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弐拾玖

池袋駅地下迷宮。

各地の大型駅に用意されるストレスの捌け口として妖魔が発生し易い環境の中でも一際有名な迷宮だ。

大都市に勤めない四鬼では知らない者も多いが、東京を拠点にしている鬼なら四鬼も異端鬼も関係無く池袋と渋谷の地下迷宮は警戒する。

妖魔発生の特徴の1つに人気が無い場所で発生し易い、という物が有る。

負の感情は純粋な触媒を妖魔に変じさせ易い。その為、多様な触媒が集まるエリアでは負の感情は発生するが妖魔そのものは人気の無い場所で発生するという現象が起きる。

その為、現在の都市開発では意図的なエアポケットが用意され四鬼の巡回もエアポケットへの急行が可能な様に組まれる。

しかし大きな建築物に成り易いターミナル駅では建物内にエアポケットを用意しても上下移動が発生し急行するのが難しい。その為、地下に意図的に人気の無い通路を設けエアポケットにする事が日本では一般的になった。

その中でも池袋と渋谷の2駅が悪名高いのには、人口が多いだけでなく年齢層も人種も豊富な為にストレスの数と複雑性が高い為だ。

例えば格闘家が思う様に結果を残せず、経済的に困窮してストレスが増して最終的に妖魔が発生する場合は格闘技に関係した外観から能力の分かり易い妖魔が発生し易い。

しかし、複数のストレスが混ざり合い発生する妖魔は姿形も能力も不安定だ。雀蜂の様な顔を持つ馬だが、尻尾が蛇の様に成り先端が紙幣を模した5本爪に成っている等、どのような存在か説明が付かない妖魔に成る場合が多い。


……行方不明者が出ても『迷い込んだ一般人が妖魔に殺されました』で済ませられる場所って事だ。


竜泉から話を聞いて裂が最初に考えたのはその部分だ。

関係者以外立ち入り禁止の区域では有るが一定の施設整備を可能とする為に完全に侵入を防げる場所という訳ではない。

地下鉄の線路から入る事は可能で好奇心によって線路の整備員が地下迷宮に迷い込む実例も有る。駅によっては下水道から迷宮に侵入する事が可能な場所も有る。

そんな訳で裂の様な高校生が肝試し感覚で地下迷宮に侵入したと言われても世間では時々あるニュースで済まされてしまう。

そんな裂の疑念を察したのか地下迷宮への入口で竜泉が笑みを深くした。


「まあまあ、ここで君を謀殺する様なつもりはないよ」

「それを素直に信じろってか?」

「無理だろうね。俺が君の立場なら嘘吐けって思うよ」

「そう言う事だ」


笑い事では無いのだが竜泉は笑みを絶やさない。

流石に話して直ぐに地下迷宮に直行したのではなく、会議の翌週の土曜日だ。

1月も後半に差し掛かり高校2年なら年度末試験と春休みに意識を割かれる時期だが、裂は命の危機を気にする事態に陥ってしまった。

自分の引きの悪さに溜息を吐きつつ裂は地下迷宮に挑む面子を見渡す。

四鬼側は乱風竜泉、獄炎斧前、青山霞の3名を派遣してきた。下手に人数を増やすと統率が取れずに通路の狭さによっては連携も難しい。霞が居るのは後衛が1人居ると立ち回りに幅が出来る為だろう。

ここに裂が加わるのはもう諦めが付いているのだが、どのようなフォーメーションを想定しているのかは気に成る。


「前衛の連携は四鬼2人で完成しているだろ。俺をどう配置するつもりだ?」

「う~ん。まあ地下迷宮に慣れているとは思えないし、最初は見学かな」

「了解。黒子の護衛程度で考えていれば良いか?」

「それは有難いかな。俺達だけだと霞ちゃんが後衛っていうか中衛に成っちゃうから君が護衛してくれるなら名実共に後衛として立ち回って貰える」

「よろしくお願いします」

「あれれ、霞ちゃん、灰山君にそんな態度だったっけ?」

「四鬼と影鬼なので」

「そう? ま、そんな訳でこの4人でまずは池袋駅地下迷宮に挑むよ。普通の巡回ルートをメインに灰山君をステルス妖魔の釣り餌にする。この辺にステルス妖魔が居ればラッキー、居なければ後日、別の地下迷宮に挑む。良いかな?」

「事前の確認通りだ。灰山がどの程度使えるかの確認にも成る」

「よろしくお願いします」

「……了解だ」


全員の了承を得て満足気に頷いた竜泉が池袋地下迷宮に続く扉に手を掛けた。

妖魔が近くに居る可能性を考慮して静かに少しだけ開き、可能な限り視線で周囲を確認してから地下迷宮に侵入する。

その後を斧前、霞、裂の順番に続く。

地下迷宮といっても特別な構造をしている訳では無い。大きい駅によく見られる幅広の通路の様に成っており柱以外には死角も無い。


「灰山君は初めて見るんだよね?」

「ああ」

「基本的に地下迷宮は一般的な駅の通路が地下に広がっていると思ってくれ。こんな風にだだっ広かったり、横道に逸れれば大小の通路が有る。池袋駅では無いけど、新宿や渋谷だと地下鉄が見えて歩道橋が設置されてたりもするんだ」

「この入口は階層としてはメインの拠点と考えれば良いのか?」

「そうそう。巡回の四鬼が最初に入る正規ルートだ。ただ、強い妖魔が確認された時の緊急案件用に別の入口もいくつか有る。そこまで詳細に案内はしないけど、他の四鬼が居ても驚かないでくれ」

「最初から関わる気は無い」

「なら良い。さて、小型の妖魔の反応は有るが別に魔装を使う程でも無い相手だ、基本は俺と斧前で対応するけど息継ぎに灰山君にお願いする事も有ると思ってくれ」

「了解」


基本的なレクチャーを受けて裂は竜泉、斧前、霞の後を付いて歩き始める。

余所見をするのに多少の躊躇は有ったがスマートフォンを取り出して妖魔の反応を見る。影鬼に操作されてるとは言え池袋地下迷宮はかなり広い。竜泉が言う様に小型の妖魔が居るなら遠いエリアに反応が有るかと思ったが特に反応は無かった。


……確か地下迷宮には小型の妖魔が常に15匹程度は居る想定だった筈だ。地上で反応が見れ無いって事は探知方法が別物なのか。


竜泉に聞けば答えが返ってきそうだが、下手に四鬼側の情報を聞いてしまうと便利な人員としてスカウトの理由にされるかもしれない。単純な知的好奇心は有るが下手な事は聞かない事にして裂はスマートフォンをポケットに押し込んだ。

少し歩いて広い空間から横幅5メートル程の通路に入ると遠目に小型の妖魔を発見した。

大人の腰くらいの身長をした妖魔で犬型だ。脚は虎やライオンを思わせる大型の猫科の様に太く鋭い爪が生えている。胴体がドーベルマンの様なスマートな体躯をしている為に見た目は不釣り合いで顔は狼の様だが口が上下左右の4方向に開いて通常の犬なら脳が有るべき場所まで開いている。

竜泉と斧前はそれぞれ直剣と斧を手に取り静かに構える。

犬型妖魔は既にこちらを捉えており逃げるくらいなら迎撃した方が安全な距離だ。


「霞ちゃん、札は温存で。まずは俺と斧前で叩く」

「分かりました」


竜泉の指示の最中も犬型妖魔は肩を怒らせて静かな歩調で4人への距離を詰めて来る。

裂は後衛の護衛として念の為に犬型妖魔以外に妖魔が居ないが周辺の警戒に努めた。現在地は直線の通路だが横道がいくつか有るので戦闘音に引かれて妖魔が来ないか警戒は必要だ。

裂の警戒は無意味で終わるのが望ましい。

それは誰もが理解している中、竜泉と斧前は当面は正面の犬型妖魔に集中すれば良いと判断して妖魔に意識を向けた。

犬型妖魔も四鬼2人もまだ自分の間合いではない。

四鬼2人としては静かに距離を詰める犬型妖魔の初撃を斧前が受け止め、竜泉が削る算段だ。

妖魔の外見から想定される攻撃方法は前足の爪、4つに開いた口による噛み付きだ。尻尾は一般的な犬の形状なので攻撃手段とは考え辛いが無警戒で良い訳では無い。

斧前が大き目に1歩踏み出し犬型妖魔の注意を引き、摺足で間合いを詰めた事で犬型妖魔が攻撃態勢に入った。

前足を伸ばして後ろ足を畳んで跳躍の準備姿勢を取り、斧を右手で構える斧前の左側に向けて大きく跳躍する。通路の壁を足場に更に跳躍し斧前の左肩に向けて両前足を大きく振り被って爪による斬撃を放つ。


「ふんっ」


迎撃する側である斧前は1歩踏み込んで犬型妖魔の着地地点の少し深い位置に踏み込む。まだ犬型妖魔の攻撃範囲では有るが最も勢いが乗った斬撃を受ける位置ではない。

右手で持っていた斧に左手を添えて右下段から左上段に向けて振り上げて斬撃を受ける。

地上で斬撃を受け止めた斧前は膝をクッションにする事でその場に留まり、空中に居る犬型妖魔は反動で天井に向けて少しだけ仰け反った。

空中で完全に無防備に成った犬型妖魔に向けて竜泉が迫る。

直剣をレイピアの様に刺突の姿勢で構え、地上に向けて落下する犬型妖魔に突撃する。着地と同時に逃げられる事を避ける為に狙いは着地前だ。

空中で回避行動の出来ない犬型妖魔に竜泉が刺突を放つ。顔面を横から射貫き、即座に引いて胴体の中心部を突く。

妖魔の体積を削るという観点で見れば刺突は有効な攻撃手段ではない。

それでも竜泉が刺突という攻撃方法を選んだのは素早く確実に妖魔の体勢を崩すためだ。

狙い通り空中で2回の刺突を受けた妖魔は着地の為に姿勢を整える事が出来ず床に倒れ込む。

無防備に横腹を見せる犬型妖魔の背後に斧前が踏み込んだ。斧は両手で大きく振り被られておりあとは振り下ろすだけだ。

犬型妖魔もただ待っている訳では無い。後ろ足を可能な限り伸ばして爪で斧前の攻撃を妨害しようとする。

しかし、斧前が分かり易く背後に踏み込んで犬型妖魔に警戒させたのは竜泉への警戒度を下げる為だ。

分かり易く妖魔の体積を削れる斧を思い切り振り上げた斧前を囮に竜泉が首に向けて直剣を振り下ろす。

流石に気付かれて妖魔が首を逸らしたので切断は出来なかったが、3分の1は切り裂けた。

竜泉の攻撃に斧前への抵抗が弱まった瞬間、斧が後ろ足2本を切り落とし、振り下ろされた斧が向きを変えて妖魔の胴体を切り飛ばす。

胴体の半分を切り落とされた事で妖魔はその肉体を維持出来なく成り、黒い霧の様に霧散した。


「やっぱり、このくらいなら魔装は要らないね」

「まだ1体だ、油断するな」

「はいはい。さて、巡回ルート通りこの先の広間を目指そうか」


妖魔の討滅には必ずしも魔装は必要では無い。

人は妖魔を効率的に討滅する為に魔装を創造したが、魔装が開発される前は生身や普通の防具や武器で対処していたのだ。現代では魔装での討滅が一般的ではあるが、四鬼や黒子の訓練の中には生身で小型の妖魔を討滅する項目も有る。

霞も訓練校に通っていた頃に単独で小型の妖魔を討滅しているが当時は相当に苦労した。今の実力なら訓練校時代に討滅した小型妖魔を討滅する事は容易だが、それでも緊張を強いられるだろう。

何となく最初に単眼妖魔の迷宮に取り込まれた時の事を思い出して霞は裂を見た。

霞に背中を向けて通路を警戒しつつ、戦闘が終了したのを音で察したのか裂が予備動作も無く振り返る。


「終わっな」

「……はい。次に行きます」


竜泉と斧前から少し距離が有るが遮蔽物の無いコンクリートの壁で出来た通路だ、2人の話声は反響して裂も霞も聞こえている。

裂の声掛けは本当に単純な確認の意味しかない。

霞もそれは分かっているが先日、自分に向けられた悪意の有る言動を思い出すと面食らってしまう。

竜泉が直剣を腰の鞘に納刀し、斧前は斧を後腰のホルダーに吊るし裂と霞を待っている。

裂は最後列なので霞は足早に四鬼2人に合流しつつ、袖に仕込んだ札がいつでも使える様になっているか確認し直した。

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