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マグノリアの絆 第二回

「どこで買ったの? けっこう値が張ったんじゃないか」

 月並みな質問は、背中に纏いつく戦慄を追い払うための呪文でもあった。新宿駅南口辺りのアクセサリー店を、地味な服装をしたボブヘアの女が、おずおずと覗きこんでいる姿を想像するのは愉快だ。

 以外に美しい指の形。家事を専門としているわりに、少しも荒れていない手の甲。それがひらりと裏返され、例のポーカーフェイスのまま、自身の指輪を見つめる構図となる。

「一般的には、六十万から百万くらいで取引されれているそうです」

「えっ、そんなに高価たかいの?」

 緻密なデザインとはいえ、エメラルドやダイヤが、嵌めこまれているわけではない。いくら吹っかける店でも、相場は数万円に留まるのではないか。ただし、有名なデザイナーの一点ものだとか、イワクつきのアンティークとなれば、付加価値は一気に跳ね上がるだろうけれど。

 自身を見つめる、私の複雑な表情に気づいたのか。美架はソーサーごと持ち上げたカップを、宙でとめた。

「何を想像していらっしゃるのですか」

 問われるまでもない。深夜の屋敷町にのぼった細い月。ぴっちりと身に張りつくような黒ずくめで、背の高い煉瓦塀の横を駆け抜ける、ボブヘアの怪盗のイメージである。

 実際に、初夏の頃彼女から聞いた、奇怪な下宿にまつわる冒険譚では、これと似た場面が生じた。さらにその次に起きた一件において、短刀どすならぬマイナスドライバーを振り回し、名うての盗賊とワタりあう彼女をこの目で見た。「やるときはやる」女であることは、重々承知している。

「いや、べつに……」お茶を濁す代わりに、紅茶をすすった。

「だいたい予想できますが。酒井先生がお考えになっている方法を用いてまで、指輪を欲しがるほどの執着心が、私にあるとお思いですか」

 先生と呼ばないでくれと言ってあるので、厭がらせに違いない。ちなみに彼女は「私」を「わたくし」と発音する。

「ない、だろうね」

「でしたら、可能性はおのずからひとつに絞られてくるではありませんか」

「もう少し、ヒントがほしいね」

「私は指輪の正確な値段を知らない。盗んでまで所有する意志はない。むしろ、可能な限り身につけたくないと考えている。ここから引き出せる解答は?」

 私はわざと、下唇に指をあて、左から右へなぞった。自身の癖を真似されて、彼女がほんの一瞬、眉根を寄せるのが判った。

「指輪は他人からプレゼントされたものであり、きみは日頃の信条を曲げてまで、これを身につけるほどの義理を、その人に負っている」

「ご明察」

「贈り主が誰なのか、おおいに気になるところだね」

 勅使河原美架といえども、木や石でできているわけではない、一応は妙齢の女性である。若い男の一人や二人が、薔薇の花を片手にすり寄ってきても不思議ではないし、そのうち一人の前では、無表情な仮面を嬉々として外すのかもしれない。

 いや、とても思い描けないが。私の暴走ぎみの空想は、またしても読まれていたらしい。

「とりあえず、否定させていただきますわ。仮にそういう男性がいたとしても、先生の前でこれ見よがしにひけらかすほど、私が浮かれるとお思いですか」

「判らないさ。きみに限らず、男にとって女は永遠の謎なんだから」

 そして真夏に起きた密室殺人。トリックを実証するために、スリップだけを身に纏った美架の肢体が、不意に思い起こされた。剥き出しの肌は、まるで蛹の殻を破った蝶の翅のように、妖艶に映った……

 私は慌てて目を逸らした。が、時すでに遅く、妄想をほぼ完全にスキャンされた証拠に、美架の口から呆れ果てたような溜息がもれた。

「それに比べて、男性は判り易いですこと。けれども、かえってその単純さが、物事を複雑にしてしまうようです」

「返す言葉もない」

「ビジネスの問題に過ぎませんわ。私の場合、雇い主から贈られた指輪を、しぶしぶながら身につけるよう努力している。これ以上シンプルな解答がございますか、先生」

 二の句が継げぬまま、どうやら翻弄されているらしいことに気づいた。無表情な仮面の裏で、くすくす笑われている気がしてならない。悔しまぎれに私は言う。

「しかし、きみは最近ちょっとずつ、誰かに似てくるようだよ」

「はい?」珍しく戸惑いを宿した三白眼が、私を凝視する。

「鹿苑寺公香さ。可能性はひとつに絞られた。これはおれが創作した公香の決め台詞であって、以前のきみは、口にしなかったものだ」

 今度こそ、彼女はあからさまに、眉根を寄せた。

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