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マグノリアの絆 第二十三回

「あなたはこれから、私に命を預けてくださらなくてはならないわ」

 渋いワインレッドのマフラーを巻きながら、雨宮京子が言った。目をしばたたかせる美架に、片目を閉じてみせた。

「乗ってちょうだい」綺麗に揃えた指で、初代ロードスターをさした。

 屋根のない「スポーツカー」に乗せられるのは、初めてかもしれない。いかにもおっとりした雨宮と、銀色に磨き上げられた車とは、どうしてもちぐはぐな印象。運転席に乗り込んだ彼女は、キーを挿し、左手を軽くギアに添えた。これが古いマニュアル車なのだと、美架はあらためて思い知らされた。

 快調そのもののエンジン音が、腹の底へ響く。メンテナンスがゆき届いていることは明瞭だが、つなぎを着た雨宮がボンネットに半身を突っ込んでいる姿など、想像もつかない。おそらく、業者に定期的な整備を依頼しているのだろう。

 玉砂利を軽やかに鳴らして、カーポートからさして広くもない道へと、車は難なく滑り出した。ギアをロウからトップへ切り替えてゆく手つきの艶やかさに、覚えず見とれた。その薬指で、指輪は五芒星の中に、やはり生きものじみた光を浮かべた。美架がハッと、目を逸らしたほどに。

「ふ、ふ。あなたを怯えさせるのは、難しいわ。その完璧なポーカーフェイスを、どこで身につけたの」

 金曜日の午前十時すぎ。勤め人や学生が収まる所に収まった後の住宅街は、閑散としていた。二人乗りのシートは「コックピット」を想わせて、フロントガラスの裏側にすっぽり収まる恰好なので、思ったほど風も入り込まない。視線を上に向け、美架は答えた。

「こういう言い回しを許していただけるならば、個性だと思っています」

 隣で、笑い声が弾けた。バス停の前の数人が、一斉にこちらを目で追った。

「興味深いわ。私が人殺しかもしれない女だと話したこと、覚えているでしょう」

「覚えています」

「二人の少女を道連れに、死のうと計画したの」

「でも、雨宮先生は生きていらっしゃいます。少なくとも、一人の『少女』とともに」

 横顔に注がれる視線を感じたが、あえて目を合わせなかったという。基本的に、自動車の中での会話は好きだと、美架から聞いた覚えがある。相手は運転中なのだから、いちいち顔を見なくても、失礼にあたらない。電話では遠すぎるのが、面と向かうと近すぎる。けれどもドライブなら、真横に座っている相手と、並んで景色を見ながら会話できる。その距離感が、心地好いらしい。

 つまりそういう距離感の「男」がいるか、あるいはいたのだろうか。車を持たない私の胸は騒いだものだが、ここでは閑話あだごとに過ぎない。くっ、くっ、と、雨宮は笑い声を押し殺した。

「一度見てみたいものね。あなたの表情が、恐怖に引きつるところを」

 通い慣れた道なのか、雨宮のハンドルさばきに迷いはなく、込まない裏道を抜けては、また大通りへ出る。マクドナルドにドンキホーテ。景色はぐっと俗っぽくなり、ありふれた灰色の街並みが続く。

「それは、ご要望なのでしょうか」

「あなたに倣って、個性だと言っておくわ。あるいは性癖と言い換えてみようかしら。あなた、ミステリーはお好き?」

 唐突な質問の変化に戸惑いつつ、持ち前の几帳面さで彼女は答えた。

「基本的に好みませんが、ディクスン・カーなどはタイトルに惹かれて、うかうかと手を出してしまいます」

「カーの小説で、ユア・ベストはなあに」

「すべて読んだわけではありませんが、処女作の『夜歩く』が」

「あの話のトリックは、あまりにも類型的じゃない。『火刑法廷』のほうが、あなたの趣味に合いそうだけど」

「澁澤龍彦も好んだ話ですね。たしかに、ミステリーと怪奇小説をあえて未分化なまま織り交ぜた醍醐味はありました」

 唇に軽く指を当て、美架は語を継いだ。

「けれども、私にはかえってその手法が理知的に感じられました。それよりも、処女作のほうが、混沌とした中にゴシック趣味や残酷味が色濃く出ていて。読者として、勝手に幻想を膨らませる余地があると申しましょうか。くらい夢の中で遊べるように思えたのです」

 再び注がれる視線を、痛いほど感じた。あまり運転中、余所見をしてほしくないのだが、雨宮の運転技術の高さはすでに実感していた。本気で「心中」するとなれば、そちらのほうが確実に目的を遂げられそうだが。耳許で、溜息混じりのつぶやきが洩れた。

「あの時あの街で、あなたと逢いたかったわ」

 みょうに入り組んだK江市を突っ切り、C府方面へ北上するのか、あるいはS並区のほうへ斜めに横切るのか。そういえば、行き先をまだ聞いていなかったことに思い当たったところで、環状八号線とぶつかった。

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