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マグノリアの絆 第三回

 次にぷいと席を立ったのは、けれど、紅茶を注ぎなおすためらしい。べつに少女趣味な服装をしているわけではないのに、なぜかいつもその仕草は、童話じみた印象を与えた。

 ティーポットの隣には、ガラスの花瓶に「青い薔薇」が何本か、生けられていた。ノヴァーリスの時代には考えられなかった、比較的最近あらわれた品種であり、開発したのは日本のビール会社なのだとか。彼女は来るたびに、何らかの花を持参するのが常だった。

「花代は請求しなくていいの?」

 いつかそう尋ねたことがあるが、

「切り花の余りをいただける所があります」

 案外、様々な裏のネットワークに精通しているか。あるいは、その花屋でも何らかの事件を解決してみせたのかもしれない。

 彼女が腰を下ろすのを待って、私は続きを促した。作家のカンを通り越して、何やら鬼気せまるものが、指輪の裏側から発せられているようで。私はのっけから、メビウスの輪を想わせる、妖しい銀色の曲線に憑かれてしまったと覚しい。

「雨宮京子をご存じですか」

 さりげなく、彼女が口にした名が、不意に私の中で、得体の知れない戦慄を呼び覚ました。けれども確固たる心当たりはなく、どこかで聞いたような。それでいて、別の名と勘違いしている気もする。しばし宙を睨んだあと、

「さあ」呼吸することを、ようやく思い出したようにつぶやいた。

「それがこのたびの、私の雇い主です」

「つまりその指輪を贈った?」

「はい。そして作者でもあります」

「雨宮……ねえ。やっぱり思い出せないなあ、ファッション関係には、とんと疎いから」

 それこそ、ファッションショーの一場面が流れるたび、すべてカボチャに見えてしまうほどに。指輪を眺めつつ、美架は言う。

「雨宮先生の作品が世に出まわることなんて、めったにありませんから。当然かもしれません」

「つまりおれみたく、血眼になって作品を売り飛ばさなくても、充分暮らしてゆけると」

「ひがまないでください、酒井先生。彼女はアクセサリーのみならず、洋服のデザインからプリントの図案まで手がけます。また一部では、人形作家としても知られているようです」

「ああ、それで聞き覚えたあったのか」

 あたふたと席を立ち、私は書斎とは名ばかりの寝室を兼ねた一間に駆けこむと、本棚を掻き回した。お茶のテーブルに戻ったときには、一冊の写真集を手にしていた。横長のソフトカバーで、三十ページにも満たない、書籍というよりパンフレット的なもの。去年だったか、ふらりと立ち寄った神田の古書市に出ていたのだ。

「珍しい本をお持ちですね」

 三白眼を輝かせ、さっそく美架が手にとった。十年ほど前のグループ展の折に販売されたものらしく、三人の女性作家による少女人形やオブジェが掲載されていた。ゴシック調の花文字で、「狂ったお茶会」と題されているから、内容は推して知るべし、であろう。

「お好きだったのですか、こういうものが」意外そうな響きが、彼女の声に籠もる。

「まあ学生の頃、澁澤龍彦の著作を、狂ったように読み漁っていた時期があってね。かれの本に、『少女コレクション序説』というのがあるだろう。なんとも心を落ち着かなくさせるタイトルな上に、表紙には四谷シモンの人形がアップで写ってるじゃないか。あれに胸を射貫かれたくちさ」

 私の言い訳を上の空で聞きながら、彼女は夢中でページをめくっている。他の二人の作家に比べて、雨宮京子の作品の量は圧倒的に少ない。にもかかわらず、美架が覚えず手をぴたりと止めたほど、そのインパクトは際立っていた。

 とくに奇をてらっているわけではない。例えば「眠りねずみ」と題されているのは、ただ赤い布が張られた籐椅子で、少女人形が眠っているだけだ。

 ゆったりと編まれた銀髪のお下げ。両目がもし開かれれば、きっと愛らしい、つぶらな瞳があらわれるだろう。青いワンピースの裾から覗く、きちんと揃えられた赤い靴。その先には、銀色のティーポットの精巧なミニチュアが転がっている。対照的に、ざっくりとデザインされた布製の兎が膝に抱かれ、その背を撫でているうちに眠り込んだかのように、右手が軽く添えられている。左手はだらりと、椅子の横に垂れたままだ。

 眠りねずみなど、どこにも見当たらない。けれどもその不在こそが、恐ろしげな兎の目つきと相まって、言い知れぬ恐怖を醸していた……私を異界から呼び戻したのは、美架の溜息だった。

「よくこんな稀覯本を見つけましたね。どんなに安く見積もっても、定価の十倍はつきますよ」

「二千円もしなかったと思うけど。たしか巻末に、作者のプロフィールが載っていたっけ」

 さらにページをめくり、モノクロの小さな写真を指差して、美架はつぶやいた。

「間違いありません。このかたが、私の新しい雇い主です」

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