93 将来は?
花火が終わり、俺たちは心地良い満足感で帰途についた。
夏の夜のゆったりした花火見物のあとは、騒ぐのがもったいないような気がした。駐車場までの道も、宗屋の家に向けて出発してからも、比較的穏やかな話題が続いた。
ところが。
宗屋はそれほどでもなかったらしい。
「なあ、姫っていくつぐらいで結婚したいとか考えてんの?」
半分振り返りながら、いきなり尋ねたのだ!
「え? 結婚、ですか?」
バックミラーに面食らった様子の蒼井さんが映る。思わず宗屋に目を向けると、ニヤリと人の悪い笑顔を見せた。面白がっているのだろうと腹立たしい反面、蒼井さんの答えが気になってしまう。
「だってもう給料もらって一人前だし、いつでも結婚できるだろう?」
「あははは、そうですけど、相手がいませんから。」
(はぁ〜〜〜〜……。)
分かっていたけれど、がっくり来る。
冗談で俺の名前を出しても良かったのに。何度も「許婚」って言ってるのになあ……。
「でも、何歳くらいまでには、とかさあ、考えたことないの?」
「うーん……。」
バックミラーに何度も目が行ってしまう。気付かれたくないと思うのに。
「わたし、結婚は無理じゃないかと思ってるんですよね。」
「え?!」
(前に理想の夫の話をしてたのに!)
あわてて口を閉じた俺の隣で宗屋が落ち着いて尋ねた。
「なんで?」
「まあ、希望者がいないんじゃないかと。」
(言うと思ったけどさ……。)
表向きの理由としてよく使われる言葉だと思う。けれど、宗屋はあくまでもこの問題を追及するつもりらしい。
「自分に魅力が無いとか、そういうのは置いといて、じゃあ、姫は結婚しないつもりなの?」
「べつに結婚しないって決めてるわけじゃないんですけど……、たぶん無理かなって。」
蒼井さんが少し真面目な顔をした。
「どうして?」
「あー……、うちの事情で。」
あ、…と気付いたときには、蒼井さんは話す覚悟を決めていたようだった。
「うち、お金が無いんです。結婚するときって、結婚式とか家を買うお金とか、親が出してくれるのが普通みたいじゃないですか? でも、うちはそういうことできないんです。わたしもお金貯められてないし……。」
言いにくいことを話させてしまったと思う俺とは裏腹に、蒼井さんはさらりとした口調で説明した。彼女は俺たちのことを心から信頼してくれているのだ。
「姫は豪華な結婚式を挙げたいわけ?」
「いいえ。わたしはどうでもいいですけど、親はそうは思わないかもって……。」
「だから金が必要? 自分は結婚式なんてどうでもいいのに?」
宗屋が呆れたように笑った。
「金のこと言うなら、公務員の嫁なんて、それこそ引く手あまただと思うぞ。」
「え、そうなんですか?」
「そりゃそうだよ。給料を持参金として考えてみろよ。姫は働き続けるつもりでいるんだろ?」
「はい。」
「ってことは、将来にわたって家庭に金を入れるんだぞ? 二、三百万どころの話じゃないよ。親の金なんか当てにする必要ないだろう?」
「それはそうですけど……。」
確かに宗屋の言うとおりだ。公務員は身分保障がしっかりしている。結婚や出産後も働ける環境が整っていて、実際に働いている先輩たちもたくさんいる。男女の格差も無い。それは家計を維持するためにとても有利な条件だ。
「少なくとも俺は親の金を当てにするつもりはないな。自分で働いた金で足りる範囲で済ませたい。」
「うーん……、そういうひとと結婚すればいいんですよね……。」
(いや、ちょっと待って!)
「俺だって、親の援助を当てになんかしてないよ。」
こんなことで対象者から除外されたくない!
「そうなんですか。」
「お給料をもらって働いてたら当然だよ。」
蒼井さんはしきりに感心していた。テレビで豪華な結婚式場が紹介されたり、親からの住宅資金の贈与税に特例制度があったりするので、実家からお金を出してもらうのが普通だと思っていたらしい。
「でも」と蒼井さんが再び反論した。まだ納得していないのだ。
「お金のことだけじゃなくて、うち、両親が離婚してるんです。それにわたし、学歴も無いし。すごく条件が悪いんですよ? 希望者がいるとは思えません。」
「何言ってんだよ? 姫は見合いでもするつもり?」
「いいえ! それこそ無理ですよ。」
「だったら、親のこととか学歴とか、それほど気にしなくていいじゃん。それに、姫は大学行ってるだろ?」
「そうかも知れないけど……。でも結婚って本人だけじゃなくて、家族にも関係があるんですよ? 本人が良くても、ご家族に反対されます。」
(そんなことを考えていたのか……。)
彼女に思いつめたような様子は無い。けれど、それが逆に切なかった。だって、彼女は過去のつらいできごとを一人で背負い、これからの幸せをすでにあきらめているように見えるから。
「親が反対した結婚は幸せになれないと思ってる?」
「たぶん……。」
宗屋の質問に蒼井さんは少ししょんぼりして答えた。やっぱり結婚したくないわけではないのだろう。
「そんなことないよ。それは間違ってる。」
宗屋がきっぱり言った。
「うちの親は反対された結婚だけど、俺たち幸せだぜ?」
ハッとして目を向けた俺と蒼井さんに、宗屋はさわやかな笑顔を向けた。
「うちの親、子連れの再婚同士なんだ。俺は父親の子で、弟は母親の子。」
無言の俺たちにかまわず、宗屋が続ける。
「夏休みや正月に祖父母の家に行くだろう? そういうとき、どっちにも片方しか行かないんだよ。両方とも、うちの親たちの結婚に反対だったらしいんだ。」
それを子どもの宗屋は知っていたんだ……。
「でも、俺たち家族四人、すっげー仲良いぜ? 家族になったのって俺が小学生になるときだけど、弟のことは普通に弟と思ってるし、母親ともたぶん、上手く行ってると思う。べつに親戚が反対してたって、俺はうちの家族が楽しく暮らしているから、そんなことどうでも良かった。親父たちだって、」
そこで宗屋は後ろを振り返った。
「じいちゃんたちの反対なんか何とも思ってないと思うな。少なくとも普段は忘れてるよ、たぶん。」
蒼井さんは何も言わない。
「だからさ、姫。」
宗屋が笑いながらちらりと俺に目くばせをした。
「結婚できないなんて考えるなよ。結婚ってさあ、自分が幸せならたぶん相手も幸せで、子どもも幸せになるんだと思うぞ? こんなに何人も幸せになれるのに、部外者が反対したからっていう理由であきらめるのは変だろう。」
(うん、そうだ。)
俺と蒼井さんが幸せになれるなら、誰に何を言われてもあきらめない。まあ、うちの家族は反対しないだろうけど。
「だいたいさあ、姫、彼氏作っても結婚しないってこと? 全員、遊び?」
「え? いや、違いますよ!」
蒼井さんが慌てた。
「そうじゃなくて、彼氏なんかできないし。」
「なんで分かるんだよ?」
「だって、希望者もいないからべつに……ん? あ、ああ!」
「どうした?」
「いました、今日。希望者。たぶん。」
(えーーーーーーっ!!)
思わず出そうになった声をグッと飲み込んだ。
「なになに、姫、心当たりあるの? 今日って、どこで?」
「ええと……、大学で……。」
「大学で?」
「はい。忘れてました。」
(忘れてたって……。)
「だって、花火が楽しみだったから。」
あっけらかんとしたものだ。その相手が少し気の毒になる。
「コクられたのか?」
「いえ、そうじゃないんですけど……、なんか、今度、映画に行かないかって……。これってそうですかね?」
「ああ、それはそうだな、たぶん。」
俺もそう思う。それにしても「そうですかね?」って……。
「うわ〜、初めて誘われました〜。」
(いや、初めてじゃないよ!)
本気で言ってるのか?
「プッ、初めて? マジで?」
「はい。」
(俺、けっこう誘ってるのに!)
そりゃあ、そういう雰囲気出さないようにしたけど! 酔った勢いだったりもしたけど!
宗屋はニヤニヤするし、蒼井さんはただただ感心している。そんな二人に、とてもとても複雑な思いだ。
「あるんですねぇ、こういうことが。」
「姫、モテ期来たんじゃないの?」
「え〜、わたしにですか〜? でも、たった一人ですよ?」
「前下さんがいたじゃん。」
「え、あれは……勘違いです。」
(俺もいるけど!)
いや、それよりも。
「あの…さあ、蒼井さん?」
「はい? なんでしょう?」
(「なんでしょう?」じゃないでしょ!)
大事なことを言い忘れてる!
「あの、そのひと、どうしたの?」
「え? そのひとって……?」
「ほら、今日の映画の。」
「ああ! 今回のスクーリングで同じ授業を取ってたひとで、なんだかよく話しかけてくるなあって思ってたんですよね。」
「そうなんだ?」
(いや、だから。)
俺が聞きたいのはその後のことで。
(う〜、宗屋め!)
そのニヤニヤ笑いはやめてほしい。俺が何を知りたいか分かっていて、わざと黙っているのだ。
「で?」
「……『で?』?」
「あの……、行くの? 映画。」
「やだ! 行きませんよ!」
「あ、あ、そう? そうなんだ?」
「だって、よく知らないひとですよ? いきなり二人で出かけるなんて無理です。」
「あ、そうだよね。よく知らないひとか。そうだね、うん。」
(さすが蒼井さんだ!)
スクーリングで一週間一緒でよく話しかけてきた相手でも、彼女にとっては「よく知らないひと」らしい。そういう部分は警戒心が働くのか、単なる人見知りなのか。まあ、どちらにしても良いことだ。
「うん、よく知らないひとには気を付けないとね。」
「はい。もちろんです。」
真面目にうなずく蒼井さんに、宗屋は面白がって「何日目から『知ってるひと』?」なんて尋ねた。でも、俺としては、蒼井さんに近付こうとする男はみんな、永久に「よく知らないひと」のままでいればいいと思う。




