マグノリアの絆 第三十二回
お化け。
クラスでは密かにそう呼ばれているが、あからさまに苛められているわけではないようだ。本人が完全にコミュニケーションを遮断しているので、とりつく島がなく、また、どこか不気味でもあるのだろう。その得体の知れなさが幽体離脱するように独り歩きして、丘を離れ、下界をさまよい歩くイメージを生んだのではあるまいか。薗子という名前も相まって。
次の日の昼休みに、私はさっそく三組を訪ねた。その頃流行りの任侠映画ふうに言い換えれば、殴りこみをかけた。
地主の娘たちに牛耳られていた三組は、ある種のミニマルな独立国家を形成していた。君主がいて、独自のヒエラルキーがあり、極端に閉鎖的な。どこか革命後の恐怖政治に陥ったフランスを想わせるし、あるいは高い塀の中の宗教団体を連想したほうが、より似つかわしいのかもしれない。学年が変わって、ようやくひと月が経つ頃なのに、余所者の入り込む余地を許さない、異様な空気がそのクラスに充満していた。
担任は英語教師で、ご多分に洩れず腑の抜けた中年男。アメリカ人の教師も複数いる中、かれらとまともに英語で会話できないこの担任は、ひたすら萎縮し、亀のように半ば甲羅の中に閉じ籠もった自身に、奇妙な居心地の好さを覚えてもいた。仇名はモック。モックタートルの略語である。
わざと派手な音をたてて、私はドアを開けた。クラスじゅうの視線が、一斉に降り注ぐの判った。反感と憎悪。驚愕と羨望。完璧な自己愛者の登場は、ドアを開けるまであれほど騒がしかった教室を、一瞬で別世界に変えたように、静まり返らせた。二等分された勢力図は、後ろ側のドアから、地図を見るように俯瞰できた。黒板のある壁の隅から対角線を一本引いて、廊下側が峰本派、窓際が長岡派。何らかの理由でどちらにも属さない子たちが数名、私の近くで小さくなっていたけれど、そこに薗子らしい姿はなかった。
峰本は黒板の中央正面、長岡は窓の前に。誰かの机を玉座代わりに腰を下ろしていた。周囲を取り囲む形で、あるいは椅子にかけ、あるいは立っている女の子たちの席順は、ヒエラルキーに則ったものだろう。制止した時間の底から、こちらを見つめる幾つもの暗い眼差し。峰本が最初に「きゃっ、きゃ」と、わざとらしい声をたてるまで、三十秒近く要した。
「あらあら、一組のお姫様が何のご用? プリントでも届けに来て? それとも、夢を見ながら歩いていたせいで、教室を間違えたのかしら」
峰本派の少女たちが一斉に笑う。対して、長岡派が押し黙ったままでいる光景は異様である。末席の少女が一人だけ、釣られて声を立てたが、長岡のもの凄い一瞥を食らい、ひっ、と息を呑んで蒼ざめた。対抗意識からか、次に口を開いたのは、その長岡だ。
「お目当ての王子様なら、ペガサスに乗って飛んで行ってしまったわ。私さっき、見たもの。ここは魔女の国よ。あなた、石に変えられたくて来たんでしょう」
困惑が、たちまち長岡派に広まるのが見てとれた。笑うべきか、笑わざるべきか。彼女のいやみはファンタジック過ぎた。
「きゃっ、きゃ」
峰本の声が沈黙を破った。いわゆる鶴の一声で、両派とも重々しい沈黙から解放された勢いから、ヒステリックな笑い声を放出させた。二人の独裁者は、他国の「姫」の侵入に対し、どうやら共闘を決めたらしい。敵の敵は味方、という、何千年も繰り返されてきた集団闘争のセオリーどおりに。
私は無言のまま、戸口に佇んでいた。指先でしどけなくドアにもたれた立ち姿が、彼女たちの目にどう映っているのか、充分意識したまま。挑発的な余裕もたっぷりに、地主の娘たちを観察した。峰本は小柄だが豊満な体つき。お団子みたいな鼻を含めて愛くるしい顔立ちといえたが、一目でそれと判る化粧が台無しにしていた。背にかかる髪を結びも編みもせず。厭らしいほど短くしたスカートに、禁じられている黄色い三つ折りソックスを履いていた。対して長岡はひょろりと背が高く、異様に手足が長いのを、取り巻きからはファッションモデルのようだと、もてはやされていた。鼻が高いのも自慢らしく、思いきり短くした髪は、中性的な自身に酔うのに、役立つのだろう。
すべてが、戯画に過ぎなかった。必死に背伸びしている地主の娘たちも、汲々とそれに従う他の少女たちも。滑稽な戯画の一部と化して、ありふれた勢力争いの舞台に立たされ、踊らされているだけの。愚かな木偶人形に過ぎなかった。




