ノウゼンカズラの家 第二十六回(解答篇ノ一)
面喰らった、という言葉どおりの表情で、サエは目をしばたたかせた。
公香は挑発的な眼差しを向けたまま、気のせいか、その唇はうっすらと嗜虐的な笑みを、浮かべているようにも見えた。美架がここまで「芝居」が巧みなことに、私は驚きを禁じ得なかった。
彼女の頭上には、礼拝堂を想わせるドーム型の円天井が、幾つもの曲線を描いていた。純白の漆喰に嵌めこまれたステンドグラスから、柔らかな陽光がこぼれていた。
蒼古たる西洋館を背景に謎解きを開始する、いにしえの探偵の姿が重ねられた。
沈黙に耐えかねたように、サエは溜め息をもらした。
「わからないのです。潜在意識には、太古からの記憶が蓄積されていると申します。それこそ頸長竜の姿で、昏い海の中を遊泳していた頃の記憶が、現在の私に影響を与えている場合もあるのかもしれません」
「興味深いですね」公香は軽く髪を掻き上げた。
「コズエとの思い出は、ですから底なしの井戸のような意識の深淵の中で、太古の記憶と結びついてしまったような気がします。海の底を這い廻る巨大な甲殻類ですとか、羊歯類のジャングルが放つ、むせ返るような水蒸気ですとか」
彼女に時嶋サエの著作の感想を求められたことを、私は思い出していた。不思議を解読し、分析しようとすればするほど、いっそう昏い迷路へと分け入ってしまう。この会話にも、そんな彼女の傾向が如実にあらわれているし、もしかすると美架、いや公香は、潜在意識という言葉をわざと持ち出して、確かめたのかもしれない。
公香の三白眼に、好意の輝きが宿るのを見た。
不思議を愛する者として、それを迷路の底で生かしておくような、サエの考えかたに共感を覚えるのだろう。だから次に、哀しげに目を伏せた気持ちもわかる。たくさんの隘路や扉のない部屋、どこへも通じていない階段など、心の中の迷路を白日のもとに晒し、謎を解いてみせなければならない、自身の立場を哀しむのだ。
「ひとつだけ、確かめさせてください」
人さし指を立てて、公香は言う。あくまで自身の役廻りに、忠実であろうとするように。サエの声に、さすがに不安げなトーンが混じった。
「なんでしょう」
「あなたが例の家を二度めに訪れたとき、そこはまるで何十年も時が経過した後のように、変わり果てていた。そうですね?」
「はい」
「ノウゼンカズラの塔が消えており、塔へ至る奥の階段も、コンクリートで塗り込めたように跡形もなくなっていた。そうしてそこには、セルロイドの人形が一つ、ぶら下げられていた」
(さよなら、ごめんね)
無言でうなずいた、サエの肩が幽かに震えるのがわかった。
「あなたは家から飛び出した。雑木林の斜面を駆けおりる途中で、ふだんは見えない海が覗いた。そうして、季節外れの蝉の声を聴いた気がした……と、確かそう仰言っていましたね」
「そのとおりです」
「何の蝉だったか、覚えていらっしゃいますか」
ぎょっとしたように、彼女は目を見開いた。質問が意外だったのだろう。それは私も同様で、なぜ公香がそんな細かい、どうでもいいような細事にこだわるのか、理解に苦しんだ。これも芝居の一つかと考えたほどに。
サエが口を開くまでの沈黙は、長く感じられた。
「たしか、ミンミンゼミでしたわ」
「ありがとうございます。これで完全に、可能性は一つに絞られました」
博物館の回廊の手すりにもたれ、円天井を見上げた彼女の姿が、私には忘れられない。それは作中の「鹿苑寺公香」が、ありありと面前に出現した瞬間に違いなかった。
ステンドグラスを見つめたまま、彼女はゆっくりと、人さし指で下唇を、左から右へなぞった。
そのまま淋しげな唄を口ずさむように、つぶやいた。
「二つの家は、まったく別ものだったのです」
日曜日の博物館が、いきなりしんと、静まり返ったように感じられた。
「でも……!」
「だけど……!」
私とサエが同時に言い、同様に口ごもった。とくに彼女は混乱を隠しきれない様子で、胸を押さえた手を握りしめた。サエの声が沈黙を破るまで、また時間が必要だった。
「同じような公園や家が、小さな町の中に二つもあるなんて、どうしても考えられません。小学生の行動範囲は決して広くありませんし、そんな偶然が起こる可能性は、あまりにも低いのではないでしょうか」
霊異「研究家」を名乗るだけに、彼女の反論は当を得ている。たしかに“もうひとつの公園”や雑木林の中の奇妙な家が、狭い範囲でそういくつも見つかるだろうか?
それにこの解答では、コズエという少女が“消えて”しまった謎の答えに、なっていないではないか。
鹿苑寺公香は軽くうなずき、トレンチコートの襟をただした。
「私もそう思います。ですが、別々の空間。距離的にかけ離れた別々の町に、二つの公園や家があったのだとしたら?」
「えっ」また私たちは同時に声を上げる。
「たとえば、九州と関東ほどに離れた、違う町に、です」




