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ノウゼンカズラの家 第十五回

 木立はまばらになり、青空がきらきらと覗いていました。不思議な雨のように、花が静かに降っていました。薄い花びらが光を透かして、おのずから輝いているようです。

 煉瓦の道は、朽ち葉に見え隠れしながら、まだまっ直ぐ続いています。下生えは僅かで、所々に草花が群がり、咲き乱れるさまは花壇と異なりません。

 その「家」は、小道の先に建っていました。

 最初少し傾いた、大きな細長い茸のように見えました。

 倉庫か、小さな工場を想わせる建物に、火の見櫓くらいの塔が、くっついているのです。それらをほとんど覆い尽くす緑は、ノウゼンカズラなのでしょう。

 ですから、

 塔のてっぺんがふうわりと、茸のように膨らんでいるのは、無数の花が咲き乱れているせいなのです。

 オレンヂ色の花は、そこから撒き散らされます。一度に何十もの花が、はらはらと吐き出され、しばらくすると、また。

 塔のてっぺんには、花が無限に蓄えられているかのように。あとからあとから降る花は、塔が少し傾いているため、すべて斜面に沿って舞い降りてきます。あるものは直接、わたしたちの頭上に降り注ぎ、あるものは、ほかの木の梢に引っかかると、さらに風で遠くへ運ばれてゆきます。

 この空間全体が、まるで花を遠くまで飛ばすための、精巧な装置のようです。

 幾つもの細流は、建物の裏側から、放射線状に広がりながら、ゆるやかに降りてゆきます。これら、小さな運河たちもまた、花を運ぶ一役を担います。

 ただ水の音の中で、わたしたちは無言で立ちつくしていました。心なしか、蝉の鳴き声が聴こえていた記憶がなく、とても静かでした。

 花に覆われた塔の上に、一つの窓を見つけたのは、だいぶ経ってからでした。

 灯りがともっているのか、窓の中にはぼんやりと、オレンヂ色の光が宿っています。陽光が降り注ぐ風景の中にありながら、その窓の中にだけ、夜が続いているような気がしました。

 永遠に続く、夜の夢が。

 コズエもまた、同じ所を見つめているようでした。なぜなら、窓の中に一つの人影があらわれたとき、彼女がぴくりと身を震わせたからです。

 夜の灯影のようなオレンヂ色の灯りの中で、人影はぼうっと、黒く塗りつぶされています。それでも塔のてっぺんから、わたしたちをじっと見下ろしていることは、何となくわかりました。

 やがて人影は、片手をこちらへまっ直ぐ突き出しました。「おいでおいで」を、しているのです。

 わたしは覚えず小さな悲鳴を上げて、髪に舞い降りた花を振り払いました。大きな蜘蛛に、不意に纏いつかれた気がして……

 コズエはとくに驚いた様子もなく、静かな表情をわたしに向けていました。小動物のような、素直な瞳で見つめたまま、

「呼んでるみたいやね。わたしたちを」

 きゅっと、手を引かれるのが、わかりました。

 途中、小道の両側に、水溜まりが広がっていました。咲き乱れる睡蓮のように、花をいっぱいに浮かべて。澄んだ水の底に、敷き詰められている煉瓦が見えました。

 黒い、尾の長い両棲類が、沈んだ落ち葉の上をすーっと横ぎりました。

 建物の外壁は錆びたトタンを貼り合わせたもので、剥き出しの鉄骨で補強されていました。びっしりと絡みついたノウゼンカズラが、旺盛に葉を繁らせ、こんな低い所まで花をつけています。

 朽ちかけた建物を覆うこの植物が、本来の「家」ではないかと思われるほどに……

 この一階部分には、窓らしいものが見当たりません。以前はその役目を果たしていたらしい、四角い穴には、厚いベニヤが打ちつけられたまま、苔むしていました。

 玄関はすぐに見つかりました。

 廃屋と見紛うほど荒れ果てていても、そこはかとなく生活の痕跡が漂い、耳に聴こえない足音が、居座っているものです。

 庇から垂れ下がった花の房の奥に、タイル貼りのごく狭いポーチがあり、手作りとおぼしい木のドアがあります。ドアには擦りガラスが嵌め込まれています。真鍮の呼び鈴がぶら下がり、脇には錆びた箱型の郵便受けが、やや傾いています。

 郵便受けのラベルに、「D・A」というイニシャルが書かれていたのを、はっきりと記憶します。

 日本人のファーストネームでも、「D」で始まる頭文字は珍しくないでしょう。男性名に限られますが、ありふれた名が容易に幾つか浮かびます。それでもわたしは後になって、どうしても一人の異国人の名を当てはめずにはいられませんでした。

 ええ、先生もよくご存じの人物です。

 ダンテ・アリギエーリ。

 もちろん、幼かった当時、遠い異国の遠い時代にそんな人物がいたことすら、知る由もありません。ただ成長するに及んで、かれの詩の一片とそのイニシャルが、執拗に絡みついて離れなくなりました。

 そうです。その詩句とは、

“この門を潜る者は一切の希望を捨てよ”

 気がつくと、小ぶりなアゲハチョウが二匹、もつれ合うように、ポーチの前で花の蜜を吸っていました。わたしが眉を顰めたのは、薄暗い家の奥で、この蝶たちを食べるために、巨大なコガネグモが巣を広げている姿が、ありありと浮かんだからです。

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