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マグノリアの絆 第四回

 貴婦人という言葉が、まず頭に浮かんだ。

 もし髪が真っ白でなければ、四十そこそこに見えただろう。非常に整った顔立ちに、硬質な笑みがかすかに浮かんでいる、険しさはまったく感じないし、むしろ幼さの残る、愛くるしさを宿している。

 が、どういうわけか、何かをかたくなに拒絶しているといった印象がぬぐえない。

 あたかも、彼女が作りだした少女人形のように。

「貴婦人……ですか」

 私が口にした印象を、ぼそりと反芻したあと、美架は言葉を継いだ。

「おそらく酒井さんの頭には、『マルテの手記』にも書かれている、有名な赤いタペストリーが浮かんだのではありませんか」

「よくわかったね、ホームズ」私は目をしばたたかせた。

「単純な引き算に過ぎませんわ、ワトソン。あの六枚の『貴婦人と一角獣』シリーズでしたら、近頃まで上野の美術館にかかっていましたし。酒井さんは複製のポストカードを額装して、本棚に飾っていらっしゃいます。よほどお気に召したのでは?」

「ああ、おれの頭が単純なだけか」

「そうとも限りません。あそこに織りこまれている貴婦人は、中世における理想の女性像でしょう。ベリー公の時祷書の王妃にせよ、フラ・アンジェリコの聖母にせよ、ブリューゲルの農婦にせよ、いわば似たり寄ったりの造形です。雨宮先生に直接お目にかかったときの印象が、まさにそれでしたもの」

――島にはいつも一人の人間がいる。さまざまな衣装をつけた女性だが、いつも同じ人だ。

 リルケは「手記」の中で「貴婦人」をそう描写している。美架の言うとおり、絵画などにあらわれる中世的な女性像は、きわめて似通っている。広い額、半ば閉じられた目、薄い唇。髪質は細く、まるで糸でできているようだ。ちょうど林檎の実くらいの、小ぶりな乳房。ぷっくりと膨らんだお腹に、短い手足……むろん、顔写真だけから、雨宮京子の全身像など想像もつかないが、美架の指摘が当を得ているのもたしか。

 と、ここまで考えて、あらためて家政婦の顔を凝視した。

「なにか?」

「いや、べつに何も」

 リルケだのベリー公だのと、出会った頃の彼女は、たしかにそんなペダンティックな話し方はしなかった。やはり彼女の「分身ろくおんじ」が、乗り移りつつあるのではないか。少なくとも、私の小説を美架が密かに読み込んでいるのは間違いないが。言うとまた睨まれそうなので、口をつぐんだ次第。

「ここには生年が書いてないけど、実際、幾つくらいなんだろう」

「おそらく現在、七十前後」

「じゃあ、この時点で六十くらいか。そうは、見えないなあ。まるで……」

――島にはいつも一人の人間がいる。

 詩人の言葉が、まるで首筋に冷たい刃をあてられたように、思い起こされた。流れてゆく時間から孤絶した島。決して枯れない草花に囲まれて、貴婦人は幻獣たちと棲まう……

 無意識に流しこんだ紅茶は、すでに冷めていた。ティーポットを手に席を立とうとした美架を制して、私は尋ねた。

「彼女はどこに住んでいるの?」

 もう一度腰をおろして、彼女は真顔のまま、意味ありげな目配せ。

「お客さまのプライバシーに関することは、お答えできません」

「そうきたか」

「じつは、雨宮先生の住所はまったく非公開なのです。作品も代理人を通して扱われますし、そもそも彼女自身、デザイナーだとか芸術家という意識はお持ちでないようです。もちろん、取材などは一切受けられませんし、この本に写真が載っていたこと自体、奇蹟に等しいでしょう」

「では、都内の某所ということにして。ほかに職業があるとか? 結婚しているようには見えないからなあ」

 写真集のプロフィールには、過去の個展や受賞歴が載っているばかりである。

「お察しのとおり、独身でいらっしゃいます。実家が相当な資産家のようで……」

「身を粉にして働く必要もなし、か。間違いなく美人だし、そのうえ資産家の令嬢とくれば、うら若き頃は月世界のお姫さまみたいに、言い寄る男も星の数ほどあったんじゃないか」

「そこまでは存じませんが」

 言外に匂わせるような口調が、私の注意を引いた。彼女が現在独身だという結果には、きっと「裏」がある。そう確信させる何かが。

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