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マグノリアの絆 第二十回

 私は人間が嫌いだった。必然的に、人間に興味を持たなければならないという義務を、まったく感じなかった。誰もが幼少の頃より無意識に背負わされている、ただ重苦しいだけの無価値な義務を。

 その最たる表出が「友情」ではあるまいか。とくに同年配の少女たちの友情ごっこには、辟易させられた。群れなければならないという、野蛮な生存本能の残滓。不安を感傷で塗り固めただけのまやかし。それは形骸化したファッションに過ぎず、ファッショに過ぎないがゆえに、彼女たちは多大なエネルギーを費やして求めた。

 クラスメイトたちが私をグループに加えたがるのも、私がレエスのように、友情というリボンを美しく縁取る、恰好の飾りとなるからにほかならない。

 むろん人間を嫌えば、矛先はいずれ自分自身へ跳ね返ってくる。おまえが嫌悪する「人間」の特徴を、おまえは全て兼ね揃えているではないか、と。ただ、私は一つの輝かしい詭弁を有していた。すなわち、私は人間ではなく、少女なのだ、と。詭弁であることは重々、承知していたが、それにすがりつかなければ、生きていられない自分がいた。

 少女という名の虚構に。

 しかし、この世界から虚構を除いたら、いったい何が残るのだろう。とくにこの街は、ひたすら虚で塗り固められているように思えた。スモッグで覆われた贋物の空に、嘘の太陽と偽りの月が昇る。黒い絵の具で塗り潰された、虚構の海。真夏にはぐにゃりと溶けるアスファルト。排気ガスとクラクションの音の底で、立ち往生し続ける車の群れ。そして、工場という巨大な幻影の怪物たち。

 すべてを動かしているのは、もはや機械と区別がつかない人間たちではなく、金銭ではないか。まったく実体のない化け物。金銭こそが、虚構の最たるものではないか。

 少女というものが現実に存在しないのなら、作り出してしまえばいい。どうせこの世界は、嘘で塗り固められているのだから。嘘の粘土で捏ね上げた概念に息を吹き込んでやれば、それは少なくとも、現実と区別がつかなくなるのではないか。

 人形ガラテアのように。

 ゆえに私には、「友情」という嘘を逆手にとって利用することも可能だった。友達のいない佳苗の感傷に、容易につけ込むことができたのも、それが嘘であることを私が知悉していたからにほかならない。

 私は尋ねた。

「ね、もっと多くの友達が欲しいと思わない?」

 彼女の横顔を、私は間近で観察していた。眼鏡の裏側で、虚ろな瞳が夢見るようにさまようのが判った。

「いいえ。私には、京子さんがいるもの」

「私のこと、好き?」

「ええ」

「じゃあ、私のために死んでほしいと言ったら?」

 ゆっくりと、佳苗の顔がこちらへ向けられた。予想していた驚愕が一切表情にあらわれていないことに、私は内心、驚きを禁じ得なかった。彼女の瞳はやはり虚ろで、明らかに、この世界ではないどこかへ向けられていた。

「構わないわ」

 完全な勝利を実感しながらも、全身を貫く嫌悪感が表情に出ないよう、懸命に耐えていた。この子と二人で死ぬわけにはゆかない。突然の雷鳴を聴いたように、そのとき強い感情に打ちのめされた。

 なぜなら、二人一緒に自殺したのでは、「心中」になってしまうから。

 私の中で、心中という言葉は、とても暗く、醜く響いた。その言葉につき纏う、「世間」という重く汚れた裏地が厭わしかった。世間から逃れたくて逃れられず、まるで瀕死の蛇のように延々と最期まで引きずったまま、路傍で衆目の内に干からびてゆく。そんなイメージが、当時の私には吐き気すら催させた。

 だから、

 少なくとも、「道連れ」にはもう一人の少女が必要だった。

「ねえ佳苗、私たちで、クラブを作ろうと思うの」

「クラブを?」

 問い返す声にも表情にも、予想されたとおりの不安が、色濃く滲んでいた。クラブを作るともなれば、少なくとも佳苗にとって、私たちの関係の変質を意味する。第三者が入りこんだときの力関係の変化が、彼女には恐ろしい。すなわち、また仲間外れにされて、それで終わりなのではないかという。

 私は佳苗の肩に手を置き、とっておきの、柔和な笑顔を見せることを忘れなかった。彼女以外のクラスメイトには、ほとんど見せたことのない笑顔を。

「クラブにしたほうが、目的により近づける筈よ。そろそろ私たちはディスカッションを終えて、ここを出なければいけない時が来ているの。なぜなら私たちには、あまり時間が遺されていないのだから」

 不意に花の香りを感じて、目を向けた。半ば開かれているは、いつか血の色をした夕陽が射してきた窓だ。その中に、四角く切り取られた、何もない空を漂う、一枚の花びらを見た。

 なにものにも穢されていない、純白の花びらを。

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