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ノウゼンカズラの家 第二十八回(解答篇ノ三)

 公香はまた、時嶋サエに目を向けた。

「あなたの家の前にあらわれる以前、コズエは毎朝、二人が顔を合せていた分署の前で待っていた。これも想像に過ぎませんが、私にはそう思えてなりません」

「夏休みに入ってからも?」

「ええ。ですが当然あなたは来ない。あなたの家の目印だという、蜘蛛の巣の下にあらわれたのも、さんざん迷った挙句、ではないでしょうか。言うまでもなく、あなたとの関係が壊れるのが恐ろしかったから。門の前に立っているのが精一杯で、やはり日常空間に属する家の敷地内へは入れなかった」

 無謀なまでに大胆な心理への切り込みは、これも私がデフォルメした「公香」独自の性格だ。美架ならば、一介の家政婦を自称しつつ、「人情の機微」に触れる発言を遠慮したがる。とはいえ、謎を語るうち、しだいにある種のトランス状態に陥って、まるで自身が感じたように、他人の心の奥を見透かしてしまうのだが。

 公香という仮面劇を演じることによって、彼女はより早く巫女的な状態へ移行するのだろうか。

 彼女が少女の迷いを語れば、九州の夏空の下、小さなコズエの姿が異様な鮮明さで、心に浮かぶようだった。サエがコズエを日常の領域の外から来る“野生のもの”と考えていたように、コズエもまた彼女にとって奇跡と思われた、サエとの「友情」が崩壊することを恐れた。

 二人の少女の想いはリンクしていた。一枚の鏡面を透して立っているように、決して触れ合うことができないまま、見つめあっていた。

 もし手を伸ばせば、冷たい鏡面に触れるばかりだろう。公香は続けた。

「ここからが核心部分となるのですが、もはや多くの語るべき言葉を持ちません。これまで申しました、あなたとコズエとの邂逅の中に、すでに語り尽くされたと言えますから……蜘蛛の巣の下にあらわれたコズエは、“もう一つの”公園へあなたをいざなった。そこへ行くためには、コズエだけが知っている迷路の中を歩くように、彼女から常に手を引かれなければならなかった」

 どこか上の空で、サエがうなずく。

「公園は雑木林に面しており、その中に奇妙な家があるという。雨が降り続いて、彼女が姿をあらわさなかった数日後、ついに二人はその家を訪れる。家にはノウゼンカズラの塔があり、窓からは一人の“異人”の姿が覗いた。コズエが“博士”と呼んでいた、その男が誰なのか、あなたは知りたいのですね」

「はい」

 時嶋サエの声は、覚悟を決めたように響いた。

(コノコ、ハ、ツレテ、ユケナイ)

 ここで公香の目もとに哀しげな陰がよぎるのは、勅使河原美架の場合と同様だ。いよいよ謎を暴かなければいけないとき、声もおのずと苦痛の色合いを帯びる。

「塔へ続くと思われる階段へ、男はコズエだけを導いた。かれはあなたの父親に似ていた。暗がりで、しかも帽子でなかば顔が隠れていたにもかかわらず。そう感じた理由は、言うまでもないでしょう」

「と、申しますと?」

「コズエは美しかったと、あなたは繰り返し語りましたね。ええ、彼女は美しく『なければならなかった』。あなたの父親が異界へと連れ去って行く、あなたではない女の子は、妖精のように美しい、コズエでなければならなかったから」

 憑かれた者の口調で、公香がそう言うと、サエは弾かれたように、目を見張った。

「では、男は実在しなかったと仰言るのですか? すべて、私が作り上げた幻影だと?」

「そうではありません」

 公香の声には冷静な、けれどみょうに人を落ち着かせる響きが含まれていた。

「かなり高い確率で、男はある種の造形作家だったと私は考えます。森の中の奇妙な家は、芸術家の住居であり作品であり、アトリエでもあった。絵画か彫刻かはわかりませんが、塔の上でコズエはモデルをつとめていた。そう考えると、男の不可解な言動も辻褄が合ってきませんか」

(コノコ、ハ、ツレテ、ユケナイ)

 塔の上で作品を制作していたのなら、友達を招じ入れても足手纏いになるだけだ。絶句しているサエから目を逸らして、公香は語を継いだ。

「もともと体の不調を訴えていたあなたは、そのときのショックがもとで、高熱を出して寝込んでしまった。そうして、新学期が始まる頃、ようやく熱が引いて登校したあなたを待っていたのは、コズエが“消滅”しているという事実でした」

「はい。なぜ彼女は、消えてしまったのでしょう」

 放心したように、サエはつぶやく。学校に、コズエという名の少女はもとから存在しなかった。けれども公香は、たしかにコズエは実在したという。あのとき、ノウゼンカズラの塔に呑み込まれたのでなければ、いったいどこへ……

 混乱に駆られて、吹き抜けの回廊から、ホールの床の幾何学模様を見下ろした。私の耳に、苦悩を絞り出すような、勅使河原美架の声が響いた。

「そこが九州ではなかったからです」

 眩暈を覚えた。

 沈黙のあと、動揺を隠せない様子でサエが詰め寄った。

「どういうことですか」

「まだ熱の影響下にあったあなたは、そこが北九州の京都郡苅田町だと思い込んでいたのです。すでに母親と引っ越しが完了しており、関東の、おそらく東京と埼玉の県境あたりに、いたにもかかわらず」

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