弐拾参
四鬼と影鬼が調査の方針を打合せた次の土曜、翌週から期末試験を控えた裂だが赤点に成らない程度で良い彼は特別に勉強はしていない。
四鬼からも影鬼からも特に仕事の連絡が無いので暇を持て余していた。
気ままな1人暮らしな事を利用して積んでいたゲームをプレイしているが12時を過ぎて小腹が空いたのでコンビニに行く為に外出する。
フラフラと散歩を兼ねてコンビニまでの最短距離ではなく少し遠回りな道を歩く。
……ファミレス増えてる。スーパーがセールだ。あ、この服屋閉店するのか。
新たに出来ていたファミレスは今まで裂も利用した事が無い店だったのでコンビニは中止してファミレスに足を運んだ。
新規でオープンした店なので店員の接客も慣れおらず開いている席を探す視線も安定しない。
考えてみれば昼食時のファミレスは非常に混む。
裂は初めて見たがファミレス内にはカウンター席が設置されており、その最奥の席に案内された。時間帯的に1人客が珍しいのでカウンターは6席だが裂も含めて4人で偶々裂の隣は空席だ。
カウンターの内側からキッチンスタッフがメニューを手渡されて肉のページを開き、適当にステーキ定食を注文した。
スマートフォンを取り出して漫画でも読もうかと思ったらメッセージアプリに着信が有り、クラスメイト達のグループにクリスマスイブにカラオケに行こうという誘いの連絡が入っていた。
参加不参加の管理表に不参加と入力してアプリを閉じ、漫画アプリを開く。
……これ、不参加にしたせいで面倒が起きるか?
仮に面倒な追及を受けたら人と先約が有ったと言って躱そうと決める。
既に1回読んだ内容だが特に興味を持って読んでいなかったので新鮮な気持ちで読める。そもそも5巻目なのだが4巻の内容を覚えていないので全然理解出来ないまま読み進めた。
この辺の拘りの無さが周囲から呆れられる要因なのだが裂に直す気は無い。そもそもこの興味の無さが無ければ灰燼鬼としての活動に支障が出るので直す訳にもいかない。
適当に漫画を読んで時間を潰しているとステーキ定食が運ばれてきてレシートも伏せて置かれた。
久しぶりにナイフとフォークを使う食事だと思いつつ、そもそも洋食を食べていなかったと思い直す。
ファミレスらしい値段の割に満足感の有る食事を終えて会計を済ませ、満腹感からさっさと家に帰る事にして帰路を歩く。
先日、潤から監視者は四鬼でも影鬼でも追い掛けない様に連絡が有ったが別に守る必要は無い。影鬼に所属する鬼はプライベートの行動は束縛されない事が契約書に明記されているので潤もお願いする形式しか取れないのを裂は把握していた。
そんな事を思い出しつつ、視界の端にチラチラと映る監視者に溜息を吐く。
せめて見つからない尾行をして欲しい。
背後に居るなら気にしないので前方に居るのはどうにか成らないものだろうか。
そんな風に思いつつ、潤の連絡は既読無視しているので裂の感想が伝わる事は無い。
このまま半端に進めたゲームを続けようと家の鍵を開けようとして、開いている事に気付いた。
……いやいや、掛け忘れちゃいねえっての。
室内に誰か居るのか、不在の間に荒らしたのか。
準備運動に肩を回して身体を解し、短距離走のスタートラインに付く程度の感覚でドアノブを回して室内に踏み込む。
8畳の1Kで玄関から直ぐに廊下になっておりトイレ、キッチン、バスルームが有る。途中の横の扉がリビングに繋がっており、他の部屋と互い違いに成る様に設計されている。
廊下には荒らされた様子は無い。
1Kの男部屋の廊下に金目の物や漁って価値の有る物は少ない。
最初から廊下はあまり期待していなかったが、多少は覚悟していたので肩透かしの気分を味わいつつリビングに向かう。
やはり特別に気負う事も警戒心も薄くリビングの扉を開く。
最もスペースを取れる部分に少し大きめのベッドが置かれ、L字の机が部屋の隅に設置されている。机の下は棚に成っておりゲーム機、テレビ、PCはその机に設置されていた。
衣類は壁やベッド下の収納スペースに保管されているので男子高校生の1人暮らしの割に裂の部屋は物が少なく小綺麗に見える。
そのベッドの上に侵入者が座っていた。
「よう、邪魔してるぜ」
「万丈か。何の用だよ」
「ちょっと婆さんからお前に質問が有るってよ」
20代前半の茶色に染めた短髪を整髪料で逆立てた男、片影万丈は影鬼専属の魔装技師、片影家の次男だ。左耳と下唇にピアスを付けたヤンキーな風貌だが物心付く前から魔装技師としての修業を積んでおりキャリアは20年に達する。
数年前から既に1人で鬼の魔装を任されており彼に世話に成っている影鬼所属の異端鬼は多い。
裂の魔装は担当していないが、万丈の祖母である片影家の当主の名代を務める程度には裂についても把握している。数年後には万丈が裂の魔装を担当する事に成る予定なので数年前に片影家当主に引き合わされた仲だ。
裂は椅子に腰を下ろして万丈と視線の高さを合わせ、話を進めた。
「ババアから質問?」
「そうそう。お前、スマホ監視されてるし婆さんは四鬼大嫌いだしで俺が代わりに来たって訳だ」
「ババアはそもそも歩けるのか?」
「……この間、リビングでビデオ通話のエアロビしてた」
「……いくつだっけ?」
「そろそろ95だ」
「ババア自重しろ」
「冬キャンプの準備してた」
「凍死しねえか?」
「かなりガチな装備しててよ、ちゃんと暖房設備も有ったぜ」
「人生楽しんでんな」
「今でも好物は天丼とカツ丼だ」
「コレステロール!」
元気一杯な当主に呆れつつ裂は好い加減に本題を話せと顎を振って見せる。
「お前の状態は聞いたぜ。四鬼と司法取引とか、馬鹿じゃねえの?」
「好きでこうなってねえよ」
「んで、その事で話が有るんだよ」
「あん?」
「お前は多分、影鬼としての活動が制限される。特に、魔動駆関の付いた鬼の魔装は使えなくなる筈だ」
「……ま、監視はされるだろうな」
「だが魔動駆関の付いていない魔装なら話は別だ。婆さんから聞かれてるのは魔動駆関を外すかって事だ。もし、お前が四鬼からスカウトされたら話は別かもしれねえけどな」
「流石にねえだろ?」
「どうかなぁ? お前の年齢でその戦闘力は使い勝手が良い。四鬼の中でも業炎鬼に高校生の麒麟児が居るらしいが、性格に難有りって話だ。それに比べりゃお前は損得勘定で制御し易い。スカウトってのも無い話じゃねえってのが婆さんの見立てだ」
「ババアの見立てとか面倒な事に成るな」
「婆さんを親族でもねえのにババア呼びして生きてるお前が分からねえよ」
意味が分からずに眉だけで疑問符を浮かべた裂だが万丈は何も言わずに話を進める。
「ま、今直ぐって話じゃねえ。今回の仕事は長丁場って聞いてるし考えとけよ」
「いつまでに決めれば良いんだ?」
「時期は正直分からねえな。魔動駆関が無ければ魔装の性能は下がるし、お前の場合は特に刃のリーチが伸ばせねえ」
「1番重症なのは肘のスラスターだな。刃を加速させる事が出来ない」
「それに灰燼も撒けなくなるだろ。ただの魔装じゃお前の積み上げてきた物も役に立たなくなるぞ」
「影鬼として使える戦力には、数えられねえよなぁ」
言って大きく息を吐いて背凭れに崩れ落ちる裂を見て万丈は笑う。
お得意様が1人減る事に成るが万丈としては厄介な魔装である灰燼鬼を見る面倒は避けたい、と言うのは建前だ。
「お前がどんな事情を抱えてるか俺は知りたくもねえが、お前の魔装は面白い。整備も維持も面倒な仕様だが、技師としては好きに弄れるなら魅力的だ」
「人の魔装を面白半分で弄るな」
「犯罪者同士仲良くしようぜ。俺はお前を買ってるんだ」
「俺の魔装を、だろ」
「そうそう。今じゃ婆さんが見てるが、あの魔装を組んだ曽爺さんは茶化す気にもならねえ天才だ。その魔装を間近で見れるなんて俺は幸運だ」
「その幸運は俺が影鬼で鬼のままでいられればの話だろ」
「そう。だから、お前には影鬼に居て貰いたいし、魔動駆関も外されちゃ困る」
「俺が四鬼に行っても魔装は置きっ放しにしてればお前が弄れるだろ?」
「使われねえ魔装に何の価値が有る。それに、使われなきゃ魔装を進化させられねえだろ?」
「うわぁ。魔装は別に強化外骨格って括りで工業に使われてもいるだろ。魔装を戦闘用としか見れねえのは危険だぜ」
「おいおい、その戦闘用で飯食ってる奴が何言ってんだ」
何も言い返せずに肩を竦めた裂を見て満足したのか万丈が勢いを付けてベッドから立ち上がる。
手振りで帰宅の意思を示した万丈を裂は止める気も無く手を振って早く帰れと示した。
その後は互いに口を利く事も無く万丈は裂の家を後にし、裂はゲームを始める気に成らずベッドに倒れ込んだ。
……万丈は軽くても技師としては優秀だしな。その万丈があれだけ入れ込むって事は、片影家でもあの魔装は大事にされるか。
それなりに思い入れの有る魔装なので仮に自分の手を離れても大事にしてくれる者が居るのは有難い。
万丈が出て行った扉に鍵を掛けて台所から塩を持ってきて1摘まみ撒く。
……さて、ゲームするか。
高校2年、状況は特殊だが裂も将来について考えなければならない時期に来ていた。
▽▽▽
期末テストを無事に赤点に成らない程度の手応えで終えて数日経ったクリスマスイブの放課後、裂はクラスメイトの誘いを断って家に帰り私服に着替え改めて外出していた。
四鬼からステルス妖魔の調査については金曜の夜から土曜に掛けてしか来ない。影鬼からは四鬼が裂以外の異端鬼に接触するリスクを考慮して仕事を振られない様に調整されている。
そんな訳で高校2年のクリスマスイブを裂は特にイベントの無い普通の日として過ごす事に成った。
昨年はクラスメイト達の誘いでボーリングやカラオケに目立たない程度に付き合った後に麻琴の指示で妖魔討滅に奔走していた。
「我ら生まれた日は違えど、リア充撲滅の誓いを同じくする者っ!」
「明日も仕事だコンチクショー!」
「クリスマス限定ケーキいかがですかー!」
適当に日の暮れた街を歩けばカップル達を羨む者、今日も明日も仕事の者、今まさに仕事をしている者と裂に負けず劣らず大変な者達と擦れ違う。
夜の東京の冷え込みは馬鹿に出来ない。マフラー、手袋、コートでも身体が冷える感覚は避けられない。
裂は近場の自動販売機からホットのペットボトル珈琲を買い口に含んでポケットに入れカイロ代わりにする。
意外にも今日は裂が気付ける監視者は居らず、尾行しているとしたら背後の様だ。
裂は目的地も無く適当に1人でも入り易い店で夕食を取ろうと思っただけなのだが、今日が監視の担当者には同情してしまう。
……何が悲しくてクリスマスに何の目的も無い俺の監視なんてしなきゃならないんだろうな。日頃の行いが悪い奴が担当だったらマジで笑えるわ。
人でなしな事を考えながらチェーン店でないラーメン屋を見付けて入店を決めた裂は店の前に置かれた券売機で大盛のラーメンを頼む。更にチャーシュー丼を追加して入店し店員に面硬めで注文する。
店内はカウンター席しかなく、6時半という時間で裂としては意外だったのだが席は8割程埋まっていた。客層は大人から高校生くらいまで幅が広く裂と同じ様に1人客ばかりだ。
裂の入店から1分も掛からずに目付きの鋭い男と若い女がスーツ姿で入店し裂から2席離れた位置に案内された。
人の移動に合わせ本能的に視線で追ってしまった裂だが自分だったらジロジロ見られて良い気分はしないので直ぐに視線を外す。
同時に短い時間で観察してしまったスーツ姿の女が霞だと気付き水を飲んで息を吐くのに合わせて溜息を吐いた。
……せめて関係無い奴等で監視するとかしねえのかよ!?
裂としては四鬼側の監視者は複数人居ると思っているのだが、まさかの人選に四鬼は人手不足か考え無しなのかと疑ってしまう。
この店は一般的な中華そばと呼ばれるラーメンをメインにしている様だったので裂は変に変わり種のメニューは選ばなかった。
しかし目付きの鋭い男は辛さ十倍ラーメンを頼んだ様で霞が引いている。
券売機には『初めての来店のお客様はご注文出来ません』等と書かれていたのを思い出し、警察が常連かもしれない店なので裂はこの店は今回限りだと心に決めた。
そんな事を考えている間に先にチャーシュー丼が運ばれて来たので箸で少量を掻き込みつつ、中華そばの到着を待つ。
目の前で面が湯切りされ、大き目の器に盛り付けられて裂の前に大盛中華そばが提供される。
威勢の良い声で『ハイお待ちっ!』と言われ顔を上げて器を受け取りチャーシュー丼の横に並べた。
……シンプルだけどそれだけ自信が有るんだろうな。
繁華街でありながらシンプルな中華そばがメインのラーメン屋だ、自信だけでなく実績も有るのだろう。
スープは一般的な醤油ラーメンの様だが口に含んでみると魚介の風味も感じられた。
つけ麺店等で出てくる魚粉を思い出しつつ裂はツルツルと中華そばを啜り、時折チャーシュー丼を掻き込んでスープで流し込む。
チャーシューは丼でも中華そばでも同様の物が使われているのだろう、チャーシュー丼は魚介の風味を勘実中華そばの醤油ベースのスープにも良く合う。
グルメ番組で大人が『もう大盛ラーメンとサイドメニューは食べきれませんね』等と言っていたのを思い出して楽しめるのは今だけらしいと思いながら中華そばとチャーシュー丼を堪能する。
そんな堪能中、小さくだが確かに店内に女の悲鳴が聞こえた。
想定外の物を見た様な『ヒィッ!?』という声は裂の聴覚では霞が居る辺りから聞こえ、周囲が注目したのに合わせて裂も視線だけ向けてみる。
霞の前には普通の中華そばが有り悲鳴を上げるような物は無いが、その隣は確かに裂も驚くだろう物が置かれていた。
器のサイズは裂の手元に有る大盛中華そばと同じだ。他にサイドメニューは頼まなかった様で器の前に座る目付きの鋭い男は割箸を右手、レンゲを左手に器を嬉しそうに覗き込んでいる。
その器の中は、赤い液体だった。
裂の位置から少しだけ見えるのは真っ赤とかし表現出来ない液体だ。
辛さ十倍の謳い文句を律儀に守っているのか左右の席の客の表情は思い切り歪んでいる。
霞と別の客が間に居る裂でも妙に鼻を刺激される感覚を覚え、この距離で感じるのは現実的ではない錯覚だと自分に言い聞かせた。
……あれが隣は素直に同情するぜ。
その異常な赤い液体に男が箸を伸ばし、赤く染まった麺を掴み上げる。
本当にラーメンだった事に驚きを隠せない初見の客達だが、数人の常連は久しぶりに見たといった様子で自分の食事に戻っていく。
裂は比較的早く気を取り直し、早々に食べ切って店を出ようと中華そばとチャーシュー丼を掻き込んだ。
先程は錯覚だと自分に言い聞かせた裂だが、スープが喉を通る際に喉に妙な刺激を感じ錯覚なのかと疑問が沸いた。その疑問に強引に蓋をして中華そばを啜り終え、チャーシュー丼は米粒1つ残さず食べ切り提供台に中華そばとチャーシュー丼の器を上げる。
「ご馳走さん」
「ありがとうございましたっ」
提供される時と同様に威勢の良い店員の声を背に受け裂は劇物から一刻も早く距離を取る為に小走りでラーメン屋を離れ、ポケットから珈琲を取り出して喉を濯いだ。
……冗談じゃねえっ、監視されてるだけなら良いが飯の邪魔される覚えはねえぞ!
クリスマスイブに下手に変わった事をするものじゃないと思い裂は早々に帰る事にした。




