鬼じゃないぞ」

「別に指名はしないわよ。ちょっと私の要望に該当する人が限られるかもしれないけど」

「……高校生でその腹黒さは本物だよ」

「大丈夫、今の私は高校生じゃないわ」


確かに麻琴は今日で高校生を卒業し、大学入学までの数週間は所属が無い状態だ。悪態を吐く時には名前で言うしかない。

他に何か逃げる話題は無いかとステルス妖魔について考えていると裂はふと思い出した事が有った。


「そういや、龍牙は今後はどうすんだ?」

「あ、忘れてた」

「おいおい。多感な中学生男子の心を弄んでやるなよ」

「いやだって、好みじゃないし」

「純情な男子に謝って」

「はいはいごめんなさ~い」


全く心の籠らない謝罪の後に麻琴は再度、マグボトルで喉を潤してから少し姿勢を正した。


「龍牙君とは貴方に会う事はないでしょうね。当主が一家丸ごと拘束してたし、今頃は死んでるか影鬼の実験施設で人外に変貌してるか」

「いや人外に成ってたら脱走して俺に逆恨みして来るかもしれないじゃん」

「まあ私も彼らがどうなったか知らないのよ。当主からは知りたいかって聞かれたけど興味無かったし」

「わぁ酷い」

「貴方だって似た様なものでしょ。ああ、無駄話をしている間に結構経ったわね」

「そういや廊下も静かに成ったな。大体は帰ったか」

「じゃ、私はカラオケに行ってこようかしらね」

「おうおう行け行け。俺は教師連中に見つからない様帰るわ」

「捕まって怒られちゃいなさいよ」


そう言って立ち上がった麻琴はパイプ椅子を元有った場所に戻し引戸に手を掛ける。


「ああ、一応誤解が無い様に言っておくわ」

「あん?」

「結構楽しかった。専属鬼が貴方で良かったわ」

「……明日は槍でも降るのか」

「最後のサービスよ。有難く受け取っておきなさい」

「へいへい、ありがとうございます」

「よろしい」

「あ、俺も最後に」

「何?」

「卒業おめでとう」

「……ありがと。じゃあね」


互いに素直な言葉を向けた覚えは無い。最後だからと珍しい事を言ってみたが普段と違う事を言う違和感が酷くて2人して苦虫を噛んだ様な顔に成る。

それ以上は何も言わずに麻琴は資料室の引戸を開いて退出し、静かに成った資料室で裂はスマートフォンを取り出し漫画アプリを開いた。

別にさっきの言葉に他意は無い。麻琴も裂に背を向けていたが特に意味は無かっただろう。


……ま、面倒でも退屈はしなかったか。


何となく苦笑して裂はスマートフォンに視線を戻し、帰り際に教師に捕まり卒業式に不参加だった事について注意受けるとは知る由も無い穏やかな時間を過ごした。


本作はこれで完結となります。

ある程度の文字数が書けましたら別主人公の話を投稿しようと思います。

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