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拾玖

調査の説明を受けてからというもの少し自棄に成っていた裂は約束の土曜日に霞に指定された場所を訪れていた。

四鬼が再度の調査を行うのはヤクザが半グレに用意した研究施設だ。

研究員は情報漏洩の面倒を四鬼側が嫌って同行させていない。

その為、今回の調査は霞を含めた黒子の6名に裂の7名だ。

合流地点に指定されたのは池袋駅から少し離れた場所に建つ学習塾だった。

30年前に学習塾と言われても想像出来ない裂だが、錆びれた看板には確かに先島学習塾と書かれているので間違いは無いのだろう。

駅から徒歩20分は離れた為か周囲は半分住宅街、半分ビジネス街といった様相だがこの学習塾だけが時代に取り残されたように寂れている。

昔の話とはいえ四鬼が集団で強襲した施設だ、殆ど事故物件扱いで現在は維持する者も居らずに放置されたようだ。

建築の知識等無い裂が見ても数十年単位で放置されているのが分かる程で、壁にはヒビが見られるし雑草と蔦の伸び具合から見ても肝試しに使われそうな不気味さが有る。


「誰か肝試しに入って無いよな?」

「先日から調査の為に黒子が頻繁に出入りしていますから学生は見つかるかもしれないと避けている筈ですよ」


霞以外の黒子と裂は話していない。互いに変に関わって縁が出来ても困るので裂も黒子も暗黙の了解で裂と話すのは霞だけとなっている。

ただ裂としても不思議だったのは社会人というには妙に若い男子大学生みたいな黒子が1人居て他の黒子から浮いているように見えた。

どの組織にも馴染めない者は居るのだと勝手に親近感を感じつつ、自分勝手な想像の自覚は有るので直ぐにその若い黒子への興味を持つ事を止める。

調査と言っても四鬼側の流儀を知らない上に事件現場の調査をした事も無い裂に出来る事は無い。壁に背を預けて腕を組んで休憩の姿勢を取る。

黒子達を特に観察する気も無く何となく視線に納めていると何かの機械を壁に向けている。何かの反応を得られた様には見えず、黒子達も何も言わないので何の反応も得られていないのだろう。

そんな裂の隣に霞が寄って来た。


「調査は良いのか?」

「私は基本的に貴方の監視役で調査のタスクは少ないんですよ」

「納得の配役だな」

「でしょうね。流石に異端鬼と話した事の無い黒子に任せるには少々荷が重いですし、貴方は初対面と円滑にコミュニケーションを取れるタイプでも無いですし」

「ふん。それで、何を話せば良いんだ?」

「そうですね。今回の件、どこまで知ってます?」

「何も」

「激流鬼系列の研究所職員を拉致したのは知っていますよ」

「俺はその研究員には関わってない」

「拉致メンバーに居た事までは調べがついていますよ」

「研究員から聞いていないのか? 尋問には関わってないぜ」

「ああ、そうすると本当に何も知らないんですね」

「そう言ってる。そういやネットに噂が立ってるぜ。ステルス妖魔は警察が癒着してたヤクザが作ったって」

「挑発、下手ですね。当時の警察幹部と癒着していたヤクザグループがステルス妖魔に関わっていたヤクザなのは正解です」

「マジかよ。てか俺に言って良いのかよ」

「四鬼としては警察組織の面子や正当性には興味が無いので。何せその警察官僚が捜査妨害の為に四鬼の上層部に圧力を掛けて来たので殺害した程ですし」

「……それこそ話して良いのかよ」

「四鬼の活動について『妖魔討滅の妨害をする者は妖魔に組する者として排除して良い』という決まりが有るんですよ」

「妖魔絶対殺すマン怖いわ~」


コンクリート剥き出しの元オフィスで話しているので会話は反響して他の黒子にも聞こえている。霞も特に声を潜める気も無いので黒子達も承知の内容の様だ。

裂としては麻琴から聞いてた内容が本当だった事に呆れ、国家組織との取引はやはり危険だと考え直していた。


「調査結果は良くないか」

「30年前の事件ですし、調査機材のレベルが違うと言っても当時も真面目に調査はしたでしょうからね。正直、期待していないというのが本音です」

「本命は有るのか?」

「地下ですね。ただ、逃場が無いので地上部の調査は立地の確認の意味が強いです」

「地下か」


確かに建物に入って1階、2階と調査しているが研究施設というには普通のオフィスの様な物しか残っていない。間取りも壁を打ち抜く様な改造は無く2階には学習塾らしく10人程度の生徒が入れる様な広さの部屋が複数有るだけだ。


「もし逃げないといけない事態に成ったら俺は黒子達をどうすれば良いんだ?」

「妖魔が出たら出来れば前線に出て欲しいです。私たちより戦闘力が高いのは確かですから」

「了解」

「ただ、取引先との取り決めも有りますから自身の命を最優先にして下さい」

「へぇ?」

「戦力は貸し出してやるが損傷したらその分の費用は払えよ、という事のようですね」

「優しくって涙が出るわ」

「大丈夫、私たちもです」


言い換えれば黒子達は四鬼と影鬼の取引の中では裂よりも価値が低いと言われたのだ。それは泣きたくもなるだろうと裂も納得し溜息を吐いた。


「末端はいつだって使い捨てだろう」

「まあ末端は将棋で言う歩ですからね」

「確か、わざと取らせてもっと強い駒を取るセオリーが有るんだったか?」

「ええ。チェスを含めて世界中の駒を取り合うゲームにはそういったセオリーが有るようですね」

「戦略って言えば聞こえは良いが、歩として消費される側としては早々に盤外に逃げたくなるな」

「四鬼だろうと影鬼だろうと末端の消費されたくないという希望は同じでしょうね。地上の調査はここまでで良いでしょう。地下に向かいます」


黒子達がそれぞれの調査を終えたらしく霞に指だけで裂の見慣れない合図を送っている。

霞は全員からその合図が向けられたのを確認し裂を連れ立って地下へ向かう。

身体を傾けないと擦れ違うのも難しい狭い階段を降りながら1階で歩は止めずに地下に向かう。

階段を降り切ると扉が設置されておりドアノブには鍵が付いている。霞が手を掛けると鍵は掛かっていない様で抵抗無く押し開く事が出来た。

霞も黒子達も鍵が掛かっていない前提で進んでいるので裂も特に気にはしない。

数日前から調査は行っているので各部屋の鍵はその時に全て開けられている。今回の調査では今日まで用意が間に合わなかった測定機器を使用しての調査だ。

古い妖魔の反応を追うには普段は使用しない機材が必要に成るのだが、調整に時間が掛かるので直ぐに用意出来る物でも無い。また、裂の生活サイクルを変えて周囲に怪しまれるのを避ける為に待っていたという側面も有る。

扉を抜けた地下室は少し長めの階段で明らかに学習塾の敷地から外れた場所まで伸びている。その先には更に扉が有り、やはりその扉も鍵は既に開錠されていた。

30年前の研究施設というだけあって机や椅子は古い形状の物が多い。PCは四鬼が調査の為に改修したようでブラウン管のディスプレイは置かれているがPC本体は無く、ディスプレイとPCを繋ぐケーブルが所在投げに垂れている。


「アレが培養槽か」

「そうです」


研究室は扉から見て手前に机やPCを設置された観測室があり、強化硝子らしき分厚い硝子の奥に円筒の水槽が5つ並べられている。培養槽に近付く為には測定室の奥に有る分厚い扉を通るしかない様だ。

培養槽はどれも破壊されており、全員が強化硝子に近付いて見れば水槽周辺の床を見れば内側から割られた様に硝子片が飛散していた。


「研究対象に逃げられたってのは本当みたいだな」

「その様ですね。では調査をお願いします」


霞の指示で黒子達が地上でも使用していた測定器具を構えて調査を開始する。

裂の監視が主任務の霞は地下では調査は行わないようで他の黒子達の邪魔に成らないよう階段付近の壁際に裂を手招きした。


「どう見ます?」

「妖魔の特性にもよるが、今まで遭遇した3体が逃げるには扉とか廊下とかに傷が無いのが不思議だ」

「成程。培養槽は割って、ステルスして施設から逃げた?」

「遭遇した時の事を考えると現実世界で透明なら触れる事も出来ないんだろう」

「ああ、あの巨体では透明でも誰にも触れないなんて難しいですものね」

「そう考えると、培養槽の中に居る時はステルス化出来ないか、ステルス化しても出れなかったのか?」

「培養液の成分を調べる必要が有りますね。研究員への再聴取項目にも成ります」

「というか、これくらいの事は四鬼側でも考えなかったのか?」

「四鬼は基本的に力業で妖魔を叩き伏せるので」

「警察組織なんだから刑事とかと協力しろよ」


呆れて溜息を吐く裂だが霞も同意見のようで苦笑いを浮かべるしかない。

警察と四鬼の関係が良くないのは周知の事実だ。実際に死体が発見された際に最初は警察が動くが、妖魔の案件だと分かると特に情報共有も無いまま四鬼に引き継がれる等、有名な話だ。


「私たちがわざわざ犯罪者である貴方に取引を求めた要因ですね」

「この程度の発想、刑事とかなら直ぐに出てきそうなものだしな」

「四鬼は現場を見て妖魔の逃走先を想像する事は出来ても、通常の妖魔とは全く異なる行動を取る存在には対処が難しいです」

「毎日妖魔ばっかり追っかけてりゃそうなるか。でも培養液なんて残ってんのか? 当時は回収出来たとして30年も経ったら成分変わっちまうだろ」

「ええ。望みは薄いですが、元々30年前の事件が簡単に追えるとは思えません。今日の調査が終わったら聞いてみますよ」


特に裂から霞に言う事は無い。

四鬼の捜査が順調なら早く霞から解放されるだろうが、その後も監視される可能性は高い。長期的に見れば捜査の進捗に関わらず裂の状況は変わらないのでやる気を出す意味が無いのだ。

結局、黒子達の調査で灰山桐香についての新情報は得られなかった。

手応えも無く、裂が思い付きで提案したステルス妖魔の逃走の状況を確認する程度しか今後の方針も無い。

裂に知らされていない情報は有るだろうが、それを裂は気にしない。


「そう言えば伝えていませんでしたが、当時の研究内容から考察されるステルス妖魔についての情報が有ります」

「あん?」

「ステルス妖魔は特殊な薬品を妖魔に変異する前に注入する必要が有るらしく、ステルス妖魔と通常の妖魔が接触しても特性が移る事も無いようです。なのでステルス妖魔はここで生み出された5体に限定されます」

「あくまで当時の研究内容だろ。30年経って変異が進めばその限りじゃない」

「ええ。さて、ここまでで今日の調査は終了です。何も無ければ外に出たら解散しましょう」


黒子達は調査終了のジェスチャーを霞に向けており、最後の1人のジェスチャーを確認して全員が研究室を出始める。

殿として裂が最後に研究室を出るのだが、ステルス妖魔が発生する直前の視線や気配は無い。

何事も無いまま調査を終え、塾を出て解散となる。

霞以外の黒子達は塾を出た時点でバラバラに移動しており、塾の出口を塞ぐように霞が裂に振り返った。


「結局、何も出てきませんでしたね」

「探して見つかるものでも無いんだろ」

「ええ。あ、夕飯奢りますよ」

「帰る」

「ええ!?」

「あんまり一緒に居て知らずに情報を取られるのは困る」

「そんなに腹黒に見えます?」

「アンタが意識してるかしてないかは関係無い。どうせ監視用に盗聴器とか持ってるんだろ?」

「はい。カメラ付きです」

「俺が何でもない事と思ってても四鬼や影鬼にとっては大事かもしれねえし、何も反応を見せないのが最善なんだよ。だから必要以上に一緒に居たくねえ」

「うっわ、こんなストレートに酷い理由で断られるとは思いませんでした」

「俺たちは敵同士だろ。ほら、帰るから退いてくれ」

「まあまあ、その前に聞かせて下さい。学校でも殆ど誰とも話していませんが、あの少女くらいは良いんじゃありませんか?」

「司法取引が決まってから誰とも関わらない様にしてるよ。前にアンタは俺に人に頼る事を覚えろみたいな事を言ったけどさ、犯罪者の事情に人を巻き込むのは駄目だろ?」

「……痛い所を突いてきますね」

「俺はアンタ達に協力する代わりに人との関わりを失うんだ。そんな罪悪感を感じてます、みたいな顔をされると俺が加害者みたいで心外だぜ?」


意図的に意地の悪い言い方をした裂に霞が黙って道を開ける。

今度は罪悪感や後悔の無い、何の感情も持たない無表情だ。


「それで良いんだよ。人の生活を破壊する側が、人らしい顔してちゃ駄目だぜ」


擦れ違い様に霞を褒めて学習塾を出た裂は扉が閉じる瞬間に霞が大きく肩を落としているのを首だけ振り返って確認した。


……これだけ言えば次は変に話し掛けて来ないだろ。


意地の悪い言い方では有ったが本音である事も事実だ。犯罪者に対して警察が加害者というのは詭弁だが、裂が高校で孤立するしかなくなった理由は間違い無く司法取引が切っ掛けである。

それを気にして傷付くのだから霞は確かに四鬼の鬼には向いてないなと思い裂は帰路に着いた。

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