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弐拾弐

佐右ヱ門との打合せを終えて曇硝子を閉じる操作をして影鬼側のメッセンジャー、影山潤は大きく伸びをした。

ブラウスを押し上げる胸に冷たい視線を向けつつ、部屋の隅の椅子で待機していた麻琴も緊張を吐き出す様に溜息を吐いた。


「お疲れさまでした。灰山裂は随分と気に入られたようですね」

「使い潰されるのは確定したようなものじゃない」


潤に茶化した言葉に呆れた様に返した麻琴は手帳を閉じてブレザーの内ポケットに仕舞う。


「高校生で手帳を内ポケットに持っている人って珍しいでしょうね」

「誰のせいよ誰の」


馬鹿々々しくなって麻琴が立ち上がると潤も合わせて立ち上がった。

四鬼との打合せの場に同席させると聞いていたが通話ではなく直に会う事に成るとは思っていなかった。

想像以上の疲労を自覚して麻琴は鞄からペットボトルの珈琲を取り出して口に含む。


「ま、将来的に廃業しないで済むかもしれないだけ良かったのかしらね」

「私達が蒲田支店を斡旋した意味が無くなったらくたびれ損ですね」

「そう言えば裂をスカウトしたって人は誰なの? 私も聞いた事が無いんだけど」

「彼はスカウトされた人材じゃありませんよ。評価が上がるとしたら、彼をここまで育てた麻琴お嬢様に成るでしょうね」

「スカウトされていない?」

「その辺はいずれご当主様に聞いて下さい。私もどの程度まで話して良いのか分からない部分が多いので」

「そう。今日はこれで終わりかしら?」

「はい。夕飯でも食べに行きますか?」

「そうね。でもこの辺ってチェーン店ばかりで奢らせる甲斐が無いのよね」

「財布に優しくて有難い限りです」


池袋駅の地下迷宮を潤は誰かを守りながら歩く力量は無い。

ボディガードとしてスーツをラフに着崩したチョーカーを付けた女の異端鬼を1人呼んで扉の前に待たせている。

寡黙な異端鬼は潤と麻琴が扉から出てくると地下迷宮を出るかと首を傾げて潤に聞いて来る。

付き合いが長い潤はそのジェスチャーを正確に認識して頷き、先導する女の背後を麻琴を連れ立って歩き始めた。

佐右ヱ門達とは根本的に通路が異なるので佐右ヱ門と遭遇する心配は無いが、別の四鬼と遭遇する可能性は有る。

その為、影鬼所属の3人は話す事はせずに地上に向かい、池袋駅ビルの中でも一般人が入れる通路に出る。

寡黙な鬼は人混みに入ると手振りだけで別れを告げて去って行く。

分かれた麻琴と潤は池袋の繁華街に向けて歩き出す。


「最後まで一言も話さないのね」

「3年の付き合いですが私も声を聞いた事が有りません」

「え?」

「もしかしたら声が出せないのかもしれませんね」

「成程」

「チョーカーを外している所も見た事が無いです」

「そう言えば少し幅広なデザインだったわね」

「それが答えかもしれませんね」


チョーカーの下には喉付近に傷跡が有り隠しているかもしれない。

そうなれば声を聞いた事が無いというのも分かる話だ。


「さて、明日も学校だし手軽な食べ物が良いわね」

「いっその事、ラーメンとかどうです?」

「良いわね。コッテリ太麺のラーメンて食べた事無いのよね」

「い、行きますか?」

「あれ、苦手だった?」

「いえ、ちょっと運動不足でして」

「ははぁ~ん?」


笑みを浮かべて麻琴が潤の脇腹を見れば恥ずかしそうに潤が低い位置で腕を組む。


「大丈夫よ、いつも通りカッコいいから」

「……ありがとうございます」


あまり続けたい話題では無い潤は直ぐに姿勢を直して普通に歩き出し話題を変えた。


「受験勉強はどうです?」

「模試じゃA判定だったし、よっぽどのヘマをしなければ大丈夫ね」

「塾にも行ってないのに凄いですね」

「まあ受験勉強とか向いていたんでしょうね」

「私は偶々身内がタダで家庭教師に成ってくれたので助かりましたが、ご両親に聞いたりは?」

「高学歴だけと流石に今の受験勉強向けの知識は無いわよ。最初は塾に通うか聞かれたけど模試の結果次第にするって言って試したら要らないって」

「A判定ならそうでしょうね」


繁華街に着いて適当に直ぐに入れるラーメン屋に入り、食券機の前に潤が立って麻琴にメニューを確認するように半身だけ振り返る。


「じゃ、普通のラーメンと卵掛けご飯が良いのかしら?」

「良いんじゃないでしょうか。男子高校生なら大盛にしたりチャーシュー丼にしたりするんでしょうね。私はラーメンと」

「仕事は終わっているんでしょ、別にビールとか頼んでも平気よ?」

「いえ、実はラーメンにビールはどうも肌に合わなくて」

「そうなの?」

「単純に重いのかもしれませんね。注文の仕方は知ってますか?」

「知らないのよね」

「じゃあ今日は私が適当に頼んじゃいましょう」


そう言って店員に案内された席に2人で並んで座り、潤は麺硬めのみ依頼した。

他の客が『カタメニンニクマシマシヤサイオオメアブラオオメアジコイメ』と抑揚無く言ったのを聞いて麻琴が目を見開く。


「ああ、食べ慣れた方なんでしょうね。慣れない内は止めた方が良いですよ。驚きますから」

「え?」

「あ、似た様な注文をした人のが台に乗っていますね」


潤の視線に合わせて麻琴がまだ客に提供される直前のラーメンを見れば麻琴が両手で持つのがやっとの器にモヤシとキャベツの山が盛られているところだった。


「……野菜の山?」

「店によってはモヤシやキャベツは無くてホウレン草や海苔が多い物も有りますね」


他の客向けをジロジロ見るのもマナーが悪いかと2人は視線を逸らす。

厳つい店員や部活帰りの男子高校生が多い中で小綺麗で育ちの良さそうな2人は静かに注目を集めている。話に聞き耳を立てている者は明らかに年上の潤が敬語なので関係性を妄想している者も居る。

ただ2人ともそんな視線に興味は無いので気付いているが知らないフリをしてラーメンを待った。

先に麻琴向けに卵掛けご飯が提供されたので麻琴は少量の醤油を掛けて卵は緩く溶いて箸を伸ばす。


「へぇ、卵だけでなく海苔やチャーシューも入っているんですね」

「この辺も店によりますね。他に見た事が有るのはネギとか胡麻でしょうか」

「ああ、良いアクセントに成るでしょうね」

「あ、ラーメン来ましたよ」


店員が麻琴に声を掛ける前に潤が視線で店員を牽制して麻琴の前に台からラーメンを降ろす。

ガードの硬い潤に怖気づいた店員は麻琴の顔を正面から見る事も出来ずに仕事に戻って行った。


「最初はそのまま食べて、味変を楽しむのがセオリーですね」

「このニンニクとか、酢とか?」

「そうです。博多豚骨ラーメンもこの辺は似ていますね」

「ああ、替玉で有名なラーメンね。さて、頂きます」

「今度行きましょうか。頂きます」


野菜多目を頼んでいないのでモヤシとキャベツは器より少し頭が出る程度の盛り方だ。

始めて食べる麻琴は潤が先に箸でモヤシとキャベツを軽く除けて麺を啜ったのを真似してみる。


「これは、確かに大変ね」

「見ないで下さい」


思わず潤の脇腹に視線を向けそうになった麻琴だが潤が先手を打つ。

肩を竦めてラーメンに向き直った麻琴は食べれるだろうと余裕を見せて食事に戻る。

20分後、店を出た潤は満腹感から口を細めて大きく息を吐く。

その背後から出て来た麻琴は少々グロッキーの様でお腹を擦っている。


「ちょっと多かったですね」

「私には卵掛けご飯は多かったわね」

「あはは。私も高校の時は運動してたし大盛でもいけたんですけどね」

「す、凄いわね」

「後から入って来た人で特盛で野菜多目の方が居ましたね。チャーシュー丼付きで」

「考えただけでお腹が膨れそうだわ」

「男性でもかなり食べる方でしょうね」


麻琴の胃を心配して潤は非常にゆっくりと駅に向かう。

潤は時間から満員電車を避ける為にスマートフォンで駅前に影鬼の車を呼んだ。


「悪いわね。確かに満員電車は辛いかも」

「私もこの時間の電車には乗りたくありませんから」


苦笑して自分の都合だと言う潤だが、他にも理由は有る。

満腹感からくる油断で電車の中で影鬼の話をしてしまうのを避ける為だ。

駅前に到着すると潤が見慣れた車に近付くとタクシーの様に自動でドアが開く。

麻琴が先に入り、潤が後から乗り込む。

扉はやはり自動で閉じ、行先も告げない内に感情に乏しい無表情の運転手が発車させる。


「家で良いですよね?」

「ええ」

「そう言えば、四鬼を間近で見て如何でした?」

「正直に言えば、ただの人だなと思ったわね。怒った時は驚いたけどそれは人も鬼も変わらないしね」

「まあ轟雷鬼系は感情を溜め込まない様にしていますからね。絶風鬼なら嫌味を返されていたでしょうし、業炎鬼なら無関心だったかもしれません。激流鬼は興味が近い部分が有ると面倒ですが、全く関係が無ければ無反応も考えられます」

「ある意味で激流鬼が1番分かり辛いわね」

「そうですね。四鬼の中でも個人で対応に大きな変化が有るので話の方向性を想定し辛い相手です。場合によっては本題から完全に外れる事も有るので打合せが成立しません」

「それ、四鬼の中で1番対外向けじゃないんじゃない?」

「はい。なので四鬼の記者会見等は基本的に絶風鬼か業炎鬼が多いでしょう?」

「そう言えばテレビで激流鬼や轟雷鬼は見覚えが無いわね」

「適材適所ですね。マスコミが強引に激流鬼や轟雷鬼に取材を試みた事は有りますが、まともな会話が成立しなかったというのは業界では有名な話のようですね。それでも新人記者やフリーランスは頑張っているみたいですが」

「下積みや実績を必要とすると仕方が無いのでしょうね。ご愁傷様だわ」

「ちなみに激流鬼の研究時間を邪魔した、轟雷鬼にしつこくし過ぎた為に物理的に痛い目に遭った者もいます」

「……気を付けるとするわ」

「ええ。私もさっきは危なかったですね」


業炎鬼系の鬼だと思って無視される前提で皮肉を言ってみたが見事に外して轟雷鬼系の怒りに触れた。佐右ヱ門が轟雷鬼系の中でも比較的感情をコントロールするタイプだったから良かったが、他の鬼なら警告無しに暴力を振るわれていた可能性が高い。

実例を思い出して呆れた様に天井を仰いだ麻琴は鞄からお茶を出して飲んだ。


「今回の件は影鬼としては待ちの姿勢で良いのかしら?」

「はい。ステルス妖魔の非検体に関係しそうな場所は基本的に四鬼が抑えているでしょう。鉢合わせて面倒に成るのは御免です」

「そうね。でも四鬼との接触回数を減らす為にも早期に終わらせたいものね」

「良い感覚ですね。四鬼との接触は極力減らすべきです。接触する際には最低限にする為、事前に状況を整理して短時間で済む様に努めます」

「今回は事前に資料をやり取りして、会話の時間は短くなる様に努めた?」

「そう言う事です。今回の方法は企業の会議でも理想とされている方法ですね」

「ああ、無駄に会議を長引かせない為に事前にレジュメを提出して参加者に読んでおいて貰う、又は会議の最初の15分程度は各々が読み込む時間にするんだったかしら?」

「そうです。互いに接触時間は短くしたいですから、今回は利害が一致して短い打合せ時間で済みましたね」

「もし、相手がこちらを捕縛する為にあの場を設けていたら、会議を引き延ばされていた?」

「はい。ドラマとか映画で見られる光景ですね。会議室の外で何か作戦を進めておいて、相手に対応する隙を与えない」


麻琴の理解を嬉しそうに見つめる潤は生徒の成長に喜びを感じる教育者のそれだ。

その視線に気付いて麻琴は気恥ずかしさを紛らわす為に話題を進めた。


「で、裂に監視者を追い掛けるなって言うの?」

「そうですね。後で四鬼に文句を言われても面倒なので形式的な連絡は行います。お嬢様から見て灰山裂の行動の動機は分かりますか?」

「ただの気紛れね。特に何か思惑が有ったんじゃなくて、偶々見つけて、何か気に成る事が有ったら追い掛けてみた程度の理由だと思うわ。監視者が四鬼側の人間かどうかも捕まえてから聞けば良いと思ってたんじゃないかしらね」

「例えば、四鬼の関係者を捕まえて独自に情報を得ようとしたとは考えられませんか?」

「無いわね。逆に与えられていない情報が有っても気にしない、というか下手に情報を持って面倒が増えるのを嫌うと思うわ」

「それはまた、策を重んじる者からしたら読み辛い行動原理ですね」

「人間を相手にしていると思っちゃ駄目ね。気紛れな猫を相手にしていると思わないと」

「猫を相手にしているつもりで虎が出て来たら最悪ですけどね」

「それはそうね」


猫なら引っ掻き傷で済むかもしれないが虎なら食い殺されかねない。

確かに裂の戦闘力なら生身の人間相手なら数人まとめて殺せてしまう。魔装まで使えば四鬼が出張るしかない。


「影鬼側の人員なら仕込みは必要ですが魔装は封じられますね」

「だからって黒子程度の戦闘力じゃ被害は出るでしょうね。鬼を派遣しても鬼技で逃げられかねないし」

「本当に警戒するべきなのは攻撃性能ではなく、仕留めるのも捕縛するのも難しい灰燼鬼の特性なんですよね」


そう言って潤は溜息を吐いて組んだ脚に肘を起き顎を手で支える。

味方だと確定していれば使い易い駒なのだが、敵対したり所属不能な場合が非常に厄介なのが灰燼鬼の特性だ。

灰で視界を塞ぐ、肘刃が見た目よりリーチが延びる等の暗殺者を彷彿とさせる特性は特に死角の多いビル街では無類の強さを発揮する。

戦闘に於いては正面から殴り合っている筈なのに奇襲を仕掛けられるのだから戦う方からすれば非常に厄介だ。


「お嬢様、やはり灰山裂を専属鬼として手元に置いておきたかったのでは?」

「確かに能力は買ってるけどね。あんな面倒な奴、今くらいの距離感が丁度良いのよ」


別に専属鬼でなくても麻琴が裂を仕事で使う事は可能だ。

影鬼真打も別に専属鬼にし続ける事に拘ってはいなかった。

潤は溜息を吐きつつ、裂に監視者は四鬼でも影鬼でも手を出さない様に連絡し、既読無視されたのを確認して再び溜息を吐いた。

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