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マグノリアの絆 第二十二回

「これではまるで、黒死館殺人事件だ」

 幻影から逃れるように、私は叫んだ。途端、家政婦の冷ややかな視線とぶつかった。

「何を妄想なさっていたのか、知る由もありませんが。とりあえず、金曜日には雨宮先生にお目にかかりますので、続きは次の木曜日にお披露目できるかと存じます。ご興味がないわけでは、ございませんよね、酒井先生」

 最後の一言を、みょうにゆっくりと口にした。言葉を詰まらせたまま、私は阿呆みたいにうなずくよりほかない。

「これで失礼いたします。お茶の時間に遅れますので」

 皮肉らしく「公香」の決め台詞を読み上げたかと思うと、もうドアの閉まる音を響かせた。脱力すると同時に急な空腹を覚えて、喘ぐように冷蔵庫を空けた。案の状、手製のサンドウィッチが詰まっており、執筆中につまめるよう、ラップで小分けにされていた。私はポットに残っていた冷たい紅茶を注ぎ、執筆中でもないくせに、ぼんやりと頬杖をついて、出来たてのサンドウィッチを囓り始めた。

 金曜日ということは、要するに明日。三たび、彼女が雨宮邸を訪れた顛末がすぐに聞けないのは残念で仕方がないが、待つよりほかの選択肢もない。こうして独り部屋に取り残されてみると、何やらすべてが夢物語めいてくる。どこから来て、どこへ行くのか。あの風変わりな家政婦さえも、私の夢想に過ぎないかのように。

 鹿苑寺公香という、私が生みだした虚構の中の人物が、雨宮京子に探偵として依頼された。雨宮が語るのは彼女が少女だった頃の、記憶の中の事件。彼女と森田佳苗と、二人のうちのどちらが殺人犯なのか、「公香」に教えてほしいというのだ。

 ところが、端から美架には謎を解きたいという意志がない。不思議に遭遇できればよいのであり、解答が得られなかったからといって、恥とも思わない。むしろ、謎が謎のままで済んでしまえばいいと願っているフシがある。好むと好まざるとにかかわらず、これまで彼女に解けなかった謎は、ないのだけれど。

 ふと目を上げると、向かいの席に、美架が使っていたカップが目に入った。片付けなくていいからと、半ば強制的に彼女をキッチンから追い出したのだ。何かそこに彼女が存在した痕跡がなければ、現実と、持ち前の夢想癖が発露した状態とを、区別できる自信がなかった。

(何を妄想なさっていたのか、知る由もありませんが)

 白磁のカップの縁に、ごく薄くであるけれど、残っている口紅の痕に気づいた。

 七日後。食料品を満載したトートバッグを提げて、勅使河原美架は時間どおりあらわれた。これは彼女から聞いた話である。

  ◇

 門の前で待つように、あらかじめ言われていたという。初代ロードスターの幌が外されていることに、まず目を惹かれた。カーポートの屋根にかかかる、葉の落ちた木の枝に、丸いシルエットの鳥が一羽、とまっていた。雀より一回りほど大きく、目隠しを想わせて目の周りが帯状に黒い。

 百舌もずだ。

 美しく晴れ上がった空の下で、光の加減か、頬や体側はオレンヂに、翼は淡いブルーに映えた。百舌とは、こんなに派手な鳥だったのか。蛙や蜥蜴を串刺しにする犯人はかれらしいが、いったい誰が現場を押さえたのか。この季節、血を吐くような声で鳴くというけれど、かれは押し黙ったまま。しきりに尾や首を振りながら、彼女を畏れるふうもなく、堂々と樹上に居座っていた。

「待たせてしまったかしら?」

 やはり声を上げず、百舌が飛び立ったとき、初めてその木がモクレンであることに気づいた。振り返ると、茸を想わせるグリーンのベレー帽を被った雨宮京子が佇んでいた。帽子とお揃いのカシミアのコートを、ふんわりと身に纏ったさまは、まるで「お出かけ」する少女にようで。事実、お下げ髪が見事な白髪でなければ、そう錯覚したに違いない。

「ご心配には及びません」

「だといいけど。言ったとおり、少し厚着をしてきたわよね。ふふ、もしかしてそのパンキッシュな恰好は、私の思い込みにつきあってくださったということかしら」

 まったく気は進まなかったが、「依頼」された以上、これも一つの仕事にほかなるまい。彼女はしぶしぶ、そう考えたという。勅使河原美架ではなく、鹿苑寺公香としての仕事である以上、私が好き放題に妄想の限りを尽くした、公香の私服の趣味をある程度踏襲しなければなるまい。

 彼女はしぶしぶ、そう考えたという。

「ほんとうに、恨みますからね」

 と、その日私は、恨めしげな三白眼に睨みつけられたものである。ちなみにこのときの彼女の服装は、白黒ボーダーの長袖シャツの上から、胸元のV字に開いた袖無しのジャケット。裾はまるで燕尾服を逆さに着たようで、それぞれがカメレオン的に色の変わる大きな菱形のパッチワークを貼り合わせたもの。さらに継ぎ目を強調するかのように、所々にトルコ石を配した鈍い金色の鎖が巡らされ、左の手首にだけ赤い合成皮の手枷を嵌めていた。

 目の粗い網タイツは、角度によってはけっこう際どいところまで露わになるし。バックルの二つついた厚底の短いオートバイブーツは、深紅なのだった。

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