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マグノリアの絆 第九回

 いったい現実にどの花を「マグノリア」と呼ぶのか、その定義づけは難しい。日本においては、一般的にモクレンを指す。ところが、アメリカでマグノリアといえば、タイザンボクのことである。

 どちらも「マグノリア属」に分類され、三十種類以上が、ヒマラヤから東アジアに、かたや北アメリカの温帯から暖帯にかけて確認されている。

 要するに、日本に自生するだけでも、ホオノキ、タムシバ、コブシ、オオヤマレンゲ、シデコブシなど、多くの植物が「マグノリア属」なのであり、薔薇やユリのように、形態のよく似た花の総称として親しまれているわけではないらしい。

 だから、

(夢の中でしか咲かないの)

 老婦人はそう云い表したのか。

 ちなみに「マグノリア」は最も原始的な被子植物とみなされ、白亜紀から化石があらわれる。ジュラ紀の花粉が見つかったとも言われる。それら、マグノリアの花々は、地上をのし歩く巨大な龍たちの夢や記憶を吸いながら、ひっそりと咲いていたのだろうか。

「ごめんなさいね。私ったら、まだあなたに名乗っていなかったわね」

 白髪のお下げ髪を指で弄びながら、婦人は詫びたという。そうして雨宮京子という名で「少しばかり内職している」ことを告げた。素直な賞賛を籠めて、美架は尋ねた。

「では、その指輪もご自分で?」

 もはやそれが単に稚拙な作ではないことを、彼女は理解し始めていた。洗練されすぎたデザインには見出せない、プリミティブなパワーが、言い知れぬ呪力のように秘められているようだった。テーブルの上で指を組み、少し自嘲的な笑みを浮かべつ、雨宮は答えた。

「初めて作った指輪なの。お世辞にも、巧いとは言えないでしょう」

「決して……」美架は口籠もった。ありふれた賞賛を拒絶するような、くらい輝きに気圧されて。悪戯っぽく、老婦人は肩をすくめた。

「いいのよ。それでも私は、決してこの指輪を外すことはできない。世界に三つしか存在しない、あるいは存在しなかったこの指輪だから」

「世界に、三つしか?」

「誰にだってあるのじゃないかしら。永遠に失われない絆があると信じた時期が。ねえ、あなた、勅使河原さんといったかしら。あなたはこの子がどうして、こんなに昏い色をしていると思って?」

 この子、という言葉がみょうに冷たく耳を打った。

「銀の表面は、時を経ると黒変すると聞きました」

「そう、硫化するのね。通常、シルバーは水で錆びることはないけれど、例えば硫黄を含んだ温泉なんかは要注意。あるいは人の体に含まれる汗や脂、それから……」

 芝居がかった仕草、謎をかけるような言い回しは、この老婦人の特徴と知れた。やはりどこか歌うように、彼女は言葉を継いだ。

「血液なんか」

「えっ」弾かれたように、美架は目を見開いたという。

「そうよ、この子が昏い光を放つのは、多くの血を吸ったから。それは絆が断ち切られたときに迸り出た、とても多くの血なの」

 次におとずれた沈黙が、得体の知れない生き物のように、この洞窟めいた「茶室」の中に横たわっていた。老婦人と会って最初に抱いた幻想が、生々しく蘇るのを感じた。いかにも身寄りのない家政婦の血を、彼女は欲するのだろうか。

 不意に彼女が腰を浮かせたとき、この感情とは無縁そうに見える家政婦すら、身の縮む思いがしたという。けれども雨宮は、尖った糸切り歯を剥き出しにするでもなく、奇術師のように左手を翻し、美架の眼前にかざした。指先には、新たな銀の指輪がひとつ、そっと摘ままれていた。

 フォンテーヌブロー派の妖しげな絵のように。

「嵌めてみて。新作なんだけど、きっとサイズもぴったりよ」

 洗練された曲線。薄く彫りこまれた草花は、人の手から成るとは信じ難いほど、繊細を極めていた。

「とても私のような者には」滑稽なほど古風な文句が口をついたほど、内心動揺していたらしい。

「だいじょうぶ、抜けなくなる魔法はかけていないから。重い荷物を持ってくださった、せめてもの感謝のしるし」

 血液なんか。

 右手の薬指をひやりと締めつける銀の輪が通されたとき、なぜか雨宮の一言が思い起こされた。いつのまにか背後に回りこんで、雨宮は美架の手をとると、ためつすがめつ眺めた。爪の先で掌をくすぐられる感触が、甘い戦慄と化して背筋を貫いた。

「思ったとおりだわ。あなたは私と同じ……ね、今日は火曜日だったかしら。次の火曜日のこの時間も、ここへ来てくださらない? お名刺頂いておくわ。派遣所には私のほうから、かけあっておきますから、ね、次はあなたが、お茶を煎れてくれなくてはいけなくてよ」

 こうして勅使河原美架は、「マグノリアの指輪」をめぐる迷路へと、否応なしに引き込まれていったのだ。

田村道夫・著「生きている古代植物」を参考にしました。

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