表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
42/81

マグノリアの絆 第十二回

「ここに登場する家政婦には、二つの特異な才能があると書かれているわ。ひとつは、奇妙な事件に巻き込まれる才能で、もう一つは、その謎を解く能力なんだって。彼女の名は、鹿苑寺公香」

 眼鏡の上から、ガラスのように澄んだ目が美架を覗きこんだ。隣で雨宮が軽く腕を組んだ。以下、二人は一つの意志を持つかのように、交互に言葉を発した。

「ろくおんじきみか、と、てしがわらみか」

「名前のリズムもそっくりよね」

「ただ鹿苑寺さんは、あなたよりずいぶん性格も派手だし、行動や台詞まわしも芝居がかっているわ」

「ところが、根本的な特徴は、驚くほどよく似ているの」

「独特な目つき。完璧な無表情。顔色があまりお宜しくないところ……ほ、ほ、ほ、失礼なことばかり言ってごめんなさいね」

「そうしてこの小説の中で、家政婦探偵の頭脳が謎にせまるときの癖について、たびたび描かれている」

「それが、さっきのあなたの仕草なの」

 二人は完全に一致した動作で人さし指を立てると、左から右へ下唇をなぞった。次にその指を、演技的に美架へ向けて、雨宮が言う。

「家政婦探偵・鹿苑寺公香のモデルは勅使河原さん、あなたね」

 探偵呼ばわりされることを、何よりも嫌う美架である。内心穏やかではなかっただろうが、「完璧な」ポーカーフェイスを保ったまま。

「偶然の一致とは、考えられませんか」

「いいえ、可能性は一つに絞られたと言えるわね。なぜなら……」

 作中の「公香」の決め台詞を引用しながら、雨宮は急に真顔になった。

「あなたはすでに、奇妙な事件に巻き込まれているから」

「えっ」

 驚きの声を発したのは、けれども森田佳苗だった。これまで共有されていた意志が、いきなり分断されたような感触を、美架は覚えた。目を見張る森田と、挑発的な雨宮の微笑とが、沈黙の中で劇的なコントラストを描いた。

「この人に、話すつもりなの?」

 ようやく森田が乾いた声を発した。そこには年齢相応の老いが、色濃く滲んでいた。逆に、自身のお下げ髪をまさぐり始めた雨宮は、ますます少女人形じみて見えた。

「幕を下ろさなければならないと、ずっと考えてきたわ。あの残酷劇の幕を。何十年間もの、気の遠くなるような時間の中で」

「時計の針を止めたのは、あなたではなくて?」

「地下に埋もれた舞台装置と一緒にね。そこで壊されたのは、自動人形が二つと、本物のお人形が一つ。後に残った二つの自動人形は、すっかり錆びついてしまった」

「あなたらしくない言い草だわ、ドゥーチェ」

 聴き慣れない単語が、美架の耳朶を打った。森田を見れば、明らかに失言を自覚した表情で、口に手をあてていた。何事もなかったようにカップを持ち上げ、雨宮は美架に目を向けた。

「『瓶詰の孔雀』というお話を、最も興味深く読んだわ。舞台設定は変えてあるけど、あれは近頃、実際に起きた事件なのでしょう? 鹿苑寺公香が……いいえ、あなたが密室殺人の謎を解いたように、教えてほしいの」

「京子さん」言いかけた森田を手で制して、雨宮は言葉を継いだ。

「私たち二人のうち、どちらが殺人を犯したのか」

 うぉぉおおおーーーんん、

 地鳴りに似た音。異界からわき起こった叫び声のような響きが、いきなり部屋に充満した。それがついに雪になりきれなかった雨音と気づくまで、美架の背を何度も戦慄が貫いた。カップを宙に支えたまま、雨宮は天井を見上げた。天窓で弾ける水滴に目を向けたまま、誰に言うともなしにつぶやいた。

「リフォームして『茶室』を作ったら、こんな音がするようになったの。何だかあの街の亡霊が追いかけてきたみたい。そう、昼も夜も、あの街ではずっとこんな音が鳴っていたわ。排気ガスと工場の煙で、空は黒く塗り潰されていた。まるで私たちは、常に夜の中に棲んでいるみたいだった。だから仮にあの街のことを、常夜町と名づけましょうか」

「常夜町」なかば無意識に、美架は反芻した。

「そうよ、天岩戸が閉ざされた後のような、魑魅魍魎が蠢く夜の世界。そこで私たちは夢を貪りながら生きていた。私たちは……」

 カップを静かに置くと、片方のお下げ髪に指をあて、雨宮京子はうっとりと目を閉じた。指輪が昏い光を放ったとき、美架は老婦人のものとは思えない、夢見るような声を聴いた。


 十四歳だったわ。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ