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マグノリアの絆 第四十回

  ◇

 雨宮京子は語る。

  ◇

「不思議なことなんか、何一つないでしょう」

 しきりに首を傾げているさまをくすくす笑いながら、私は言った。佳苗は気弱そうに目を伏せたが、それでも不服らしく、上履きの先で床を小突いている。

「だって、京子さん……」

「佳苗、私はいつもあなたに警告していなかったかしら。所詮私たちは、ニュートンの悪夢から逃れられないということを」

 彼女は顔を上げ、眼鏡の奥で恐ろしげに目をしばたたかせた。私たちにとって、アイザック・ニュートンは最も忌むべき悪魔の名だったから。声のトーンを落として、私は言葉を継いだ。

「所詮私たちは、かれの思い描いた重力の法則から逃れられない。私たちの肉体は、と言い換えるべきかしら。もちろん、かれが君臨する絶対王国からの脱出こそが、私たちの目標なのだけど、そのことと、かれの存在を消し去れるという過信とは違うのではないかしら」

 自身の話しかたに、最も驚いていたのは私だったかもしれない。いつの間にか私は奇怪な仮面を手に入れ、仮面を通して会話することを愉しみ始めていた。共同幻想という名の仮面を。今のところそれは、私と佳苗、二人の競作に過ぎなかったけれど。さらに多くの幻想を取り込み、硬度を増してゆく予感があった。

 私とは別の意志を持つように、「仮面」は口走るのだ。

「あなたが始終、夢を見ていたのでなければ、物理的に一人の人間が消え失せるなんて現象は、あり得ないということだわ。ね、倉庫があったのでしょう」

「もしかして……」

「そう。薗子が身を隠せるような場所は、一箇所しかなかった。もしこれがあなたの『尾行』に気づいたからという意味でなければ、面白い答えが出てこないかしら」

 佳苗は目を見開いたまま、しきりに爪を噛んでいた。かなり古くから、この丘の鉱脈は知られていたと聞いた覚えがある。明治期になって大規模な採掘が行われるずっと前から、小領主たちは半ば秘密裏に穴を掘っていたという。我を忘れたような低い声で、佳苗がつぶやいた。

「地下のトンネルがあるのね。丘の下へ通じる」

 あの噂は、「その子」の噂は事実だったのか。

 けれども私たちは示し合わせて、薗子があらわれても問い質すような真似は控えた。私が計画を口にしたときの、佳苗の驚愕は予想どおり。単独で行うよう命じられるより、むしろ恐ろしがっているように見えた。

「私一人で充分。下界のことなら、私、よく判ってるから」

「何を言ってるの、佳苗。私たち、いつも一緒でしょう」

 甘言だ。と、耳もとで囁く自嘲の声は、けれどどこか愉しげに響いた。佳苗は頬を紅潮させ、うっとりと瞼を伏せた。これが現実ではなく、自身の夢なのだと信じたがっているように。

 薗子の「クラブ」への出欠を、それとなく佳苗に尋ねさせていた。来ないと彼女が答えた日から中間試験が始まっていて、学校も昼には終わるのだ。今にも降りだしそうな空模様も、レインコートに身を隠すには都合好く思えた。けれども自分一人ならともかく、二人揃っての尾行は至難だと佳苗が言うので、私たちは別行動をとることにした。まず佳苗が単独で薗子を追い、私は後から出て公団住宅の近くで落ち合うことにした。

 もちろん当時は携帯電話など、SF小説の中にしか存在しない。前回の佳苗の見聞から、薗子が一度は部屋に戻ることを見越した上での計画だった。万人が傘を広げる今と異なり、ゴム引きのレインコートはまだ普及していた。わざとみすぼらしいものを二着用意して、自身も重いフードを被り、時間を見計らって目的地へ向かった。塀の隙間にじっとうずくまっているもう一つのレインコートを見たときは、覚えず吹き出しかけたが、真面目らしく私は声を潜めた。

「まだ中にいる?」

 私の接近に気づかなかったのか、佳苗の肩が痙攣的に震えた。

「あ……京子さん」

 その口調から、私が来ることを信じていなかったことが知れた。

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