拾
ステルス妖魔の可能性を影鬼本家が受けて数日、裂は日曜日にも関わらず1人で影鬼図書館に来ていた。
嫌な予感しかしないが影鬼家当主の名義で呼び出しを受けており下手に断ると何かしらのペナルティが発生しそうだったので素直に従ったのだ。
「灰山裂か。こちらだ」
到着して受付の職員に影山から届いた手紙を渡すと少しして奥から呼ばれた。
声の主はスーツ姿のビジネスマンで細い体躯以外に特徴の無い男だ。一般職員への擬態と見れば完璧な見た目なのだが影鬼の手紙の後と考えると恐ろしい。
男の先導に従って図書館の奥に行けば関係者以外立ち入り禁止の扉だった。
複数の個室しか無いと思っていたが男は廊下の突き当りの壁に触れ、何かの仕掛けを作動させた。
よく見れば突き当りの壁は配色や光の加減から壁に同化したスライド式の扉になっており、男が扉の奥に裂を案内する。
スライド扉の奥は同じような廊下になっており裂が通れば壁は勝手に元通りになった。
男はゲームの様な仕掛けを興味深く観察する裂を言葉で促し複数有る扉の内、突き当りの扉に案内した。
「私の案内はここまで。この奥には1人で行って貰う」
「帰りは?」
「終わる時間次第で私か、別の者が案内に来る。出る時には待機しているから合流は問題無いはずだ」
「分かった」
互いに必要以上の会話はせずに裂は扉の奥に進む。
室内は一般的なプロジェクターの設置された会議室のようで裂は学校の視聴覚室を思い出した。
プロジェクターに向けて20席が設置されておりパッと見で半数が埋まっている。
入口は裂の入ってきたプロジェクターに向かい合う物と、プロジェクター横の扉のみ。
学校の施設と反社会組織の施設が似ている事に違和感が有ったが、結局人間が使う事は変わらないので効率を考えればこうなるのだろうと納得した。
適当に人から離れた席を選んで座り、椅子の左側に設置された幅広で稼働アームの付いた肘掛に置かれたケーブルを自身のスマホに繋げる。
ケーブルを通して影鬼所属の異端鬼が全員インストールしている妖魔探知アプリに文章データが送られてくる。
データを開けば今回集められた事についての資料であり、目を通す姿勢を取りながら周囲を軽く見るが何人かは別の仕事で見覚えのある異端鬼だった。
恐らくは見覚えの無い者たちも異端鬼なのだろう。
特に挨拶する間柄でも無いので資料に目を向ければ最近話題のステルス妖魔について記述されていた。
嫌な予感に目を細めて読み進めれば内容は先日、麻琴と話した内容について影鬼本家なりの考察も踏まえて対応や発生原因の予測だ。
麻琴の情報よりも四鬼側の情報が多くヤクザの施設に踏み込んだ鬼の名前と研究員の情報が載っていた。
裂にとって鬼は対して興味は無かったが研究員は少し興味が有ったので読み込んでみる。
激流鬼が保有する施設の若手で特に目立つ研究員では無かったようだ。現在も研究職を続けており特別に実績が有る訳では無いが地道に魔装召喚システムを改善し四鬼全体の戦闘力の向上に努めていると記述されていた。
……つまり、本当に一般的な研究員って訳だ。
人物評価についても特別な特徴が有る訳で無く管理職向きでは無いが一般的な研究者としての能力と倫理観を持っている評価されているようだ。
……これ、激流鬼の内部資料なのか? 警察組織の資料ってもっと硬い文章で書かれてるイメージだが。
高校生が5分読んでそう思うのだ、明らかに大人な他の異端鬼を横目で見れば同様の意見なのか画面を難しい表情で睨んでいる。
裂が入室して10分、スマホで細かい資料を読むのは疲れるので研究員についてだけ読んで早々に居眠りしてしまおうと目を閉じていた裂はプロジェクターの方から扉が開く音で目を開いた。
「ひい、ふう、みい、……よし、揃っているな」
入室して異端鬼たちを指差し数え始めた女性は裂も含めて10人の異端鬼を確認してプロジェクターの横に立った。
パンツスーツ姿でセミロングの女性が壁に有るスイッチを押せば彼女の前の少し盛り上がった床から教壇がせり上がり、彼女は教壇に手持ちのタブレットを置く。
何かしらの操作がなされたのだろう、部屋の電気が消えてプロジェクターが起動し先程まで裂が読んでいた資料らしき文章が投影された。
「今回集まってもらったのは影鬼所属の異端鬼の中でも東京近郊で活動する戦闘力と機動力に優れた者たちだ。お前たちにはある人物の拉致を行ってもらう」
「激流鬼か、この資料の研究員か?」
女性の発言に対して1人の異端鬼が手を上げ、視線で発言を促されたのに合わせて質問した。
裂も殆ど同様の疑問を持っていたので話を妨げた異端鬼について不満は抱かなかった。
「そうだ。正確にはある妖魔の情報を持っている可能性の高い人物を拉致、情報を聞き出すまでの繰り返しの任務になる」
「「「……」」」
「質問が無ければ続けよう。ある妖魔とは、そこの灰山が2度遭遇したステルス性能を持った妖魔だ」
「ステルス?」
集められた異端鬼の内の半数は聞いた事が内容で裂に視線を向けてくるが、残りの半数は無反応なので知っているのかどうかも判断が出来ない。
影鬼所属の異端鬼は基本的に相手の事情を詮索しないので裂に視線を向けた異端鬼たちも単に条件反射で女の視線を追っただけだ。裂が何も言わなければ何も聞かないので直ぐに前に向き直った。
「妖魔検知機に探知されず、対象を自分が展開した閉鎖空間に引き摺り込む妖魔だ。閉鎖空間は迷宮になっており内部には迷宮の主たるステルス妖魔、そして黒子でも祓える程度の低級の妖魔が生息しているようだ」
「審議は灰山の証言のみか?」
「そうだが、2回目については灰山のアプリから映像記憶も保存してあるし、その際には四鬼側の黒子が同様に巻き込まれ警察内部で報告書が提出されている。信憑性は影鬼本家として保証する」
先程と質問者は違うが同様の質疑の流れ。質問する異端鬼も回答する女も淀み無い事からサクラの可能性も有ると周囲の異端鬼たちは視線を鋭くした。
「今までに無いタイプの妖魔だ。しかし過去、影鬼と四鬼の記録それぞれに唐突に行方不明になった鬼、黒子が居る。行方不明になる直前の目撃証言からも唐突に現実空間から切り離されたと考えると辻褄が合う例も確認されている」
女は言葉を区切って全員の理解度を確認するように視線を室内全体に回し、話を再開した。
「このような事例が確認されたのは約20年前からだ。しかし、事前に配布した資料の中に有る通り30年前に激流鬼系列の研究員が半グレ、ヤクザに拉致され人工的に特殊な妖魔を製造する実験を強いられた事件があった。事件の発生時期と妖魔の成長速度から考えると符合する部分も多い。その為、お前たちには研究員がどのような妖魔を研究したのかを探る為の拉致を行ってもらう」
「ここまでの情報が有るのに研究内容の情報は無いのか?」
「資料の情報は全て研究施設に潜入している警備員スパイからの情報だ。四鬼が正規に作成した資料ではない。今回調べるのは30年前の事件、警備員が日常的に活動する範囲でそれだけ昔の話題は普通は出ない」
「この研究員の住所などは資料に有るのか?」
「拉致を狙う対象についてはこの後でアプリに情報を送る。先に言っておくと研究員は激流鬼が保有する寮で生活しているので最初に拉致するには少々リスクが高い」
女の言葉で異端鬼全員が納得している。
言ってしまえば数万人規模の組織が保有する敵の拠点の1つだ、11人で攻撃を仕掛ける規模の施設ではない。
「まずは研究員ではなく、過去の資料にアクセスが可能であり寮で生活していない人員を拉致する。短期の洗脳か取引によって内部資料の持出しを行わせてみる。それで情報が出てくれば良し。出てこなければ件の研究員を拉致する方法を検討する。こちらからは以上だ」
「拉致した人物の洗脳は影鬼家に任せて良いのか?」
「そうだ」
「全くステルス妖魔と関係の無い研究だったらどうする?」
「分かった時点で今回の仕事は終了し報酬を支払う」
裂としては特別に聞きたい事は無い。先日の麻琴との会話で好奇心による興味は有るがどうでも良い案件ではある。ステルス妖魔に遭遇した身ではあるが、だからといって問題の妖魔の発生原因まで突き止めようという気は無い。
女と異端鬼の質疑応答も最低限で他の異端鬼たちも裂と大きく差は無い気分なのだろう。
四鬼の関係者を誘拐するという非常にリスクの高い仕事では有るがその分だけ報酬は破格で成功報酬は1人当たりに社会人の年収程だ。
高校生の裂からしたら相当な報酬だが他の異端鬼の中には普段からもっと割の良い報酬の仕事を受けている者も居る。
しかし、これは影鬼本家からの通達で依頼では無い。
「これ以上の質問が無ければ解散とする。入室した順に退出しろ……解散とする」
確認するように視線を回した女はプロジェクターと机を元に戻して退出した。
それを見送って異端鬼が1人1人退出していく。
最後に入室した裂は特に異端鬼たちを目で追う事も無くスマホに送られてきた作戦要項に目を通してみた。
内容は単純で研究施設に勤める職員の1人だ。勤め始めて1年半だが過去の研究資料のサーバー管理を行うIT技術者で妖魔の研究そのものに従事している訳では無い。四鬼の関係者としての教育を受けている訳でも無いので裏社会の住人である影鬼からすれば洗脳出来る可能性が高いと考えられたようだ。
……場所は、池袋か。時間は遅いが、大学生くらいなら街に居ても問題無い時間だ。私服なら高校生でも大学生でも通せるか。
全員が出て行ったのを確認しスマホからケーブルを外して席を立つとプロジェクター横の扉が開きさっきの女が入ってきた。
「灰山、少し残れ」
「……何か?」
「警戒するのは分かるがな、ちょっと聞いてみたい事が有るだけだ」
そう言いながら戻ってきた女は裂から2つ横の椅子を裂の方に向けて腰かけた。
視線で座るように促され裂は警戒心を表情に出しながら腰を下ろす。
「普通は隠そうとするものだがな」
「バレてるのに隠してもな」
「大人の駆け引きだぞ」
「未成年だ」
「成程」
喉を鳴らすように小さく笑い声を出しながら女は裂と視線を合わせた。
「お前が遭遇したステルス妖魔は2体とも姿に類似性が無い。しかし出現する前の感覚は似ている。これで正しいか?」
「ああ」
「姿形が違うのに類似の特徴を持つ妖魔か」
「……もう良いか?」
「まだだ」
考え込む女に付き合うのが面倒な裂としては早々に帰りたい。
ただでさえ拒否権の無い危険な仕事を押し付けられたのだ、あまり深入りはしたくない。
女は足を組んで気分を変えたのか質問を続けてくる。
「黒子が同行していたと有るな? 青山霞と聞いているがそれ以上の素性は聞いているか?」
「名前と見た目以外の情報は無い。四鬼の情報なんだ、本家の方が詳しいんじゃないか?」
「青山霞が自分から漏らさなかったか聞いてみたいだけだ」
「素性については自分が四鬼の黒子だ、意外の事は言っていなかった」
「迷宮攻略は2回とも1時間程度は掛かっているが、その間にずっと黙っていた訳じゃないだろ?」
「小型とはいえ妖魔が徘徊していたんだ、雑談するような時間は全体で10分も無かった」
「なるほど。ある種の隠密行動中か」
「ああ」
裂の回答を吟味するというより、自分の記憶に焼き付けるように唇だけで回答を繰り返している。
確かに文章の報告だけで伝わらない内容ではあったが巨大な裏社会の組織の幹部らしき人間が自分で確認に来るような内容とは思えない。
余計に面倒な予感がして裂の顔が曇る。
「ああ、別にこの黒子に接触しろとか言うつもりは無いんだ。実は個人的な知り合いでな」
「は?」
「高校と大学が一緒だったんだ。相手が四鬼なのは知っていたが普通に友人でな」
「……」
「向こうは私が影鬼の関係者だとは知らないよ」
「……」
「そんなに疑うか?」
「疑うというか、接触しろ以上に面倒な事を言われそうで警戒している」
「そうか。霞の事は苦手なようだな」
「黒子のくせに異端鬼に積極的に話しかけて来たんだ。それも自分は常識的なお姉さんだ、グレて悪ぶっている少年よ、まだ間に合うぞ、みたいな上から目線で」
「……友人として謝るよ」
「ああ、前からアレだったのか」
「お蔭で学生時代は散々振り回された」
「……」
「ま、私の話は良いんだ」
……なら早く終わってくれ。
本格的に面倒な気分になってきたが裂だが女の話がいつまで続くのか分からないのが余計に苦痛だ。
これ見よがしに溜息を吐いてみせるが女は特に悪感情を持つ事も無く苦笑している。
裂が霞に感じた上から目線そのものだ。
「質問はあとどれくらい有るんだ?」
「そうだな……最後になるが、また霞と同じ事件に巻き込まれたら助けてやって貰えるか?」
「……」
「そんなに嫌か?」
「当たり前だ」
「そうか。ま、仕方ない。霞も黒子としての仕事の事は私には話してくれないんだ、私の事は霞には話さないでくれ」
「そもそも会いたくないし、俺は名前も知らない相手の事を誰かに伝えられる程に口が上手くない」
「……そう言えば必要無いからと自己紹介をしていなかったな」
「命令を伝えるだけなら名前は必要ないだろ」
「いや、今日はお前以外の全員と顔見知りだったんだ。お前は麻琴お嬢様の専属だったから知らない相手という感覚が無かったせいで自己紹介を忘れていた」
「麻琴お嬢様?」
「何だ、麻琴お嬢様の立ち位置も知らないのか?」
「仕事上の専属だっただけで特に素性や影鬼家での立ち位置まで聞いた事が無い」
「本当に仕事上だけの付き合いなんだな。その割に麻琴お嬢様からはお前の話題が多いと評判だぞ」
「……最後じゃなかったのか?」
「余裕の無い奴だ。じゃあ、仕事の時にまた会おう」
「……了解」
完全に女の掌で転がされた状態で気疲れした裂は溜息を吐きながら席を立って扉に向かう。
「おい、私の名前は影山潤だ」
「……灰山裂。今後ともよろしくお願いします」
精一杯丁寧なお辞儀をしてみせると潤は苦笑して席を立ってプロジェクター横の扉に向かって行く。
裂の方が少し早く扉を開き、扉の前で待っていた男と合流する。
会議室に案内した男とは別人で眼鏡を掛けているが、ビジネススーツを着たサラリーマンにしか見えないという特徴は同様だ。
「お疲れ様です。御帰りはこちらになります」
裂の返答は期待していない生真面目そうな表情のまま裂に背中を見せて歩き始めた。
特に生き返りでルートが変わる訳ではい。入ってきたのと同じ扉から出て直ぐに分かれ。
図書館の出口を遠目に見れば会議室に居た異端鬼の内、3人が扉の邪魔にならない位置で立ち話をしている。雰囲気は和やかで異端鬼の中でも社交的なメンバーなのだと分かる。
自分が社交的ではないと自覚している裂は今擦れ違えば話しかけられて面倒になるかもしれないと思い適当に時間を潰す為に本棚に向かった。
特に思い入れも無くファンタジー小説を手に取り立ったままページを捲る。
中世ヨーロッパくらいの文明で主人公が剣と魔法でモンスターと戦う王道の展開だ。ある程度は先が読めるが敵も味方もキャラクターが突飛で現実味の無い言動をしており細かい部分で想定外の展開になっている。
小説を立ち読みで全部読むには姿勢が大変なので約20ページを捲って本を棚に戻した。
出口付近のソファに座ってスマホを取り出し外を見れば3人は居ない。
少し安心してスマホに目を戻し麻琴の連絡先を呼び出してメッセージを送る。
『ステルス妖魔の事で影鬼本件から仕事を受けた。何か仕事が有ってもタイミング次第で受けれない』
『分かった。巻き込まれたわね』
『影山って人にお嬢様って呼ばれてるんだな』
『潤から仕事を通達されたの?』
『ああ』
『本家でも分家でも無いのに仕事ばっかりなんだから』
『仲が良いのか?』
『本家の会合とかで私の世話役になって貰える事が多いのよ』
『それでお嬢様か』
『別に仕えて貰うような立場じゃないけどね。私の仕事と被ったら言って。タイミングを
ズラすか本家から別の異端鬼に依頼するわ』
『頼んだ』
麻琴の本家での扱いが何となく分かる内容だったが裂もそれ以上に踏み込む気は無い。
折角の日曜日にこれ以上は働きたくない。
反社会組織の異端鬼がカレンダー通りの休みを気にするのも不思議な話だが裂のような学生はどうしてもカレンダーに休みが依存する。反社会組織でも人間は人間、休みの頻度や内容はそう変わらないという事だ。
席を立ってやっと裂は帰路に着いた。




