マグノリアの絆 第三十一回
有村薗子は二年三組に所属する。このクラスが、峰本と長岡という、旧地主階級の娘二人のもとに、勢力が二分されていることを、私たちは知っている。薗子は数少ない中立、というよりは、完全に孤立していた。
「地味で目立たない子だと、誰もが口を揃えるわ」
「そう。最もいい加減な評価の一つね。地味で目立たない。だから、無視も軽蔑も許される、だなんて、評価する側の知能不足を露呈しているようなものでしょう。自分たち同様、手を打ったり足を踏みならしたりして騒ぎ回らないからといって、仲間外れにする特権があると思い込んでるみたいだけど。まあ、いいわ。続けて」
「いつも身を隠すように背を丸めていて、会話するときは完全にうつむいている。ぼそぼそと小さな声は、とても聞きとり難い。常に不揃いな前髪が顔を半分隠しているから、片目しか見えないさまは絵に描いた幽霊のよう」
「成績は?」
「どちらかというと、上のほうだわ。運動神経も悪くないし、絵画も巧み。声さえ大きければ、奇麗な歌声が出せるのにと、音楽教師を嘆かせたとか」
「韜晦してるんじゃないかしら」
「えっ」
「自身の能力を偽って、愚か者に見せようとしているのかもしれない」
「でも、何のために?」
「目立ちたくないからでしょう」
愚かな猿どもに目をつけられれば、いずれ同類のレベルまで引きずり下ろされてしまう。愚者は賞賛なり友情なりと引き替えに、「自分たちと同じ」群れの一員となるよう、執拗に要求する。完璧なナルシストとして振る舞うことで、私はつけ入る隙を与えなかったけれど。もしずっと不器用だったら、有村薗子と同じ方法で孤立を保つしかなかったろう。
だが、彼女の孤独癖には、ほかにも大きな原因がありそうだ。直感が私にそう教えていた。
「三組の状況を、もう少し詳しく教えてちょうだい」
不意に尋ねられて、佳苗は眼鏡の奥で瞬時、ほとんど白眼を剥いた。あたかも、脳内の記憶を即座に読み取ろうとするかのように。
「峰本・長岡の二大勢力は今のところ、ほぼ拮抗している。ゆえに、成員獲得のための暗躍が繰り広げられているらしく。両派とも、交渉に巧みな数名の少女を選出して、スカウトと称し、めぼしいクラスメイトを抱き込んだり、既に相手の派閥に属している場合は、寝返りを促す。峰本派に属すれば、ただちに党首のイニシャルの入った万年筆が与えられるし、長岡派ならば、同様にお揃いの懐中時計が。どちらも高価なもので、メンバーの標しでもある」
「興味深いわね。ほかには?」
「週に一度――峰本派は水曜日、長岡派は金曜日の――早朝に教室で会合が開かれる。菓子類の持ち込みを学園側は把握しているが、両家は理事会に多大な影響力を持つため、手をこまねくしかない。会合の内容を他派に洩らすことは厳禁で、とくにその都度変更される合言葉は徹底的に秘される。寝返る者が出れば、ただちにこれは変更されるし、また会合でのスパイ行為が発覚した場合、即刻、厳罰をもって報いられる。すでにそのことが原因で、二人が転校し、一人は退院できずにいる」
「なるほど、それだけ聞くと、学園側は腰抜けみたいだけど。二人が同じクラスに入れられた背景には、政治的な意図がありそうね」
他愛もない派閥争いの話に、不可思議な魅力を感じている自身に気づいた。メンバーの証となるアイテムや合言葉。これは一種の秘密結社ではないか……佳苗が問い返した。
「政治的な?」
「単純な操作だわ。勢力を拡散させず、相殺させることによって、最低限に留めようという」
「そうなのね。だって、両家より財力があるのは、京子さんの家くらいでしょう」
よほど私は、険しく睨みつけたのだろう。後ろに倒れなかったのが不思議なほど、佳苗の顔が見る間に蒼ざめた。言葉を継げられぬまま、ただ、「うう」と呻き声を洩らした。私は視線を逸らし、わざと冗談めかして言った。
「三組でなくてよかったわ。それとも彼女たち、私を密かにライバル視しているのかしら。ね、有村薗子の家庭環境は、どんな具合なの」
ありありと安堵の表情を浮かべて、佳苗はまた自身の記憶を読む仕草。
「両親は健在。父親はやはり工場主であり、上流にようやく手が届く程度。詳細はけれど、彼女が口を閉ざして語らないため、不明な点が多い。服装は小綺麗だし、持ち物も標準以上なので、冷遇されているとは思えない。それゆえ、自身の顔を覆い隠すような髪型の異様さだけが、際立っている」
機械的に語りながら、佳苗が無意識に胸をぎゅっと押さえるのを見た。養父に冷遇され、必需品にすら乏しい自身の境遇を思ったのだろう。けれども私は彼女の傷心に頓着せず、つぶやいた。
「ぜひ、話してみる必要があるわね。有村薗子と」
何度か廊下ですれ違ったことのある、幽霊じみた少女が思い起こされた。背を丸め、両手をだらりと垂らし、まるでリビングデッドのような、ふらつく足どりで向こうから歩いてきた。うつむかせた顔に、漆黒の髪がばさりと垂れかかる。かろうじて覗く左目が、すれ違いざま、研ぎ澄まされた刃のように、ぎらりと輝いた。




