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マグノリアの絆 第十九回

 図書室での密会は続けられていた。

「聖セバスティアヌスの殉教図の中で、なぜ三島はとくにレーニの絵に惹かれたのかしら」

 少女と見紛うばかりの優美な肢体。腰布の下に、まるで男性器が存在しないかのような下腹部の隆起……私たち独自の視点から、それらのことはすでに語り尽くされていた。あえて話題を蒸し返したのは、いよいよ「死」のレクチャーへと舵をきる、きっかけにしたかったからだ。

 佳苗は無言で首を振った。理解できないとき、無理に答えようとしない慎重さが、彼女の美点の一つと言えた。それは彼女が、他人の家庭で生きてゆく上で身につけた、処世術でもあるのだろう。うかつに弄した言葉が、どんな形で跳ね返ってくるか判らない、緊張感の中で。

 使用人の失敗を押しつけられたことも、再三あったという。日頃彼女に無関心な養父が、唯一奇妙な情熱を示したのは、折檻においてであった。ヤナギやカエデやバラなど、様々な木の枝を、彼女の眼前で削ることから、刑罰は始まっていた。一本ずつ枝を変えるたびごとに異なる悲鳴が上がるのを、養父は調律師のように愉しむかのようだ。

 私は画集を指し示して、言葉を継いだ。

「かれの殉教図の中で最も有名な作品は、このソドマが描いたものではないかしら。後ろ手に樹木に縛られ、太腿と、さらに首を矢に貫かれながら、恍惚と空を見上げている。垂らした髪も相まって、やはり顔は女性的だし、肌なんか、むしろこちらのほうが大理石のよう。そのうえ、血管が透いて見えるほど、繊細でもある」

「たしかに、レーニの絵はまるで少しも痛みを感じていないように、静謐だものね。ソドマの絵には、苦痛の痕跡がはっきりとあらわれているわ。表情の上にも、ぎゅっと身をよじったポーズの上にも」

「つまり佳苗は、苦痛の不在という点で、レーニの絵に不満があるのね」

 彼女は口をつぐんだ。恥部を指し示されたように、赤面していた。当を得た思いで、私はくすりと肩をすくめた。

「その点を三島がどう考えていたのか、私にはちょっと判らない。ただ仮に幾つか不満が残るとしても、レーニの絵に軍配を上げざるを得ない、決定的な要素があったと思うの」

「それは?」

 髪を頭の後ろで一つに結ぶ要領で、私は両腕を思うさま持ち上げてみせた。ワンピースのセーラー服越しに、遮るものとてない、私の肢体が彼女の面前に晒されたことだろう。

「どう? こうするだけで、私が生け贄にされたように見えない? つまりそういうことじゃないかしら。かれは、神へ捧げる生け贄のような恰好で樹木に両手を吊られて、処刑される聖者に自身を重ね合わせた」

 現在の私たちは、三島自身が裸体でレーニのセバスティアヌスと同じポーズをとった、有名な写真を知っているが、これはかれの死の二年前に篠山紀信が撮ったもの。当時はまだ存在しなかった。

 佳苗は右の拳を左手でぎゅっと掴んだまま、太腿の上で小刻みに震わせていた。おそらく彼女が罰を受けるときは、「レーニの絵」と似たポーズをとらされるのだろう。なかば無意識に、そのことを考慮した上で、私は切り札にこの話題を選択したのかもしれない。

「処刑される……自身を?」

「最高に美しく、最高に陶然とした瞬間を」

 佳苗の瞳が瞬時、反転するのを見た。そのまま昏倒するのかと疑ったほど、椅子の上で身をのけぞらせ、舌を突き出したまま、呻き声とも悲鳴ともつかない声を洩らした。

「だいじょうぶ?」

 司書か、あるいは生徒の誰かが、駆けつけて来るかもしれない。彼女の上体を支えたまま、私は身構えたが、いつまでも近づいてくる足音はなかった。間もなく佳苗は意識を取り戻し、「ごめんなさい」と繰り返しながら、机の上でひとしきり噎せた。

「選べるのかしら、京子さん、私にも。美しい死が」

 涙に濡れた瞳で私を見上げ、掠れた声で言った。その声のトーンは、けれど不安よりも、はるかに憧れの側へ大きく揺れていた。

「選べるわ。人間にだけはね」

 そう口にしたとたん、自身、驚愕したほどの嫌悪感に見舞われた。佳苗を口車に乗せ、操ろうとしていることへの嫌悪感ではない。何気なく用いた「人間」という一言が、まるで激越な免疫反応のように、私の全身をおぞましい苦痛で満たした。

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