弐拾壱
学習塾の調査を終えて数日後の18時頃、霞は四鬼と影鬼の打合せの場に同行させられていた。
彼女のような若い黒子には本来、犯罪組織と四鬼が通じているという話は伏せられる。
妖魔という人の負の側面に関わっているだけあって20代でも霞は巨大な組織の汚い側面は実感を持って知っている。
しかし、自分がそのような案件に関わるとは数ヶ月前までは思いもしなかった。
……キッカケは完全に灰山君ですね。思えば高校に発生した妖魔を四鬼より先に討滅したのも彼なんでしょうね。
場所は池袋駅ビルの地下に有る関係者以外立ち入り禁止のエリア、人口密集地の大きな駅には必ず作られている妖魔を意図的に発生させやすい人気の無い地下迷宮だ。
基本的には四鬼が定期的に巡回して大小様々な妖魔を討滅する。時折、四鬼の訓練校生を四鬼が引率して実戦経験を積ませる場としても使用される。
そんなエリアには複数の部屋が用意されており、会議や四鬼の休憩等の用途によって内装が異なる。
今回、霞は四鬼の中でも轟雷鬼系列のまとめ役を任される事が多い雷電佐右ヱ門に会議室に連れて来られた。
40代中盤の非常に大きく厳つい男だが轟雷鬼系の中でも特に朗らかで人情深い事で有名だ。朗らかなのは確かだが四鬼の中でまとめ役を任される事が多いだけあり妖魔討滅の為に苛烈な面を持っているのは確かで霞の様な黒子は気安く話せる相手ではない。
「悪いな、本来ならお前の様な若い黒子には知らせる事でも無いんだが」
「いえ。灰山裂と面識が有るのは私ですし、あくまで同席するだけですから」
「そう言って貰えると有難い。相手は影鬼家、異端鬼を多く抱える組織だ。お前の顔も声も余程の事が無ければ向こうには見えない様にする。既に学習塾での捜査記録は渡してあるから今日は誤解が起きない為の再確認と今後の方針を打合せる予定だ」
「あはは。灰山裂から私の容姿と名前は伝わっているんでしょうけどね」
「そうだな。だが、実際に顔を認識しているかどうかは大きい」
「はい。ご配慮、ありがとうございます」
佐右ヱ門の案内で入ったのは比較的、浅い階層の会議室だ。
警察署に有る取調室に似たコンクリート壁の部屋で1面だけ曇硝子に成っている。
その硝子に向けてシンプルな机と椅子が向けられており、佐右ヱ門の指示で霞は曇硝子の隣に有る角の椅子に着く。
この位置ならば硝子の向こうの相手からは見えないという事なのだろう。
佐右ヱ門がジャケットの胸ポケットから手帳とスマートフォンを取り出し机に置き、スマートフォンで何かの操作をした。
『あー、あー。聞こえているか?』
「ああ、聞こえている。俺は四鬼の」
『ストップ。互いに名前は良いだろう?』
曇硝子の下側だけ曇り具合が薄くなり机と相手の手元だけが見える様に成る。
同時に壁を通して電子音交じりの女の声が聞こえ始め、佐右ヱ門の自己紹介を遮った。
向こうにも同じ様に電子音交じりの佐右ヱ門の声が聞こえている。
『私は影鬼のメッセンジャーだ。同行者は1人居るが、私と同様に自己紹介は控えさせて貰う。まあ助手だと思ってくれ』
「俺は四鬼の者だ。そちらと同じく人手が必要な時用に同行者が控えている」
『ああ、誠実ですね』
「後で無用な争いをしない為だ」
『気を遣って頂けて光栄です。では、情報交換を行いましょうか』
「そうだな。始めよう」
これは警察組織である四鬼と、犯罪者集団である影鬼の情報交換の場だ。
名目上は司法取引を行ったのは灰山裂だが、その前から四鬼と影鬼の間にパイプは有る。
警察組織が犯罪者集団と取引したという文章を残さない為に、灰山裂と言う1人の犯罪者との取引だという体裁を取ったに過ぎない。
今回の打合せはそんな両組織からの中間報告だ。
目の前で自分が集めた情報も含めた調査結果が犯罪者組織に渡されていく。
その緊張感に心拍数が上る霞だが、佐右ヱ門にも影鬼のメッセンジャーにも動揺は無い。
『ふむ。現場検証では有益な情報は得られませんでしたか』
「30年以上前の事件を再調査するのだ。そう簡単だとは思わないで貰いたい」
『これは失礼。言い方に棘が有りましたね。しかし、灰山は役に立ってくれているようで安心しました』
「個人的に知っている異端鬼だったか」
『ええ。仕事とは関係無く、個人的で一方的に、ですが』
「良いのか? 個人的な事を話してしまえば君の素性も知れよう」
『どの程度まで絞れるか、お手並み拝見ですね』
例え四鬼がメッセンジャーの素性を特定したと思っても今の情報に該当する人間は複数居る。
佐右ヱ門はワザとらしく溜息を吐いてみせるがメッセンジャーは楽し気に小さく笑い声を発するだけだ。
「この先、四鬼としてはステルス妖魔が何故、培養槽を割る必要が有ったのか、培養槽の成分はどうなっていたのかを調べる予定だ」
『ふむ。こちらは灰山裂の近場で発生する妖魔の反応は彼に通知しない様にしています。本人には伝えていませんが、必要であれば貴方達の都合で振り回して下さい』
「元よりそのつもりだ。ああ、それと彼に付けている監視が追い駆け回された。自分が監視されている事を前提に教育してやれ」
『彼と我々の契約に教育は入っていないんですよ。そもそも、彼に察知される様な監視の練度を恥じては如何です?』
嘲笑を隠しもしないメッセンジャーに佐右ヱ門が明らかに表情を険しくした。
轟雷鬼系の鬼は他の鬼が人間としての感情を『抑制』、『躱す』、『他に移す』といった方法で対処するのに対し『発散』する方法を好む。その為、一般的な人社会の中では自制心が無く喧嘩っ早いと評価され易い。
佐右ヱ門も例に漏れず、普段は朗らかだが怒りを感じれば通常に人間なら我慢する場所でも怒りを顕にする。
机の脚を蹴り、両手を拳にして机に叩き付けた。
「貴様等の様な犯罪者を認識しながらも野放しにしている意味を正しく認識しろよ。この硝子破って今直ぐに牢屋送りにしてやろうか?」
『いやいや、失礼した。業炎鬼の系列と思っていたから言葉を間違えました。灰山裂との契約には反するから命令は出来ませんが、お願いはしてみましょう』
聞こえる様に、威嚇する様に舌打ちした佐右ヱ門が背凭れに背を預け手帳にこれまでの話を書いていく。
「ふん、黒子の話では貴様等の監視だって見つかっていたようだ。音声ファイルでも切り取ってくれてやろうか?」
『いやいや、それには及ばないですよ。優秀な鬼を雇えたとスカウトマンにボーナスでもくれてやろうと思っていたところです』
「はっ! 羽振りの良い事だ」
『いえいえ。優秀な人材により稼いで貰う為に身を切る思いですよ』
のらりくらりと佐右ヱ門を怒らせたり嫌味を躱すメッセンジャーは四鬼との話し合いに慣れている。
霞は素直にそう感じ、自分は可能な限り話したくはないと軽く身を壁に寄せた。
元々見える角度では無いのでそんな必要は無いが、人間とはどうしても自分が苦手だと判断したモノから物理的に距離を取りたくなるものだ。
鬼のようにストレスを溜めない為の訓練を行っている者達はそんな人間としての習性に素直だ。
……この人は、その特徴も利用して話を進める気なの?
ふとそんな風に感じた霞だが、メッセンジャーは冗談や挑発はここまでとばかりに1度、手を叩いた。
『さて、今後の調査方針は分かりました。事前に頂いていた資料も誤解せずに読めると思います。灰山裂がどの程度お役に立てるかは約束出来ませんが、今後もこき使ってやって下さい』
「……良いのか? 共闘した鬼からは若いながら使えると評価されている。使い潰せる程に安い鬼でもあるまい?」
『確かにあの若さであの力量は貴重な鬼ですが、我々が身を削ってまで守るべき存在では有りません。それに、1度でも貴方達に認識されてしまえば今後の活動は制限され、その能力を充分に発揮する場は限られる。なら、この場で使えるだけ使うのが組織としては定石でしょう?』
「……哀れな」
『ご安心を。確かに彼は件の妖魔を全滅させても異端鬼としては活動出来ないでしょう。しかし契約上、我々は彼に仕事を斡旋し続けます。その中には鬼である必要の無い仕事も有りますから、彼にはそれを選択して貰えば良いのですよ』
「そんな都合の良い話が有る物か」
『ええ。全てが全て、都合良くは行かないでしょう。ですが、世の中には様々な手段が有る。私の様な若輩よりも、それは理解が有るのでは?』
「具体的な事を聞かせて貰いたいな」
『それを私は口に出来ません。これは我々が身を削ってでも守るべき話です』
「……良いだろう。状況次第だが、俺は最悪、彼を四鬼に引き抜こうと考えている。世の中には、様々な手段が有るからな」
『我々から四鬼にスカウトですか。本格的に彼をスカウトした者の評価を考えなくてはいけませんね』
楽しそうな笑みを含んだ話し方に佐右ヱ門は本気かと困惑しているが、霞はそれよりも聞き覚えの有る話し方だと困惑した。
学生時代からの友人、影山潤。
影の字を苗字に持ってはいるが、国立の教育機関に居た彼女が犯罪者組織に居たとは考え辛い。
それでも親友と言っても差し支えない相手の話し方だ。
……私は1度、灰山君の苗字で失敗しているでしょう。
自分の願望を押し殺し、霞は打合せも終わり掛けでやっとメッセンジャーの正体に興味を持った。
しかし、事前に佐右ヱ門に言われていた通り顔を出す訳にはいかない。
今は我慢だと静かに深呼吸し打合せが終わるのを待つ。
『他に情報が無ければ今日はお開きとしませんか? 我々も頂いた情報を元に何か考えられる事が無いか検討してみましょう』
「良いだろう。元より妖魔の調査は我々の領分だ。異端鬼でない者の協力ならば、有難く受けよう」
『……そうですね。では、私達はこれで』
メッセンジャーがそう言うと曇硝子が下まで曇り向こう側が見えなくなる。同時に音声も完全に切れた様だ。
佐右ヱ門は手帳とスマートフォンをジャケットに仕舞い、霞に苦笑を向けて来た。
「悪いな、驚かせた」
「いえ、まあ、大丈夫です」
「途中で何かに気付いたようだったが、何か有ったか?」
「その、あのメッセンジャーの話し方が知り合いに似ていたので驚いてしまって」
「影山潤」
間髪入れずに佐右ヱ門が発した名前に霞は驚き目を見開いた。
その反応だけで図星だと白状した様なものだが、それよりも霞は否定する余裕も無く詰め寄った。
「そ、そんな事、有る筈が有りません! 学生時代の友人で、国立の教育機関に居たんですよ!?」
「俺達が影鬼と通じているのはもう理解しているだろう。国立の教育機関で入学者の背景は調査するが、影鬼の口利き次第では入学を認めている。影山潤はその良い例だ」
「そんなっ」
知らずに学生時代から犯罪者組織の一員と友人関係を築き、親友とまで思っていた。
その事実が霞の驚愕と混乱をより深くする。
社会人に成ってからも潤とは何度も遊びに出かけ仕事の愚痴も零している。
霞は潤を図書館職員としか認識していなかったが、潤から見た霞は敵対する組織の一員という事に成る。
「ああ、別に影山潤はお前を敵とは認識していないだろう。何せ灰山裂との接触にお前を使うと影鬼側に伝えた際、遠回しにだがこの仕事から外すように働きかけて来た」
「それが、潤じゃない可能性だって高いと思いますが?」
「そうだな。しかし本件に於ける主な窓口はあの女だろう。事務的に人を入れ替えて言動に一貫性が無くなるのは向こうも避けたいだろうからな」
佐右ヱ門の慰めとも取れる発言だが、これは慰めでは無い。
単純に事実を伝えただけだ。
鬼は特に身内に慰めを言う事はしない。
「……影山潤にお前が個人的に接触する事は止めない。非公式で非合法だが協力体制を取っている相手だ、今後の四鬼の活動の助けに成るなら推奨しても良い」
「……はい」
「それと接触するなら1つ認識しておけ。恐らく影山潤は異端鬼ではなく黒子や裏方だ」
「え?」
「さっきの会話、異端鬼でなければ協力は受け付けると言って少し間が有っただろう。司法取引を持ち掛ける前の調査でも影山潤が妖魔討滅の現場付近で確認された例は無い。自分以外にも俺達に接触する人員を軽く計算していたんだろうさ」
「……潤と接触する事が有れば、報告します」
「無理に友人関係を崩す必要は無いぞ。まあ、有益な情報が有るなら有難く受け取るがな」
そう言って佐右ヱ門は会議室を出る様に促した。
状況が変化するとしたら自分の仕事内容と想定していた霞にとって自分の友人関係まで変化する事は想定外だ。
霞はその変化の激しさに思考が追い付かず、ただ佐右ヱ門に先導されるのに従うまま池袋駅を後にした。




