87 ◇ やっぱりみんなとは違う。 ◇
「ルウって就職だったの? 知らなかった。」
「葉空市役所ってすげえじゃん。うちのサークルの先輩、落ちたって。」
「うちのお姉ちゃんもだよ! 大都市だから倍率すごいんでしょ?」
「やっぱり優秀なんだなあ。」
(そうなのか……。)
「そんなことないよ、運が良かっただけ。」
みんなの反応に驚いた。採用状況については、あまり深く考えたことが無かったから。
でも、言われてみると、確かに優秀な大学を出ている職員は多い。もちろん、全員が、ではないけれど。ということは、高卒で入って良かったかも知れない。大卒の採用は厳しそうだから。
「ああ、あたしも考えれば良かったー。」
「そうだよね? 優秀な男性と知り合えるとか、すごくお得じゃない?」
「公務員なら安泰じゃん! いいなあ、蒼井!」
「あはは、まあ、確かにそうかもね。」
みんな気楽なものだ。良い点はもちろんあるけれど、嫌なこともいろいろあるのに。
それに、優秀な男性と知り合えても、わたしはそんな人と結婚できない。そういうひとにはわたしは釣り合わないから。そもそも結婚しなくても暮らしていけるから公務員になったのだし。
(やっぱり大学生とは違うんだなあ。)
<働く>ということに対して、考え方がわたしとまるっきり違う。それともこれは、個人としての違いなのかな。わたしが貧しい家庭で育ったからこんなふうに考えるの?
「じゃあ、家にお金入れてるってこと?」
「あ、ううん、今は一人暮らしなの。」
「え? 仕送り無しで?」
「あはは、そりゃあそうだよ。」
「おお、すげえ。」
「でも、お給料安いからギリギリだよ?」
もうそろそろ話題が逸れてくれるといいな。みんなと違うということが少し重くなってきた。
「へえ。ルウってもう自立してるんだー。すごーい。」
沙織の声が妙にくっきりと聞こえた。
「進学かと思ってたー。成績良かったよねぇ? どうしてー?」
(あ……。)
針で全身をつつかれたように感じた。
「うん…、家の都合で。」
短い言葉しか出てこない。平気な顔をするのが精一杯。
「ふうん。」
と彼女は興味無さそうに言った。それから視線を自分のきれいな爪に向ける。
「あたしなんか授業とサークルでバイトの時間も無くてー、自立なんて全然無理ー。」
「ああ、俺も。」
「俺なんか、バイトで単位落としそうになったよ。」
「だよねー。大学生って忙しいもんねー。」
沙織の態度に優越感を感じる。言外に言いたいことが見える。
「テストも無いんでしょ? うらやましい。」
「あ〜! 試験のことは言うな!」
「忘れたいよ〜!」
(わたしだって。)
言葉がのどまでこみ上げてくる。
(大学の勉強もやってる。試験だってあるよ。)
けれど。
そんなことで反論したって仕方ない。通信教育課程を馬鹿にされるかも知れないもの。そんな説明をしても時間の無駄だ。
「ねえねえ、みんな、二次会行く? カラオケの予定だけど。」
「おお、行く行く!」
「久しぶりに集まったんだもんね!」
「良かった〜! にぎやかにやろうね!」
沙織は満足したらしい。明るい笑顔が戻っている。みんなの注目を取り戻したから。
(なんて……子どもなんだろう。)
彼女に対する腹立たしさがおさまると、また少し気の毒になった。彼女にはその場の自分の周囲がすべてなのだ、と。それを失わないために、常に戦っている。
同時に、みんなと自分との距離も感じた。
(わたしはやっぱり違うんだ。)
また、胸のあたりに塊が生じた。それを紛らわすためにグラスに口を付ける。
(やっぱり来なければ良かった。)
サークルの話題で盛り上がるみんなの中で後悔した。
高卒で就職なんて悲しい。みんなと違うんだもの。知らなことがたくさんあるんだもの。
(宇喜多さんに会いたい。)
ただ一人、わたしの進学できなかった無念さを知っているひと。悲しい気持ちを受け止めてくれるひと。
せっかくお守りをもらったのに。一度はちゃんと勇気を出せたのに。
こんなにすぐに沈んでしまうなんて。
帰ってからメールしてもいいかな。それともそれは甘え過ぎ……?
「ルウ、ごめん。」
お開きになったとき、鈴穂が小声で言った。
「一人にしちゃったよね? ホントにごめん。」
「仕方ないよ。気にしないで。」
思わずクスリと笑いがもれた。
鈴穂は途中で席を立ち、そのあいだに、そこにほかの女子が座ってしまったのだ。砂川くんの前だったから、それも仕方がない。そこで、鈴穂は空いている席に行ったのだけれど、今度は砂川くんが、自分と鈴穂のグラスを持ってそちらに行ってしまった。隣に沙織がいたにもかかわらず。
そのときの砂川くんのさり気なくあわてた様子は意外だったし、かわいらしくもあった。わたしとしては、鈴穂がそれほど気に掛けてもらっていることが嬉しかった。
そして……、それに気付いたときの沙織の一瞬の表情に、少しばかり意地の悪い満足感を覚えてしまった。
だから、鈴穂がわたしにあやまる必要など無い。
「それより鈴穂、二次会はいいの?」
「砂川くんは行くんでしょ?」という意味を鈴穂はちゃんと理解して、小さな声で「今日はもう十分に話したから」と答えた。
「それにね、まあ……、来週会う約束した。」
「あ、そうなんだ?」
「うーん……、家、わりと近いし。」
「ああ……、そうだね……。」
思いがけず速い展開に面食らった。もしかしたら、砂川くんはこれが目的で参加したのかも。彼なら、幹事さんたちから参加者の情報を聞き出すのは難しいことではないだろうから。
「二次会行く人は〜?」
幹事さんの掛け声にみんなが集まる。帰るグループはその輪の外側でおしゃべり。最後の解散を待ちながら。
「蒼井。」
「ん、はいっ!」
習慣で出た元気な返事。反射的に振り向くと――。
(か、樫森くん?!)
驚き過ぎて声が出なかった。息を吸い込んだまま、両手で口をおおった。
(樫森くん?! だよね?!)
隣の鈴穂も「樫森くん」と呼んで言葉を交わしてる。間違いなく樫森くんだ。すらりと背の高い体とあごのとがった小さな顔。まっすぐな視線と人懐こい笑顔。
「もしかしたら会えるかなって思ってたんだ。元気?」
コクコクと急いでうなずく。
(おんなじだ……。)
よく通る、明るい声。一年以上、聞いていなかった声。あのころ、いつもわたしの耳が追いかけていた声。
「ええと、あの、どうして……?」
何か言わなくちゃ、とあせって、あいまいな質問をする。その間に次々と記憶がよみがえる。授業中。休み時間。体育祭。そして……合唱祭。何度も盗み見た笑顔。せつない想い。
忘れたと思っていたのに、本人を前にしたら、嬉しさと苦しさがあのころのまま戻ってきた。
「あーっ、修二! ちょうどピッタリー!」
答えを聞く前に、沙織が駆け寄った。
「二次会参加者は十五人だよ。みんな、修二も大歓迎だって!」
沙織はそこで振り向いて、まるで初めてわたしに気付いたような顔をした。それから、まるで見せつけるようににっこり笑った。
「あ、ルウ、『なんで?』って思ってるでしょ。」
(え?)
「同じクラスじゃなかったのにーって思ってるでしょ。」
「え……、そんなこと、無いよ。」
どうしてそんな言い方するんだろう。まるでわたしが意地悪みたいに。
そんなにわたしが嫌いなの? それとも、男の子を独占したい?
「五組はあんまり仲良くなかったんだって。うらやましいって言うから、『来れば?』って言ってあげたんだ。ねー?」
「ああ……、まあ、そうなんだ。図々しいかと思ったけど。」
沙織の嬉々とした説明に、樫森くんが申し訳なさそうに微笑んだ。
「あたしたち、予備校で一緒だったんだー。今でも連絡取り合ってるんだよー。」
「そうなんだ? いいんじゃない? カラオケ楽しんでね。」
明るい声と笑顔で返してあげた。樫森くんが遠慮を感じずに済むように。浪人していたことすら知らなかったわたしは、樫森くんとはもう遠く離れているのだ。
沙織の「予備校」という言葉も胸の中で大きなしこりになった。二人の仲の良さも。笑顔に感情が混じらないようにするのは仕事の上でお手のものだけど、今はそれが悲しい。
沙織に二次会グループへと誘導されながら、樫森くんが振り返った。それに小さく頭を下げる。「さよなら」と「声を掛けてくれてありがとう」の意味を込めて。顔を上げたときには、樫森くんは集団の中に消えていた。
ようやく解散になったときは心からほっとした。
JRで帰る鈴穂と別れるときは、何度も何度も「また会おうね」「連絡するね」と約束した。西川線組は各停で帰るのはわたしだけで、改札口を入ったところでサヨナラした。
出発待ちの電車に座ったら一気に力が抜けた。そしてすぐに、今日の景色がよみがえってきた。
(もう……行かなくていいよね?)
全部が嫌だったわけじゃない。でも……。
みんなとの違いを感じると悲しくなる。特に沙織と樫森くんのことを思い出すと、何とも言えない気持ちになる。世の中には沙織みたいに、自分の希望するものを当然のように手に入れているひとがいるのだ。
こんな思いをしてまで参加する必要などないはずだ。鈴穂の願いは今回で十分すぎるほどに叶ったのだし。
(やっぱり宇喜多さんに連絡だけしよう。)
まるですがりつくような気持ちで思った。
心配してお守りまでくれたんだもの、終了の報告くらいはしてもいいはずだ。
(「してもいい」じゃないかも。)
した方がいい、いや、しなくちゃいけないんじゃないかな。もしかしたら、今も心配してくれてるかも知れないもの。
(あ、でも……。)
大学生のときに大企業からたくさんお誘いがあったって言ってた。やっぱり普通ならわたしとは違う世界のひとなんだ。
(どうしようかな……。)
馴れ馴れしくしたらいけないんじゃないかな。やさしくしてもらえても、調子に乗って甘えたりしちゃいけない。
「ふぅ……。」
思わずため息が出た。
(なんだか一人ぼっちな気がする……。)
結局、わたしが頼れるのは自分だけ……なんだよね。




