マグノリアの絆 第三十七回
そう気づいた瞬間だった。
ガラテア。
あの時のように、この言葉が私を貫いたのは。
私は西行の自動人形が、「化け物」ではなく、美しく造られたのではないかと夢想した。彫像という、謂わば不在の女に恋したピュグマリオンと、親友の不在に心を痛め、その穴を埋めるためにヒトを造った西行と。経緯はまったく逆であるものの、二つのエピソードの交叉する地点には、あまりにも似た存在が、立ち上がってくるのではあるまいか。それこそが、
人造人間。
我を忘れて、私は薗子の前にひざまづいていた。私はとっくに、気づいていたのではないか。いきなり「撰集抄」の逸話を持ち出したのも、無意識に直感していたからではあるまいか。西行が造った人造人間に、薗子があまりにも似ていることを!
「京子さん、何を……?」
悲鳴に近い佳苗の声も、ほとんど耳に入らなかった。私は薗子の両の手首をつかみ、顔の前から引き剥がした。伸び放題の前髪を、彼女が常に垂らしているのは、他人に顔を見せたくないという、強固な意志のあらわれだ。それを重々承知していながら、半ば薗子に覆い被さる恰好で、漆黒の、鉄のカーテンをこじ開けた。
見開かれた両目は涙に潤っていたが、怒りも、恐怖も、哀しみも、憎悪も、驚愕すらも、そこに読みとることはできなかった。色素が薄いのか鳶色に澄んだ瞳はどこまでも虚ろで、実はガラス玉だと告げられても、信じたかもしれない。
綺麗な顔だった。
おそらく私を除いた、どの学年の少女たちよりも。わずかに、輪郭に柔らかさを欠くきらいはあるけれど、それも個性的なアクセントとなってはいる。物見高い視線から私たちの行為を隠すために、私は薗子を押し倒さんばかりに、覆いかぶさった。後になって、あの雨宮京子が取っ組み合いの喧嘩を演じたという噂を知り、苦笑を禁じ得なかったが。
私が何をするつもりなのか、薗子が気づくまで数秒間を要した。強ばった身体が抵抗を始める時間を、けれど私は与えなかった。
「……わ、たあ、あ、し、いいっ、みっ、みにいい、くっう……」
絶望的な呻き声を、私は自らの唇でかたく、
かたく塞いだ。
◇
「身体醜形障害?」
美架は尋ね返した。解剖台越しに、雨宮京子は痛ましげに微笑んだ。
「当時は、醜形恐怖症と呼んだかしら。自身の容貌に極端なコンプレックスを抱く障害ね。有村薗子は間違いなく、それに該当した」
「ですが、薗子さんは美少女だったのでしょう」
「ええ、とびっきりの、ね。でも病気であることと、実際の容貌とは関係ないの。原因を分析するのは、なかなか容易ではないでしょうけれど。彼女の場合、外界への嫌悪感が、自身の肉体へ跳ね返ってしまったように思えるのよ。素人判断に過ぎないけどね」
「世界は醜い。中でも自分自身が最も醜い。なぜなら、自分こそが世界なのだから……と?」
「そんなところかしら」
雨宮は白いお下げ髪に手をあてた。
古い倉庫の中にあるこのアトリエまで、外界の音はまったく届かない。廃工場を模した部屋そのものが、モダンアートの作品のようだ。ここでは時の流れがせき止められ、目につく所に時計もないため、美架の時間の感覚もまた麻痺したまま。雨宮が語り初めてどれくらい経つのか、紅茶の冷め具合から推しはかるしかない。
彼女は言葉を継いだ。
「醜い外界と対峙したとき、薗子と私は、まったく逆の立ち位置を選んだことになるわね。私は自身こそは至高だという立場を選び、彼女は可能な限り自分を貶めようとした。そのじつ、私たちは鏡像のようなものだったのかもしれない」
自嘲的な笑みを浮かべ、左手の指輪を眺めた。老女とは思えぬ、その目つきの妖艶さに、美架は覚えず息を呑んだ。
「鏡、ですか」溜め息混じりに言う。
「ええ。外界という鏡を間に挟んで、私たちは正面から向き合っていた。そういうことにならないかしら」
澄んだ、けれどどこまでも虚ろな眼差しに、射すくめられる思いがした。返答に詰まったまま目を逸らすと、例の「玉座」が、異様な存在感を伴って視界に飛び込んできた。血のような深紅の絨毯の上で、巨大な「ソロモンの星」を背に。
「だから私は、彼女を『殺す』ことに決めた。だって、私だけが死んで、鏡の中の影だけが残るのは、居たたまれないから。もちろん佳苗と、私自身もろとも。次に必要だったのは、私たち三人が『終わる』場所を探すことだった」
相変わらず淡々とした口調で、雨宮京子は語り続けた。




