ノウゼンカズラの家 第十四回
これからわたしが話すことは、ですからどこまでが夢で、どこまでが現実か、心許ないところがあります。白昼夢を見やすい体質であることは、これまでの話で、ご理解いただけているかと存じます。
ただ、決してすべて夢ではなかったことは、信じていただきたいのです。すべてこの身で体験したことであり、むしろ何もかもが現実だったと主張したい気持ちが強くあります。
夢とは明らかに異なる、生々しい記憶として、わたしの中に刻み込まれているからです。
(あの中に、家があるのを見つけたんよ)
コズエの誘いを、わたしは断ることができませんでした。
家とはどんなものなのか。どうやって、いつ「見つけた」のか。何者かが棲んでいるのか……
廻転木馬のように、頭の中で堂々巡りする疑問を、なぜか一つも口に出すことができません。繋がれた手の間には、ノウゼンカズラの花が押し潰されています。まるで魔力をもつ小動物のように、それが二つの手を強固に繋ぎ留めているようです。
ひとつだけわかっていたのは、その「家」が「人の」住む家とは根本的に性質を異にしていること。
わたしの家には決して入って来れなかった、彼女みたいな“野生のもの”が訪れる、異界にほかならないことでした。
これは少女だったわたしの、愚かな妄想でしょうか。今でも怪しげな肩書きを名詞に刷っている、頭のおかしな女の戯言でしょうか。たしかに、わたしが不思議に憑かれ、後に霊異研究家などと名乗ったきっかけも、この体験にほかなりません。わたしはいまだこのときの体験に、身も心も呪縛されているのです。
だからこそ、先生にお話ししたくなったのかもしれません。先生が存じていらっしゃる「鹿苑寺公香」さんに、謎を解いてもらいたくなったのかもしれません。わたしにかけられた呪いを解くために、そして、
記憶の中のコズエを、異界から連れ戻すために。
ごめんなさい、またわたしは、先走ってしまったようです。これまでも、ずいぶんと枝葉末節の多い話になりましたが、些細なところまで話しておいたほうが、よいとも感じましたので……不可思議な出来事との接触は突然で、幕切れは哀しいほど、あっけないものでした。
やがて水の音が聴こえてきました。
それまでは、わたしたちの息遣い、朽ち葉を踏む音、時おり頭上でざわめく、風の音のほかは聴こえなかったのです。また、前回雑木林に入ったときも、気づきませんでした。
連日の雨で、森の中の暗流から水が溢れたのかもしれません。おのずと、足もとに注意が引きつけられます。木漏れ日を浴びながら、きらきらと揺れている、幾つかの筋がたしかに見えます。
細い流れを、夥しいノウゼンカズラの花が運ばれてくるのです。
わたしたちは、流れをさかのぼるように歩を進めます。前方では、木立が緑の壁のように、いっそう密になって立ちふさがっています。木の間隠れに、夜のような闇が覗いているばかり。
細い流れは、緑の壁から幾筋も染み出してくるようです。梢から吐き出されるように、いつしかオレンヂ色の花が舞い降りてきます。まるで目に見えない天使たちが、裾に溜めた花を撒きちらすように。
わたしたちは立ち止まったまま、それらをぼんやりと眺めていました。
「帰ろう、これ以上は進めないよ」
「だいじょうぶ。だって」
「だって、なに?」
木漏れ日の中で、わたしはコズエの痛ましい笑顔を見ました。
「また、花が降ってくるやないね」
そう言ってコズエは、わたしの手をぎゅっと握りました。彼女の不可解な言葉と相俟って、それは魔術的な作用を、わたしにもたらしました。
以前雑木林に入ったときのような恐ろしさは、もはや感じません。恐怖が麻痺した時に残るもの、それが快感、なのでしょうか。じん、と心地好い疼きが体の奥に居座り、酩酊にも似た感覚に、神経が操られています。
ときめきすら、覚えていたかもしれません。彼女たち“野生のもの”しか通うことが許されない、異界の深部へ連れて行ってもらえるのだという、暗いときめき。
彼女はわたしの手を引きながら、緑の壁へ向かって進んで行きます。踏みつける落ち葉のすぐ近くを、細流が流れ、オレンヂ色の花の間に、わたしたちの姿を逆さに映します。コツンと、朽ち葉の下で、何か硬いものが靴底に触れました。
(煉瓦?)
周囲がひどく磨り減り、ぼろぼろと欠落していますが、なかば落ち葉に覆われながら、わたしたちの足もとには、煉瓦の小道が横たわっていました。
それはゆるやかに蛇行しながら、緑の壁の一点に吹い込まれてゆくようです。その部分だけ葉むらが薄いのか、ぼんやりと蒼白く光って見えます。
実際に目の前に立つと、薄いカーテンのように蔓草が垂れ下がっているばかり。ちょっと掻き分けるだけで潜り抜けられることは、すぐにわかりました。
「行くね?」
最後に確認するようなコズエの問いに、わたしは即座にうなずきました。おそらく、笑顔さえ浮かべて。
二人手を繋いで、蔓草のカーテンを潜ると、急に視界が開けました。




