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マグノリアの絆 第四十七回

 なるべく素っ気なく受け流した。べつに興味はないけれど、聞いてやらなくもない、程度のニュアンスで。切れ長の眼の端で私を顧みたあと、思惑どおり、かれは話を続けた。

「だから、この界隈で、掏摸はみんなあいつが身につけているような、縞模様のセーターを着せられる。ギルドの制服みたいなものさ。もちろん、乞食やかっぱらいにも、何らかの目印がある。掏摸ほど目立たないけどな」

「でもそれでは……」

「商売上がったりだと思うだろう? 当然、この界隈の連中はみんな知ってるさ。お、掏摸がいるぞって笑いをこらえながら、見て見ぬふりをしている。だけど、事情を知らない余所者は違う。面白いくらい、摺られちまうよ。やつらは腕がいい。また、腕を持たないやつは古着屋のほうでも雇わない。しかも、カラクリはそれだけじゃねえんだ」

 少年は語ることを愉しんでいるかのように、口調に熱が籠もり始める。私たちは片隅に身を寄せ、内緒話に興じているふりをしながら、掏摸を観察している。いかにも手持ち無沙汰な様子でポケットに両手を突っ込み、醜いピエロは時折、恨めしげに雨空へ眼を遣る。

 うおおおおん、

 という通奏低音が、ずっと鳴り止まないことに、今更ながら気づいた。それは辻音楽師が奏でるアコーディオンにも似て、まるで雑踏そのものを、機械仕掛けの道化芝居に変えてみせるようだった。むろん、私も巨大な歯車の上で踊る、一個の自動人形オートマータに過ぎないのだ。そうだ、自動人形に……いつ頃から私はこのイメージにとり憑かれてしまったのか。実際にどこか遠くから、もの哀しい三拍子が聴こえてくるように思えた。

「カモだ。やっこさん、動くぜ」

 盲導犬に鋭く耳打ちされ、見れば小太りの紳士が、ピエロの隣で腕組みして、しきりに店を覗き込んでいた。その店では、工場から流れてきたであろう、機械のジャンクパーツを売っているらしい。紳士は山高帽を被り、いかにも仕立ての好さそうな背広姿。両端をピンと跳ね上げた髭からして、エルキュール・ポアロが時空を超えて紛れ込んだようだが、灰色の脳細胞の持ち主とはとても思えない。白くたるんだ頬の肉や、どんよりと濁った目はいかにも鈍そうだ。

 少年の指摘がなければ、まず見逃していただろう。ピエロはのそのそと身を動かし、わざと贋ポアロの隣に立つと、また空を見上げて顔をしかめた。山高帽も釣られて上を向いたとき、その芋虫のような指から想像もつかない素早さで、ピエロは背広の内ポケットから財布を抜き取った。

「見たかい」

「黒光りしていたわ。みょうにぶ厚い、鰐革の財布だった」

「へえ、あんた目がいいんだな」

 本気で驚いているような声を、かれは洩らした。ピエロはまだ贋ポアロの隣にぐずぐず突っ立ったまま、何を悔しがるのか、ひとしきり首を振ったあと、最も効率的な足取りで雑踏に紛れた。少しも先を急ぐ気配をみせず、けれどもあっという間に。少年が言う。

「葱どころか、鍋まで背負ってやがる。あの御仁、いよいよ財布を取り出す段になって気がつく手合いだな。しかも近ごろじゃ、財布の中にカネだけ入れて持ち歩いているわけじゃないだろう。身分証やら、クレジットカードっていうのか? なんだかよくわからねえお宝が紛れ込んでいて、むしろ現ナマより後生大事にされている。金持ちになればなるほど、だ。たしかに、それらをY浜あたりへ持ちこめば、中国人にせよ朝鮮人にせよ、欲しがるやつはごまんといる。モノがよければ、薄っぺらな札一枚に、札束を積んで寄越す」

 盲導犬は血を味あうように舌嘗めずりした。贋ポアロは不格好な尻をこちらへ突き出したまま、ジャンクパーツの中に顔を埋めている。どこかで小金を溜めた工場主あたりか。

「ただな」と前置きして、かれは続けた。「ハマのブローカーに、しこたま上前を跳ねられるのは面白くねえ。が、さすがにスターリンの息のかかった外人は、こんな掃き溜めに寄りついたりしねえ。そこでおれたちの出番というわけだ。これを持っててくれるか」

 葉書サイズほどの、二つに折った紙片を手渡された。透かしこそ入っていないが、上質な紙だと知れた。開いてみると、タイプライターを使ったとおぼしく、ローマ字の住所が打たれていた。

「これは?」

「至って簡単なお仕事。これからオイラがやつを連れて来るから、こいつを渡してくれるだけでいい」

「どうして自分で渡さないの」

 かれは片目を閉じ、盲導犬というよりは、狂犬そのものの表情で、唇を歪めた。

「ハクがつくからさ。それくらい判るだろう、美人の姉さん」

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