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マグノリアの絆 第二十七回

 コンクリートの「はこ」は、せいぜい七、八メートル四方だろうか。正面の壁に入り口らしいものはなく、上辺に沿って、通風口のような小窓が、幾つか並んでいるばかり。雨宮は迷わず、左側へ回りこんだ。そこに、いかにも殺風景な鉄のドアがひとつ。

 美架は訳もなく、学校の閉鎖された屋上へ通じるドアを連想した。誰も足を踏み入れない階段の先で、半ば錆びつき、青空の覗く隙間から冷たい風の吹き込むさまを。

 表面には正確な五芒星の金属板が、打ちつけられていた。鍵はかかっていなかった。

 鉄扉が内側に開かれると、自動的に灯りが点いた。おぼろげで、無機質で、光源がどこにあるのか定かでない。ドアの真後ろの階段は下降しているから、もし何も知らずに飛び込んだら、怪我どころでは済まないだろう。地上の匣を逆さにしたように、地面もまた正方形に刳り抜かれているのだ。

 足下に横たわる「部屋」の奇怪さに、美架は瞠目せずにはいられなかった。

「マグノリア倶楽部へようこそ」

 歌うように、雨宮はそう言うのだ。

 鉄の梯子段とはおよそ不釣り合いな、緋色の絨毯。降りきったところが、彼女のアトリエというわけだが、このがらんとした四角い部屋を予備知識なしに見た者の、いったい誰がそう信じるだろうか。美架の脳裏にまず浮かんだのは、ピラネージの銅版画、「牢獄」シリーズであったという。

 あの奇妙にねじ曲がった空間。果てしなく下降する迷路は、私も好むところで、上野の美術館に常設展示されていた時は、足しげく通ったものだ。児戯と悪意の隠れん坊。何か凄惨な出来事がかつて演じられ、あるいは今まさに壁の向こうで起きているかもしれない。平日の、人もまばらな常設展だ。血と悲鳴の予感をひしひしと感じながら、薄明かりの射す地下牢を辿るように、シリーズを一枚ずつ眺めてゆくくらい悦びは、煩瑣な現実を少しの間、忘れさせるに足りた。

 むろん、倉庫の中にアーチ状の梁を複雑に組み合わせた空間が、あったわけではない。幽鬼が潜む暗がりも、地獄まで通じる穴蔵も見当たらない。鉄板を貼り合わせた壁も床も、すっかり錆びついている。見上げれば、剥き出しの鉄骨の上に小窓が並び、オレンヂ色の光を浮かべている。ここが廃工場の一角でなければ、何だというのだろう。

 みずから買い取った倉庫の中に、このような空間を再現したと覚しい、雨宮の真意こそ奇怪だった。しかも、アトリエと称して。

「驚いてる?」

「お察しのとおり」

「女の子が二人、ここで殺されたわ。探偵役のあなたに、その現場を見てもらいたくて」

「ここで?」

 皮肉らしい笑みを宿して、雨宮は鬢のほつれを掻き上げた。

「これがレプリカに過ぎないことは、もちろん、お察しのとおりよ」

 細長い緋色の絨毯が敷き渡された階段。それを降りきった左右に、身の丈ほどある機械が並ぶさまは、神社の狛犬を想わせた。一つは馬頭形で直立し、もう一つは寝そべる肉食獣のよう。何のための機械か判らない。磨き上げられた鉄塊の中から、歯車や、無数のパイプが食み出している。赤いランプが、無秩序に並んだ眼のように埋め込まれている。美架の視線を追いながら、雨宮は言う。

「ユニコーンと、獅子。最初にこの二匹が、私たちを出迎えてくれたわ。記憶から、あの美しさを再現するのに骨が折れたけど」

 機械の向こう。空間のほぼ中央には、テーブルともベッドともつかないものが、横たわっている。黒光りする鉄製で、一方に巻上機のようなものが取りつけられている。解剖台、という言葉がどうしても浮かぶ。この上で、ミシンと蝙蝠傘が出会えば美しいのかもしれないが、工具類が整然と並べられているところを見ると、作業台として機能しているらしい。

 たしかにここは、雨宮京子の「アトリエ」なのだった。半ば独り言のように、美架がつぶやいた。

「作品は、置かれてないのですね」

 彼女は仕事で何人かの芸術家を知っていたが、かれらの仕事場では、必ずお気に入りの自作が見られた。レオナルド・ダ・ヴィンチは「モナ・リザ」を終生手放さなかったと聞くし、時代下って、モーリス・ドニは婚約者描いた屏風をアトリエに置き続けた。芸術家とは、そんな習性の持ち主だと思っていた。けれども、ここに工具や材料はあっても、人形や指輪は一つも見当たらないのだ。

「あら、見えている筈よ。ここにあるもの全てが、私の『作品』なのだから」

 黒光りする「解剖台」の縁を指でなぞり、雨宮京子は振り仰いだ。そこには……空間の最も奥まった部分には、美架が意識して見まいとしていたものが、圧倒的なインパクトで君臨していた。

 玉座だ。

 直感的に、なぜそう確信したのか判らない。古ぼけた肘掛け椅子だ。アン王朝様式を模した、いかにも俗っぽい疑似アンティーク。赤い布は色褪せ、脚もちょっと歪んでいる。粗大ゴミの中からは、もっと高級な椅子がいくらでも見つかるだろう。

 にもかかわらず、何がこの古ぼけた椅子に、視線を逸らしたくなるほどの威圧感を与えているのだろう。やはり深紅の、一帖サイズの絨毯の上に置かれているからか? いや、それよりも、背後に吊り下げられた、平らな白いカーテンのせいに違いない。

 そこには、巨大な「ソロモンの星」が描かれていたから。

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