マグノリアの絆 第十三回
◇
これは、勅使河原美架が雨宮京子から聞いた話である。
◇
あの音が何だったのか、今にして思えば、正確に言い当てることはできない。
うぉぉおおおおーーんん、
という、地の底から響いてくるような唸り声。おそらく誰もが、工場の音だと考えていただろう。実際に、その街では工場の煙突が林立し、人間の欲望が凝り固まったような漆黒の煙を、空へ吐き出していた。
常夜町。天岩戸が閉ざされた後に出現した、終末の世界。
その街では、太陽と月の区別がつかなかった。光化学スモッグに覆われた空は、晴れていても僅かに日輪の形が浮かぶ程度。逆に夜になると、煤煙の合間から刃色の月が、ぎらりと覗きこんだ。
無数の工場は、悪しき龍たちの化石だ。高度経済成長という魔王が産み落とした怪物たち。かれらはその巨体で市街地を喰い荒らし、火の粉を吐きだしながら石化した。
ネオンのひしめく場末では、ビルの隙間からグロテスクな巨体が眺められたし、薄汚れた物干し台の上にも、絡みあう奇形の大蛇のような、鉄パイプの塊が覆い被さった。
龍たちは、石化した後も人を喰うのだ。
腹に詰め込めるだけ詰め込むと、一日じゅう養分を吸い上げては、また吐き出した。満腹した怪物どもは、紫色のネオンを見下ろしながら、うっとりとほくそ笑むのだろう。朝になればまた、人々が足を引きずりながら戻ってくることを知っているから。
闇の中では絶え間なく、巨額の金が動いた。魔王の眷属である欲望たちが、人々に鉄の首輪をつけて翻弄していた。一握りの富める者がチップ熊手で金を掻き集め、大多数の貧者が、重い足どりで歩いた。
サイレンが鳴ると同時に、リビングデッドのような姿勢で、次々と工場から吐き出されてくる人々。かれらは一様に、ものに怯えたような暗い目をしているが、その奥には必ず欲望の底光りがみとめられた。
空き地に打ち捨てられた米軍のジープからは、すでにめぼしいものが外され、蟻に貪られた甲虫のような形骸だけを晒していた。子供たちは不発弾を蹴りながら登校した。接収された旧貴族の屋敷が、返還されたとたんに、阿片窟と化した。十四年式拳銃を買い漁る商人がいるかたわらで、地下室から這い出してきた若者たちは、闇に紛れて、工場の塀に赤いビラを貼り回った。
常夜町。欲望の溶鉱炉。
その街で私は、十四歳の春をむかえた。
丘を取り巻く一帯が、富める者たちのエリアだった。南方に灰色の海が見えた。ただ搾取するために、かれらはそこに君臨した。かれらは自分たちこそが、龍の飼い主だと信じていた。
私はこの街を憎んだ。この街のすべてが厭わしかった。何よりも、私が搾取する側の一員として、丘の上に棲んでいることが。
奇妙なことに、だからといって常夜町からの脱出を夢見たことは一度もない。外の世界には、この街とはかけ離れた美しい場所があることは、もちろん知っていた。青い海や白い砂浜。松林に縁取られた白亜の宮殿を、この足で歩いたこともある。けれどもなぜかその頃の私は、この街で「終わる」のだという概念にとり憑かれていたようだ。
十四歳になったとき、いよいよ終末が近づいたことを感じた。次の誕生日をむかえるつもりは、まったくなかった。私は十四歳で死ぬつもりだったのだ。
ただし、独りで死にたくはない。
自殺の「道連れ」をなぜ欲していたのか、自身の心理を説明するのは難しい。単に寂しいからではなく、感傷的な友情もなかった。
道連れは「誰でもよかった」のであり、それでいて「私のよう」でなければいけなかった。
休み時間になると、私は聖書を読むふりをしながら、めぼしい相手を物色した。
ふわふわした笑い声。セーラー服はいかにも清潔な白いワンピースで、襟だけが紺色。近頃では、短めのスカートが流行り始めている。アメリカの財団が運営する自由な校風。聖女の名を冠した学校で、流行歌のように賛美歌を歌い、ファッション雑誌か何かのように、聖書のページをめくる。
クラスメイトの誰もが、私に親切だった。私と友達になりたがった。垢抜けた少女たちの中でも、私の美しさは際立っていたし、成績も好く、そして誰よりも裕福だったから。
常に愛想好く振る舞いながら、私は彼女たちとの感情の隘路に深入りすることを、徹底的に避けた。ひたすら友情という言葉を嫌悪した。聖書の一節ではないが、まるで家畜の群れではないか。品評会に出すために美しく着飾られ、芸を仕込まれた証拠の烙印をおされた挙げ句、生活とかいう、欲望を消耗するための闘技場へ売られてゆく。




