表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
43/81

マグノリアの絆 第十三回

  ◇

 これは、勅使河原美架が雨宮京子から聞いた話である。

  ◇

 あの音が何だったのか、今にして思えば、正確に言い当てることはできない。

 うぉぉおおおおーーんん、

 という、地の底から響いてくるような唸り声。おそらく誰もが、工場の音だと考えていただろう。実際に、その街では工場の煙突が林立し、人間の欲望が凝り固まったような漆黒の煙を、空へ吐き出していた。

 常夜町。天岩戸が閉ざされた後に出現した、終末の世界。

 その街では、太陽と月の区別がつかなかった。光化学スモッグに覆われた空は、晴れていても僅かに日輪の形が浮かぶ程度。逆に夜になると、煤煙の合間からやいば色の月が、ぎらりと覗きこんだ。

 無数の工場は、悪しき龍たちの化石だ。高度経済成長という魔王が産み落とした怪物たち。かれらはその巨体で市街地を喰い荒らし、火の粉を吐きだしながら石化した。

 ネオンのひしめく場末では、ビルの隙間からグロテスクな巨体が眺められたし、薄汚れた物干し台の上にも、絡みあう奇形の大蛇のような、鉄パイプの塊が覆い被さった。

 龍たちは、石化した後も人を喰うのだ。

 腹に詰め込めるだけ詰め込むと、一日じゅう養分を吸い上げては、また吐き出した。満腹した怪物どもは、紫色のネオンを見下ろしながら、うっとりとほくそ笑むのだろう。朝になればまた、人々が足を引きずりながら戻ってくることを知っているから。

 闇の中では絶え間なく、巨額の金が動いた。魔王の眷属である欲望たちが、人々に鉄の首輪をつけて翻弄していた。一握りの富める者がチップ熊手で金を掻き集め、大多数の貧者が、重い足どりで歩いた。

 サイレンが鳴ると同時に、リビングデッドのような姿勢で、次々と工場から吐き出されてくる人々。かれらは一様に、ものに怯えたような暗い目をしているが、その奥には必ず欲望の底光りがみとめられた。

 空き地に打ち捨てられた米軍のジープからは、すでにめぼしいものが外され、蟻に貪られた甲虫のような形骸だけを晒していた。子供たちは不発弾を蹴りながら登校した。接収された旧貴族の屋敷が、返還されたとたんに、阿片窟と化した。十四年式拳銃を買い漁る商人がいるかたわらで、地下室から這い出してきた若者たちは、闇に紛れて、工場の塀に赤いビラを貼り回った。

 常夜町。欲望の溶鉱炉。

 その街で私は、十四歳の春をむかえた。

 丘を取り巻く一帯が、富める者たちのエリアだった。南方に灰色の海が見えた。ただ搾取するために、かれらはそこに君臨した。かれらは自分たちこそが、龍の飼い主だと信じていた。

 私はこの街を憎んだ。この街のすべてがいとわしかった。何よりも、私が搾取する側の一員として、丘の上に棲んでいることが。

 奇妙なことに、だからといって常夜町からの脱出を夢見たことは一度もない。外の世界には、この街とはかけ離れた美しい場所があることは、もちろん知っていた。青い海や白い砂浜。松林に縁取られた白亜の宮殿を、この足で歩いたこともある。けれどもなぜかその頃の私は、この街で「終わる」のだという概念にとり憑かれていたようだ。

 十四歳になったとき、いよいよ終末が近づいたことを感じた。次の誕生日をむかえるつもりは、まったくなかった。私は十四歳で死ぬつもりだったのだ。

 ただし、独りで死にたくはない。

 自殺の「道連れ」をなぜ欲していたのか、自身の心理を説明するのは難しい。単に寂しいからではなく、感傷的な友情もなかった。

 道連れは「誰でもよかった」のであり、それでいて「私のよう」でなければいけなかった。

 休み時間になると、私は聖書を読むふりをしながら、めぼしい相手を物色した。

 ふわふわした笑い声。セーラー服はいかにも清潔な白いワンピースで、襟だけが紺色。近頃では、短めのスカートが流行り始めている。アメリカの財団が運営する自由な校風。聖女の名を冠した学校で、流行歌のように賛美歌を歌い、ファッション雑誌か何かのように、聖書のページをめくる。

 クラスメイトの誰もが、私に親切だった。私と友達になりたがった。垢抜けた少女たちの中でも、私の美しさは際立っていたし、成績も好く、そして誰よりも裕福だったから。

 常に愛想好く振る舞いながら、私は彼女たちとの感情の隘路に深入りすることを、徹底的に避けた。ひたすら友情という言葉を嫌悪した。聖書の一節ではないが、まるで家畜の群れではないか。品評会に出すために美しく着飾られ、芸を仕込まれた証拠の烙印をおされた挙げ句、生活とかいう、欲望を消耗するための闘技場へ売られてゆく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ