表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
俺が真面目だとみんなは言うけれど  作者: 虹色
第六章 失敗からも学びます。
90/156

90 二日目の電話


「今日も特に変わったことは無かったよ。」


火曜日の夜の電話は九時より七分早かった。どうしても待ちきれなくて。


コール音を聞きながら、もしかしたら蒼井さんの準備ができていないとか、予定時間よりも早くて嫌がられてしまうとか、不幸なことを想像してしまった。けれど、聞こえてきた声はいつものとおり楽しげで、それだけで体が浮き上がるような喜びに包まれた。


電話の理由は昼間の仕事の様子を知らせることだ。でも、蒼井さんに知らせるほどのことなど何も無い。きのうも今日も、来庁者も電話もとても少ないのだ。世の中はお盆休みで、みんなどこかに行ってしまったらしい。電車もガラガラで通勤が楽だ。


「お客さんが少ないと仕事がはかどるね。こんなに違うとは思わなかった。」

『ああ、そうなんですよ。お盆と台風とか大雪の日はいいですよ。』

「台風とか大雪の日も?」

『はい。まあ、通勤は大変ですけど。電車が止まって出勤できないひともいるから、行けるひとは何がなんでも行かなくちゃならないんです。』

「ああ、それは覚悟がいるね。」


電話を引き延ばすため、話題はいくつか用意してある。


「明日から古森さんは北海道だよ。」

『そうでしたね。奥様のご実家でしたね。』

「入れ替わりで原さんが明日から出勤予定で。」

『原さんは高知県でしたっけ? あ、そう言えば。』

「ん?」


話題が広がって行くと嬉しくなる。彼女も俺と話すことを楽しんでくれていると実感できるから。


『わたしね、就職してすごく嬉しかったことがあるんです。』

「へえ、それは何?」

『あのね、各地の名物のお菓子が食べられること!』


彼女の口調に甘えた調子が混じる。それが俺の胸をくすぐる。


「お菓子?」

『はい!』


元気な返事。笑顔が見えるようだ。


『みなさんが旅行に行くとお土産を買ってきてくれるじゃないですか。夏休みとかお正月明けとかに、そういうのがたくさん来るんです。』

「ああ、なるほど。今日はクッキーがあったよ。」


この前、海に行ったときも、宗屋と前下さんも一緒に税務課用に買ってきたっけ。


『名物のお菓子って、どれも美味しいんですよね! わたし、あんまり旅行なんてしたことなくて、だからどれもめずらしくて、すごーく楽しみなんです。』

「そう聞くと、俺も楽しみになってきた。」

『いろいろ食べたんですよ! ゆべしとか、ういろうとか、ちんすこうとか、生八つ橋とか、笹だんごとか、あ、あと、ハワイのマカダミアナッツチョコ。』

「みんな、いろんなところに行くんだね。」

『そうなんですよ。よその課に仕事で行ったときにいただくこともあって。』


(ああ、そうか。)


きっと、蒼井さんはほかの課でもかわいがられているのだ。お菓子をもらって無邪気に喜ぶ姿が簡単に目に浮かぶ。


『って言うか、今、自分の記憶力にびっくりしてます。食べ物のことになると、こんなに覚えてるなんて。』

「美味しかったんだね、きっと。」

『はい! それに、花澤さんと東堂さんがそういうものに詳しいんですよ。たくさん教えてくれました。』

「ああ、なるほど。」


そういう思い出と結びついているから、強く記憶に残っているのか。


「そう言えば、蒼井さんはご実家には行かないの? たしか、ご両親は市内に住んでるんだよね?」

『あ、母と弟です。うち、父はいないので。』

「えっ?!」


(しまった!)


悪いことを訊いてしまった。しかも、あからさまに驚いてしまうなんて……。


『ああ……、その、離婚したんです。わたしが高校一年のとき。』

「あ、そ、そうだったんだ……。」


自分の配慮の足りなさが心底情けない。こんなに焦りまくっていることも。


「あの、ごめんね、あの、余計なこと訊いちゃって。俺。あの。」

『あ、いいえ。』


俺を落ち着かせるように、ふんわりとやさしい声がする。


『いいんです。驚かせてしまってすみません。家族のことはあんまり話さないから……、びっくりしましたよね?』

「あ、いや、それは、そんなことは。」


そっと深呼吸をした。いつまでも焦っていたら、それこそ本当に失礼だ!


「本当にごめん。俺、いつも余計なことを言っちゃうよね……。」


就職したいきさつを聞いたのも、川浜大師で厄年の話をしたからだった。あのときの蒼井さんの淋しげな表情は見るのもつらかった。お父さんのことだって、今まで言わなかったのは、話したくなかったからだろうに……。


『いいえ、いいんです、宇喜多さんなら。』

「でも……。」


今、蒼井さんはどんな顔をしているんだろう。俺の手の届かないところで。


『あんまり言いふらす話ではないですけど、絶対秘密っていうほどのものでもないので。』

「うん……、だけど……、ごめん。」

『大丈夫です。本当に。宇喜多さんにお話しするのはべつに構いませんから。』

「ん……そう? ……ありがとう。」


彼女の俺に対する信頼が深く心に沁みる。絶対に、絶対に、彼女を裏切らないと誓おう。


『いいえ。気にしないでください。』


明るい声を聞きながら、急いで次の話題を探す。彼女が楽しくなるような。


「あ、あのさ、スクーリングって土曜日までだったよね?」

『はい。土曜日に試験があっておしまいです。』

「じゃあ、そのあと、食事に行かない? 打ち上げってことで。」

『宇喜多さんとですか?』

「うん。学校まで迎えに行ってあげるよ。」


うん、そうだ。特別扱いしてあげて、美味しいものを食べて、楽しく過ごさせてあげよう。


『でも、土曜日はテニス部がありますよね?』

「学校は夕方までだよね? 練習が終わってから行けば、十分に間に合うよ。」

『でも、かもめ区からだと、大学があるのは宇喜多さんのお家と反対方向ですよ?』

「あはは、いいよ、そんなの。どうせ宗屋を送って行くんだから、方角的にはそっちの方に行くんだよ。そんなに遠くないはずだよ。」

『あ、そうなんですか?』

「うん。それとも、行きたくない? 何かほかに用事がある?」

『いいえ、何もありませんけど……。』


ああ、じれったい。どうして「うん」って言ってくれないんだろう。


「ねえ、蒼井さん。」

『はい?』

「俺ね、もしかしたら、蒼井さんの顔、忘れちゃうかも知れないよ?」

『え……?』

「だって、先週の土曜日から九日間も会わないんだよ? 来週、『誰だっけ?』ってなってもいい?」

『えぇ? あははは、嫌です、そんなのー。』


笑ってる。ってことは、俺のことを拒否してるわけじゃないんだな。


「じゃあ、行こうよ。……宗屋も誘ってもいいよ?」


少しだけ譲歩してみる。二人きりのドキドキ感は味わえないけれど、宗屋と三人でも楽しいことは間違いない。それに、月末には二人で出かける予定があるのだ。


『あ、三人でご飯? 久しぶりです!』

「うん。そう言えばそうだね。」


思い出してみると、この前の花火は三人で行くはずだったのだ。たまたま福祉課と一緒になったけれど。


『じゃあ、行きます!』


やっとオーケーしてくれた。


「うん、そうだよ。行こうね。食べたいもの考えておいてね。」

『はい!』


三人で楽しく過ごそう。それから宗屋を送り届けて……。


そのあとは蒼井さんと二人の時間だ。





名残惜しい気持ちを抑えて電話を切ってから気付いた。


(もしかして、俺、少しは進歩してる……?)


成り行きとは言え、ためらわずに蒼井さんを誘うことができた。今まではあれこれ考えて、なかなか言い出せなかったのに。


それに、簡単にあきらめずに誘いきった。最終的に「三人で」になったけれど。


(うん、確かに。)


酒の力も借りていない。誰かにお膳立てされたわけでもない。


まあ、電話だといくぶん積極的になれるのは気付いていたけれど。


(とは言え。)


悪いことを言ってしまった。


誰にでも両親がそろっていることが当たり前だと思っていた。そうじゃないひともたくさんいるのに。葵だってその一人だ。


なのに、そういう可能性に思い至らなかったから、「ご両親」なんて簡単に使ってしまった。そして、お父さんがいないことにあんなに驚いてしまったのだ。


(ああ……。)


俺はまだまだ未熟者だ。


新採用のとき、人権についてかなり厳しい研修があった。一方で、世間にはいろいろな差別の理由が語られていて、それによって苦しい思いをする人々がいるということも知っている。でも、俺は差別意識など持っていないと思っていた。


けれど、いつの間にか俺の中には「普通」という基準が出来上がっていて、「両親がそろっている」ことが「普通」だと思っていた。それでは「両親がそろっていない」人は「普通ではない」ということになってしまう。


普通かどうかで区別をすることは、やはり、差別につながっていくと思う。公務員として、それでは失格だ。そもそも「普通」の基準など決まっているわけではないのに。


そういう区別をするひとは少なくないだろう。蒼井さんがあの話を今まで話題にしなかったのは、それも一つの理由だと思う。


(しっかりしなくちゃ。)


彼女はお父さんがいないことを、俺になら知られても構わないと言ってくれた。それは、俺がそのことを知っても、彼女への評価が変わらないと信じてくれているからだ。もちろん、それは正しい。


(そう言えば……。)


彼女が進学できなかった貧しさは、そのことが原因なのだろうか。


(いや。もう彼女には関係ないことだ。)


今の彼女は新しい道を歩んでいる。職業を持ち、職場で信頼され、きちんとした生活を送っている。裕福ではないけれど、貧しさからは抜け出している。


大切なのは今と未来だ。どんな家庭で育ったかは問題ではない。


(そして、未来は。)


俺と幸せな家庭を築くのだ。


彼女のこれからの人生は、俺が必ず幸せにする。







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ