拾弐
池袋駅ホームでの妖魔反応と同時に裂の位置情報が消失した事は影鬼図書館に設置された対ステルス妖魔作戦室でもモニターしていた。
部屋そのものは先日の潤からの通達で使われた会議室と同じ間取りで室内には指揮官らしき人物の他に8名がノートパソコンと睨み合っている。
裂から通達に対しての返信で自分がステルス妖魔に取り込まれる可能性が有ると連絡が有ったのが大きい。
本来なら異端鬼からの返信は無視するのだが今回は別だ。
未確認の妖魔であり敵対組織の中でも平均的な能力値の集団が行方不明なのだ、問題の妖魔に直接接触の経験が有る者の意見は重要だ。
何よりも今は処理能力に余裕が有る。裂と常にパイプを作るでは無く彼の位置情報をモニターするだけなら問題無い。
そのモニターが功を奏して裂に重なるようにステルス妖魔と思われる反応も検知する事が出来た。
指揮権限を持つ者がリアルタイムで状況を把握出来たのは大きい。
ただ状況不明なのは同じだ。
裂の反応消失から10分、呼び出された麻琴が図書館内の対策本部に到着した。
「影鬼麻琴だな」
「はい。到着しました」
「約10分前、灰山裂のスマホの反応が消失した」
「……場所は?」
「池袋駅のホームだ」
「私に消失する直前に連絡が有りました」
「こちらにも連絡が有った。恐らく状況に対応出来る相手に送っているのだろう。お前は灰山裂と専属契約を結んでいたと聞いている。灰山裂の思考や対応は予想できるか?」
「……恐らく迷宮の主たる妖魔の討滅に動いていると思います。また、迷宮内で四鬼の一派と遭遇した場合は自分が異端鬼だという事も影鬼の関係者だという事も秘匿するはずです」
「以前の報告では黒子の前で魔装を召喚しているが?」
「生存の為の対応です。今回は四鬼が2人に黒子が8人居ますから彼は四鬼が全滅しない限りは一般人を装うはずです」
「……なるほど。こちらは四鬼が消息を絶ったエリアの調査を行う。君は灰山裂の反応が復活する事が無いかモニターしてくれ。状況次第では四鬼側の問題について質問もするからそのつもりで」
「分かりました」
「麻琴嬢に席を用意しろ。引き続きステルス妖魔について状況収集を進める。影山潤ともリアルタイムで情報を共有するよう徹底しろ!」
指揮官の指示にその場のスタッフたちが慌ただしく動き出す。
麻琴としては顔見知りの潤の事も気懸かりだが状況把握の出来ていない段階での介入は気が引けた。
大人しくスタッフの1人が運んできたノートPCに自分のスマホを優先で繋いで裂の反応が復活しないかモニターを開始した。
思っていた以上に頼りにされているようでステルス妖魔について指揮官から頻繁に質問が有り驚きはしたがスタッフからも全く不満が無い。
……ステルス妖魔について相当に危険視しているのかしら?
普通のプロなら麻琴のような高校生が現場に入る事は快く思わない。
その前提で麻琴は自分にとってアウェーな対応を想定していたが、寧ろ頼られているように感じる。裂のモニターを割り当てられたのも自分が組織的な動きに不慣れな事と裂との連携の実績が有るという単純な適材適所以上の理由は無さそうだ。
ある種の信頼を向けてくる指揮官やスタッフたちを不審に思いながら麻琴は自分の役割に集中する事にした。
スタッフたちの麻琴への対応が誠実なのは純粋に彼女の普段の対応やこれまでの裂との仕事の実績、そして影鬼家当主の真打が麻琴を認めている事に起因している。
そんな背景を知らない麻琴だけがこの連帯感の強い現場で無意味に孤立していた。
……頼むから無駄足にさせないでよ、裂。
自分が被った労力を無駄にするな。
本心からそれだけ思って麻琴は更に仕事に集中していった。
▽▽▽
池袋駅のホームから猛獣の檻のような門に吸い込まれた裂は溜息を吐いていた。
もし同じ迷宮に四鬼の面々が居る場合、霞を通して情報共有がされていれば異端鬼という素性を隠しきれるか分からない。事前情報無しの相手ならば良いがもし外見や性格の特徴を伝えられていれば怪しまれる可能性は高い。
……徘徊している妖魔よりも人間の気配の方を気にしないとな。
迷宮に入ったばかりで周囲に何かが居るような気配は無い。
気配といっても裂が分かるのは足音や呼吸音がするか程度のものだ。
つまり、相手が裂を認識して隠れて居れば裂には相手を見つけられる手段が無い。
四鬼が行方不明になった原因がステルス妖魔の可能性は高いが、裂を取り込んだステルス妖魔と同じとは限らない。
仮に同じ妖魔だとしても同じ迷宮に取り込む性質なのかも分からない。同じ迷宮だとしても取り込まれた時間が違うので四鬼たちの迷宮探索でどこまで進んでいるかも気懸かりだ。
……まあ、何も分からないんだから警戒して進むしかないか。
思考は1分程度で割り切って迷宮に向けて歩を進める。
手持ち鞄の中に入っている背負う用の紐を取り出して鞄のフックに装着し手持ち鞄を背負う。学校指定の鞄は手持ち、肩掛け、背負うと紐の付け方で変えられるのが便利だ。
同時に眼鏡もケースに仕舞って鞄に入れ不測の事態に対応しやすい装備に変更する。
裂の眼鏡は人相を誤魔化す為の伊達眼鏡だが、影鬼が作ったスマートグラスになっておりスマホと連動して簡単な情報なら表示できる。ただし技術レベルが不足しているので現場の異端鬼たちからはスパイの真似事以上の使い方はされていない。
そもそも裂は充電が面倒なので本当の意味で伊達眼鏡だ。
……やっぱりステルス妖魔が取り込む迷宮は個体毎に全然違うな。
今回の門は金属製の檻、妖魔は恐竜を模した獣だ。
恐らくSF映画の恐竜物のイメージだろう。壁は鉄線の金網で等間隔にH鋼の柱が立っており耳を立てると静電気のようにバチバチと音が鳴っている事から電流が流れているようだ。
過去2回の迷宮と異なり立体迷路のようで金網の外から隣や上下に同じような通路が見える。
……四鬼が同じ迷宮に居たら先に見られちまうかもな。
遮蔽物があるなら話は別だが地面以外は金網で隠れる場所が無い。
妖魔からも人間からも隠れる場所が無いので立ち回りを間違えると前後から挟み撃ちにされる可能性も有る。
下段の通路を上から覗き込むと小型の妖魔が徘徊しているのが見えるが、小型の恐竜のような妖魔だ。
……エリマキトカゲだっけか? 中型犬くらいだけど爪と牙がヤバ過ぎ。
首回りの襟が孔雀の羽根のように丸い妖魔だが、映像で見た物と比べると長く鋭い爪、虎のような牙と明らかに一般人が戦える相手で無い事が分かる。
……仮に四鬼と遭遇してもこの中を一般人が通って来れたってのに怪しまれるな。
苦しい言い訳としては四鬼が討滅した後を偶々通ってきたから妖魔が居なかった、だろう。
考えておきながら自分なら信じないと否定した。
四鬼に遭遇した際にはもう諦めて場の流れに任せようと決めて前を向く。
通路は直ぐにT字の行き止まりになっているが、左は5メートル程で行き止まりだ。右側はまだまだ先に続いており、遠目にも更に横道が複数に分かれている。
……今回は長くなりそうだ。
心の底から深い溜息を吐く。
ポケットからグローブを取り出し両手に装着し、四鬼だろうが妖魔だろうが関係無く先手を取るつもりで先に進む事にした。
▽▽▽
探索を開始して30分、見た感じは広大だが妖魔の数は少ないのか速足で迷宮を進んでいる裂はエリマキトカゲ妖魔を3体討滅していた。
過去の迷宮では30分で倍近い数に遭遇していた事を考えると広い分、妖魔の密集度は低いように感じる。
最初に下段通路で見た妖魔とは遭遇していない。
そもそも上段への階段は有るが下段への階段が見つけられない。
探索開始40分、4体目のエリマキトカゲ妖魔が正面から歩いて来る。
ほぼ同じタイミングで互いを認識した裂とエリマキトカゲ妖魔、裂はボクシングスタイルで速足、エリマキトカゲ妖魔は警戒して身体を低く肩を左右に揺らしながらにじり寄る。
裂の接近が速足なのに合わせるようにエリマキトカゲ妖魔の歩も速くなる。
ジャンプする為か短い助走のようなダッシュからエリマキトカゲ妖魔は飛び上がる。
予備動作が見えていた為に裂も対応する猶予が有った。
空中で右前足の爪を振り被る妖魔の下に向けて身を屈めて素早く踏み込む。
がら空きの腹部に向けてアッパーを放ち、空中に打ち上った妖魔に向けて細かく拳を放つ。
妖魔を打ち上げ続ける程の拳を放ち続ける事は出来ないがエリマキトカゲ妖魔を仰向けに落下させて牙も爪も満足に振るえない体勢に崩す事は出来た。
通常の姿勢に戻ろうと暴れる妖魔の腹を裂は思い切りスタンピングする。
妖魔に対して有効な攻撃は体積を大きく削る事だ。その為、各国の魔装使いは銃器ではなく近距離で粉砕、切断など体積を削る武装を使用する。
そう考えると生身での打撃は討滅する事を考慮すると効果が薄いが、相手は生物の形状を模している。生物から決定的な隙を生み出す為に鬼や黒子は生身の格闘術を習得し、実践でも活用する。
スタンピングによって内臓にダメージを受けたエリマキトカゲ妖魔の動きは鈍くなった。
その隙に裂は右拳に力を込めて振り上げ、魔装の右腕を意識する。
完全には物質化しないが、右腕の魔装が輪郭のみ出現し裂の右腕を肘まで覆う。
ワイヤーフレームだけの右拳をエリマキトカゲ妖魔の顔面に振り下ろし、果実の様に破裂させた。
血液が飛び散る訳ではない。
妖魔の体液ともいえる黒い液体が周囲に飛び散り、それが霧の様に黒い靄を漂わせる。
妖魔の体格からすれば破損させた体積は全体の3割だ。
拳を振り上げ右前足の付け根、胸、腹と同様に破裂させ体積を7割を破損させ、裂は軽く妖魔から距離を取る。
妖魔はそのまま全身を黒い靄に身を変じ、そのまま黒い霧の様に周囲に霧散した。
……魔装を呼ぶ程じゃない。四鬼は武器持ちだし、余計に楽だろう。
今までの迷宮と比較しても妖魔が少ないのはここを四鬼が通ったからなのか、それとも妖魔の数は迷宮が違っても同じなのか。
やはり裂に真実が分かる訳も無く、右拳を振って実際には付着していない靄を振り払う気分を味わい視線を通路に向けた。
奥に続いているが行き止まりは目視出来る距離だ。目測で50メートル程、その間に左右に複数の道が続いている。
緊張を解す様に両手の指を絡めて骨を鳴らし、歩き始めようとして足を止めた。
……金属音? いや、戦闘音か?
薄っすらとだが金属同士がぶつかるようなキンキンとした音がする。
戦闘で刃が衝突する際には単発の音よりは擦るような音がするはずだ。
裂が聞き取った音は単発なのでハンマーで金属の板を叩く音にも聞こえる。
妖魔が単独で出す音とは考え辛い。四鬼たちが壁を攻撃でもしているのかと思い裂は足音を立てないように音に向けて歩き始める。
音に近づくと正面というよりは上から聞こえるように感じ、裂は足を止めた。
視界の範囲に上段の通路は無い。しかし上段への階段は有る。
その割に階段の先の通路が視認出来ないので必ずしも全ての通路が見える訳ではないようだ。
……行って確かめるしかないのか。
見つかるリスクは非常に高まるが音の主の確認はしたい。
諦めて直ぐ近くの階段を登ってみるが、単純に直線の通路になっているだけで金属音からは離れる向きだ。
他に上に向かう階段も見えなかったのでこのまま先に向かう事にした。
そのまま50分、迷宮に取り込まれて1時間40分は経った頃に裂は自分に先行する集団を見つけた。
遠目なので正確な人数は分からないが10人程度、物々しい雰囲気なので恐らく四鬼の集団だろう。
裂の歩調が速いのではなく、四鬼らしき集団が何かの理由にその場で止まっているようだ。
直ぐに足音を鳴らさないように意識して後退し、四鬼を目視出来ないよう曲がり角まで戻って柱の陰に隠れる。
スマホのカメラ部分だけ角から出して倍率を上げて見ると見辛いが集団が確認出来た。
……流石に何をしているかは分からないか。
誰かが怪我して介抱している様子ではなく全員が立って何かを話し合っているようだ。
背後を見張る人員が居ない事を考えると正面に何かが有って、それに対してどう対応するかを考えているようにも見える。
スマホを仕舞って座り、5分程妖魔が近付いて来ないのだけ目視で確認しつつ休憩していると足音が遠ざかっていく。
再度、スマホのカメラで集団を確認してみれば足音の通り遠ざかっていくのが見えた。
緊張を解す様に溜息を吐いて腰を上げてスマホを仕舞い、集団に見つからないよう、しかし追う形で通路を進む。
通路には複数の横道も有るので裂は横道に近づくと柱に身を隠して集団との距離を測る。
数回は同じ動作を繰り替えす覚悟をしていたのだが、集団は通路の先の階段を登り始めた。
目視出来なくなった事に多少の焦りは有るが裂は深呼吸して気分を落ち着けると今までと同じ歩調で階段に向けて進む。
階段に到着する前、最後の横道を過ぎた辺りで話し声が聞こえて来た。
直ぐに横道まで戻って柱に身を隠しながら耳を立てると何かを見つけたようだ。
「各員、装備の点検を」
「ここでステルス妖魔を討滅出来れば良いが」
「次のエリアへの扉の可能性も有ったか?」
「はい。まるでゲームのダンジョンみたいでしたね」
「経験者の意見は貴重だ。各員、青山の安全には留意しろ」
「しかし青山さんも大変ですね。3回目ですか?」
「私が追われてるのかと錯覚しそうですね」
「ここに報告の灰燼鬼が居たら役満だな」
「あはは、流石に同じタイミングで取り込まれて無いですし大丈夫ですって」
……あはははははは。
心の中で乾いた爆笑を放って裂は肩を落とした。
またしても霞が居る事が確定して今までと同じ条件が揃ってしまった。
呪われているのかと舌打ちしたくなるが四鬼たちの中に耳の良い者が居ると気付かれる可能性が有る。
何が『あはは』だと心の中で悪態を吐きながら四鬼たちの動向をスマホで覗いた。
彼らの前には巻き込まれた時と類似の形状をした猛獣用の檻の入口のような両開き扉の枠が佇んでいる。10人が門の前に居るからなのか地面の部分が見え辛いが黒い靄のような物が発生しているようにも見える。
見た目からして雰囲気が違う門に背筋が寒くなる。
四鬼2人も裂と同じ感覚を持っているようで黒子たちに少し離れるように手で指示しているのが見えた。
慎重に刀と斧をそれぞれの四鬼が取り出す。
……業炎鬼と轟雷鬼の系列か?
四鬼の分家は家によって武器が異なるので家の想定は難しい。
近くで見れば刀の鍔や斧の握りの装飾や形状で予想出来るかもしれないがスマホのカメラの最大倍率で見ている現状では判断が難しい。
全員の準備が整ったようで黒子2人が両開きの左右を持つ。
開けた際に奇襲されないよう枠の外に退避出来る位置を取り、扉の正面では四鬼の2人が武器を構える。
左扉を担当する黒子が軽く手を振っているのを見るにカウントを行っているようだ。
大き目に手が振られた直後、扉が大きく左右に開かれる。
2人の四鬼は奇襲が有れば正面から受け止めるつもりだったようだが、奇襲は無かった。
裂も含めて全員が息を吐いて気合を入れ直し、四鬼たちは扉の先を見た。
扉の先は円形の足場になっており、その先に吊橋が続いている。
吊橋の先は円形の闘技場のようになっており、ボスが待っていますと宣言しているかのようだ。
流石に裂の位置から扉の先の状況は見えないが、以前の迷宮のように扉の先が見えないという構造で無い事だけは分かる。
……本当に迷宮によって構造がバラバラだな。
改めて迷宮に対して過去の経験値が役に立たない事を実感して裂は溜息を吐いた。
四鬼たちは全員が扉を抜けて先に進んだが、直後に扉が自動で閉じたように見えた。遠目でも扉を構成する柵の奥に何かが続いているようには見えず、四鬼たちに気付かれるリスクを承知で近付くしかない。
意を決して柱に隠れるのを止めて扉に近付いてみれば予想通り扉の先は柵の隙間から反対側の壁が見えるだけだ。
10分待って何も変化が無ければ突入しようと決め、スマホでアラームをセットして壁を背に座る。
……頼むから四鬼だけで状況を解決してくれよ。
他力本願な事を自覚しながら裂は仮眠を取る為に目を閉じた。




