マグノリアの絆 第二十一回
◇
雨宮京子がそこまで話したところで、「茶会」は唐突にお開きになった。すでに三時間近くが経過していた。会合があまり長引けば、緊張感が損なわれる。おそらく雨宮の美意識が、そういった「だれ」を嫌うのだろう。
「私、ちっとも要領を得なくて。すぐ脇道に逸れてしまうのよね。小説家にならなくて正解だったわ」
茶器を仕舞う美架の背中で、自嘲的に雨宮が言った。これと似たようなことがあった。秋口のことで、「酒井先生」の知人が持ちかけた、ノウゼンカズラと奇妙な家にまつわる少女時代の思い出。延々と錯綜する径へ紛れこみながら、語り綴られた記憶を、美架は思い起こさずにはいられなかった。
あのときも、彼女は「鹿苑寺公香」として、謎を解いたのだが。
いつの間にか、雨音は途絶えていた。上着を羽織り、茶室のドアを開けると、つるべから落ちる直前の夕陽が、高級住宅地の屋根の上に、かろうじて引っかかっていた。湿った夕闇が、寂しげな朽ち葉のにおいとともに、足許から忍び寄ってくる。
振り返ると、茶室の中はみょうに薄暗く感じられた。彼女を見送るため、薄闇の中に並んで佇む二つの人影をみとめたとき、言い知れぬ戦慄に見舞われたという。老婆と呼ぶべき年齢の二人が、瞬時、十四歳の少女の姿と重なって見えたのだ。
「できれば、もう一度、週末に来てくださらない?」
「即答はできかねます。派遣所に相談いたしませんと」
「あら、私はあなたを、探偵として雇ったのではなかったかしら。もちろん、報酬はお支払いするわ」
二つの理由から、自分でもはっきり判るほど、眉根を寄せてしまったという。外光を背負っているため、気づかれてはいないだろうけれど。理由の一つは、彼女が「探偵役」を極端に嫌うため。不思議を愛する者として謎にかかわってゆくうちに、いつしか謎を解く立場に立たされてしまう。勅使河原美架は、そのことが非常に不本意である。
第二の理由は、同時に私にとっても大いなる謎なのだが、どうやら彼女はプライベートを他人に見せたがらないこと。いまだに彼女がどの辺りに住んでいるのか、私は知らないし、まして個人的に待ち合わせる場面など想像もつかない。ノウゼンカズラの家の一件で、最終的に彼女を引きずり出すのに、どれほど苦労したか、思い出すだに身震いを禁じ得ない。
「それで、きみは承諾したの?」
私は尋ねた。すでに美架はエプロンを外し、帰り支度をととのえたところ。
「ええ。私、断るのが苦手ですから」
どの口が言うのかと思ったが、あえて黙っていた。彼女は右手の甲を反らせ、指輪を眺める仕草。どんな魔法によるのか、雨宮京子が作った指輪は、角度を様々に変えても、瞳の星のような銀の光点が常に宿るようだ。美架は言う。
「メリメの短篇小説でしたか」
「えっ」
「うろ覚えなんですが。ある青年が戯れに、ヴィーナスの彫像の左の薬指に指輪を嵌める。愛の言葉を囁いたりするが、気がつくと指輪が抜けなくなっている。そしてかれが花嫁を迎えた夜、裏切られたヴィーナス像が、青年を殺しにやって来る」
「学生の頃に読んだっけか。典型的な怪談噺だね。でもオーソドックスなだけに、怖い」
美架は三白眼を、意味ありげにしばたたかせた。
「ガラテア。雨宮先生がその名を口にしたとき、どうしても私にはメリメの小説が思い起こされたのです。先生はガラテアを『人形』と表現しました」
「なるほど、人形作家・雨宮京子の誕生の瞬間が、そのあたりに秘められている、と」
「けっきょくあの時のお茶会では、聞けず仕舞いでしたけれど。十四歳で、同じ年頃の少女を道連れに命を絶とうと決めたことと、人形がどう結びつくのか。もしかすると……」
人を殺す自動人形!
まるで美架の中で膨らんでゆくイメージが乗り移ったかのように、奥深い闇の向こうから、近づいてくる白い影を見る思いがした。
古い邸宅の、迷路じみた廊下。ルイ王朝時代の貴婦人のようなドレスを着た少女人形が、スカートの裾を引きずりながら、独り、歩いてくる。車輪が仕込まれているのか、足音の代わりに、りん、りん、と、鈴に似た音が歯車の軋みに混じる。コルセットの中には、鯨の歯から削り出したゼンマイが詰まっているのだろう。
ぱっちりと見開かれたガラスの瞳は、あくまで虚ろ。ビスクの頬にうっすらと浮かべた笑み。いかにも幼い唇から、幽かに覗く白い歯。五芒星をかたどった指輪が、左手の薬指に輝く。そして右手には、大ぶりのナイフが逆さに握られている。
りん、りん……
奇怪な鈴の音に調子を合わせて、市松模様の床に、ナイフの先から鮮血がしたたる。夢のようなモノトーンの風景の中で、血の色だけが赤く映えている。




