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マグノリアの絆 第二十六回

 何度目かで車が停車したとき、ようやく高速道路から下りたことに気づいた。冷たい汗が、全身に纏いついていた。しばらく気を失っていたのかもしれない。二輪馬車に押し込まれ、揺られてゆく夢の残滓。でこぼこの石畳と、曲がりくねったこみち。覆いをかけられた窓の隙間から、刀身のような月が覗く……

「着いたわ」

 車がバックした形跡はなかった。エンジン音が途切れると、たちまち、静寂に包まれた。微風に混じる朽ち葉のにおい。頭上で、不意にヒヨドリが疳高く鳴いた。いつの間にか手錠が外されており、片手が抵抗なく持ち上がった。もう片方の手首に触れたとき、覚えたのは一抹の寂寥だった。生涯、自身を束縛する重力を、人が恋しがるように。

「それも外していいわよ。少し歩くから」

 眩しさを覚悟していたが、射し込む光は柔らか。常緑樹の森である。径がそこで途切れており、ロードスターはちょっとした空き地に、ぽつんと停められているばかり。かつては何らかの施設があったのか、煉瓦の敷石が所々、残っていた。シイを中心とした木立はまばらで、とくに大きな木は見当たらない。

 鍵を抜いただけで、車はその場に乗り捨てられた。径とは反対側へ、雨宮が先に立って歩いてゆく。シイの実が落ちるたび、敷石の上でぱらぱらと弾ける。木立の中には、得体の知れない鉄の塊が、彫像のように突き出ている。現代芸術のオブジェだろうか。最初そう考えたが、錆びついた機械の残骸らしい。覚えず、美架はつぶやいた。

「ここは……」

「そう。かつて、常夜町と呼ばれていたところ」

「えっ」

 振り向いた雨宮の目が、悪戯っぽくしばたたいた。

「ちょっとは、信じたかしら。でも、あながち嘘とも言えなくてよ。これから私はあなたを、その街へ案内するのだから」

 やがて木立の向こうに、灰色の建物が垣間見られた。倉庫だろうか。かなり古いものと覚しく、石張りの壁に、スレート葺きの赤い切妻屋根ゲーブルを載いたさまは、森の中に一つだけぽつんと建っていることも相まって、童話の挿絵を想わせた。

 倉庫の正面で肩を並べた。入口だけ、真新しいシャッターに取り替えられている。その上に看板を取り外した痕があり、破風の下に二つ並んだ窓には、赤い板が打ち付けられている。が、何よりも美架の目を惹いたのは、棟の真下に打ち付けられた真鍮のプレートだった。

 正確な星形に切り抜かれており、ほとんど緑青に覆われた表面に浮き出ているラインをたどれば、それが「五芒星」にほかならないことを物語っていた。

 美架の視線を追って、雨宮はくすりと肩を竦めた。

「商標の名残かしら。もともとあったものに、全く手を加えていないのだけど。初めて見たときは、まるで導かれたような気がしたわ。持ち主とはすぐにコンタクトがとれたし、土地ごと買い取る手続きも、とんとん拍子に進んだ。不動産狂いの先代が入手した土地らしく、税金を吸い上げられるだけの、屑みたいな物件なんだって。嬉々として手放してくれたわ」

 そう言いながら、シャッターに歩み寄ったが、鍵穴は見当たらない。上部にセンサーらしき装置があり、赤い光点が、こちらを警戒するように点滅していた。

「ミ・キアーモ・ドゥーチェ」

 雨宮京子は、ほとんど囁くように、そう言った。

 とたん、ランプは赤から緑の点灯へ変わり、モーターの音が重々しく響き始めた。半分ほど巻き上がったところで、シャッターの動きが止まると、雨宮は美架へ向き直り、舞踏会ふうに、ちょっとスカートを摘まんで、小腰を屈めた。

「どうぞ、中へ」

 二人とも足を踏み入れると、またモーターが作動し、入口が完全に閉ざされた。オレンヂ色の、薄暗い人工照明。倉庫の中心にうずくまる、巨大な正方形の箱が、美架の目を驚かせた。箱の壁面は打ちっ放しのコンクリートで、明らかに最近作られたもの。どうやら古い倉庫の中に、もう一つの建物が、新たに入れ子になっているのだと知れた。

 それにしても……

 ドゥーチェ。

 たしかに雨宮は、シャッターを開くキーワードの中で、そうつぶやいた。同時に声紋も読み取るため、他人の声では開かない仕掛けなのだろうけれど。数日前の「茶会」の折に、森田佳苗が同じ言葉を口走ったことを、彼女ははっきりと覚えていた。だから、調べておいたのだ。

 ドゥーチェ。

 イタリア語で、「総統」を意味する。

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