86 ◇ 勇気を出して。 ◇
「あっ、こら、つついちゃダメだって!」
聞こえた声に、あわててヘラを置いた。声の主をそっと窺うと、「まったく、子どもみたいだなあ」と笑いながらわたしが置いたヘラを手に取った。鉄板の上には三つのお好み焼きが並んでいる。
「どんな感じかと思って……。」
弁解の声が小さくなる。篭目くんは気を悪くした様子もなく、楽しそうに焼け具合を確認している。大学の先輩から美味しい焼き方を伝授されたからと、今日は焼く仕事を一手に引き受けてくれているのだ。
だからお任せしておけば良いのだと分かっている。でも、何かをしていないと落ち着かない。
「蒼井さん、けっこう食いしん坊だね。」
「あ! 俺もさっきから思ってた! ずっと箸持ってるよね?」
(うわ、見られてた?)
篭目くんたちと話しに来た坂神くんと美田くん。三人で話していたから、わたしのことは目に入っていないと思ったのに。
「俺の腕前が良いからに決まってるだろ?」
篭目くんの自慢にみんなが笑う。
それは真実で、焼いてもらったお好み焼き第一グループは、すぐになくなってしまった。さらにわたしは置いてあったサラダはほぼ一人で食べつくしてしまった。砂川くんが鈴穂をほぼ独り占めていて、手持ち無沙汰の時間が長いから。
「ええと、食べますか?」
篭目くんが取り分けてくれたばかりのお好み焼きを坂神くんたちに差し出してみる。
「え〜、いいよ〜。俺たちこいつのもらうから。」
「そうだ! あっちで余ってるの持ってきて篭目に焼いてもらおうぜ!」
「お、そうだな! なあなあ、篭目、いい?」
「いいぜ〜。いっくらでも持って来い!」
…などというやり取りがあり、しばらくして気付いたら後ろの女子も含めてたくさん人がいて、かなり賑やかな一角になっていた。
「うちの大学、広くてさあ、何度か迷子になったよ。」
「うん、うちも! 今でも行ったことがない場所もあるし!」
「馬術部があってさあ、ときどき馬が校内を歩いてるんだよ。」
「うちの学校、男子のメガネ率がすごいんだ。」
「忍者サークルの人たちが物陰に隠れてたりするんだよ。いきなり出くわすとびっくりするぜ!」
(ふうん。)
大学の話って、いろいろあって面白い。聞いているだけでとても楽しい。みんなが話してくれるから、わたしが話す必要も無いし。こうなってしまえば職場の宴会と同じだ。
(それに、お好み焼きは美味しいし♪)
お皿に乗せてもらったばかりの一切れをながめて嬉しくなる。ふんわりと厚みのある生地に切り口に見えるキャベツの薄緑色がきれい。篭目くんは本当に上手だ。
一口分を取り、ふうふうとしっかり冷ます。それからパクリ。
「でっけえ口。」
(え。)
思わず手で口元を覆った。目を上げると、篭目くんたちがニヤニヤしていた。
「そんなふうに食べてくれると、作り甲斐があるなあ。」
「あんまりうまそうに食うからじっくり見ちゃったよ。」
「そうそう。見てるとなんだか楽しいよな?」
「どう? 美味しい?」
「は、はい。おいひいでふ。」
急いで飲み込もうとしたらまだ熱い。グラスに手を伸ばすと誰かが素早く取って渡してくれた。
「ルウって、もっとオトナっぽい雰囲気あったけど。」
隣に来ていた女の子が言うと、周囲がうなずいた。
「だよな。高校のときはもっとこう、近寄り難い感じでさ。」
「なんか違うよねぇ? 逆に子どもっぽいって言うか。」
「そう! 楽しそうににこにこしててね。」
(そうか……。)
職場では一番年下で、いつも子どもあつかいされている。それに、花澤さんに、気持ちを素直に表すことを教わった。緊張が緩んだときにそういう部分が出ているのかも知れない。
「わたしだけ成長が止まってるのかも。」
少しふざけて言ってみる。職場では冗談もずいぶん言ってるけど、クラスの男の子がいる場所でこんなふうに話すのは初めてだ。
「ああ、それで俺たちが追い越した?」
「俺、あのころの蒼井さんよりオトナ?」
「いや、アンタはたぶん、小学生で止まってる。」
そんなやり取りがあって、一緒にはじけるように笑った。きちんと会話が輪になって、かなり満足。
「お邪魔してもいいかな?」
明るい声がして沙織が現れた。みんなから歓迎の声が上がり、沙織は篭目くんと砂川くんの間にちょこんと座った。
「何飲む?」
「あ、ほら、座布団。」
「これ、篭目が焼いたやつ。うまいから食ってみ?」
あっという間に周囲の注目を集めた。やっぱり存在感が違う。
あれこれ世話を焼かれて、沙織が笑顔で応える。間近に見ても美人でかわいらしくて、男の子たちが親切にしたくなる気持ちはよく分かる。
(でも、杏奈さんの方が好きだな。)
ぽん、と思った。
見た目はどちらが上ということは無い。きれいなものはきれいだ。ただ、それぞれ雰囲気が違う。
杏奈さんにはすっきりした潔さのようなものがある。芯が通っていると言うか、自分を持っていると言うか。でも、沙織は……男の子の目を気にしている。自分がどう見えているのか了解している、というような印象がある。
高校生のときは気付かなかった。華やかな沙織とそのグループをうらやましいと思っていた。けれど今は……少し気の毒な気がしてしまう。
……などと考えていたら、目が合った。
「幹事さん、ご苦労さま。今日はどうもありがとう。」
自然な笑顔で言えた。以前だったら、沙織の前ではもっとおどおどしていたと思うけど。
「ううん、こういうの好きだからー。全然平気だよー。」
内巻きのカールを揺らして沙織が微笑む。まわりからも「ご苦労さま」「ありがとう」と言葉がかかる。それにも可愛く微笑んで応えて。
「それよりさあ、ルウ、聞いたよ? 彼氏できたんでしょ?」
「え〜っ、そうなの?!」
「どんなひと?!」
周囲が一斉に騒がしくなった。質問も飛んでくる。
(ああ、それでか。)
唐突に納得した。
彼女は悔しかったんだ。
人気者の篭目くんと砂川くんが自分から離れた場所にいて、そこにみんなが集まって盛り上がっていたから。そして来てみたら、ちょうどわたしが男の子とも楽しそうにしていた。だから、自分に注目が集まった瞬間を狙って、この話を持ち出したのだ。
「それ、鈴穂から聞いたよ。咲田くんか成山くんからの情報でしょ? 誤解だよ。勘違い。」
「え〜? でも、一緒に海に行ったんでしょ?」
「だけど、みんなでだよ? 咲田くんたちに会ったときに、たまたまそのひとが一緒にいただけで。」
「そうなの? だけど、すごーく大事にされてるって言ってたよ? 話してたら怒られたって。」
(食い下がるなあ。)
わたしなんかのことで、そんなにムキにならなくてもいいのに。
「あはは、そんなこと無いよ。咲田くんたちがちょっと……まあ、雰囲気がね。ナンパと間違えて少し厳しく追い払ってくれたんだよ。」
「あ、咲田と成山ね! あの二人、マジでめっちゃチャラいぜ!」
「あ〜、あたしも会ったよ〜。わかる〜!」
周囲が納得し始めたところに、沙織の声が突き抜けて聞こえた。
「え〜、そうなの? でも、S大のOBなんでしょ? スポーツマンだし、大手企業の誘いがたくさん来た人だって聞いたよ? 仲良くしてるなら付き合っちゃえばいいじゃん?」
(大手企業からたくさん……?)
キン……、と胸に鋭い痛みが走った。
そんなこと知らなかった。そんなひとを好きになっていたなんて。そんなひとと簡単に「付き合っちゃえば」なんて。
すぐには言い返せないわたしの後ろで、女の子たちが騒ぎ出す。
「S大のOBなの? すごい!」
「大手企業なんてエリートじゃん!」
「スポーツマンでエリートと仲が良いなんてうらやましい!」
「ねえ、どこで知り合ったの? ルウってS大だっけ?」
(あ……。)
不意に来た。一番嫌な質問が。
「ああ、あの、……同じ職場なの。」
ウソはつけない。あとでボロが出るともっと困る。
「同じ職場って、バイト? バイト先で知り合ったの?」
沙織の質問がまた胸に刺さる。
「いいなあ、そんなバイト。」
「うんうん。どこ?」
敗北感を味わいながら、答えるために視線を上げる。その瞬間。
じくじくしていた胸に不思議な衝撃を感じた。
(宇喜多さん。)
すぐそばで宇喜多さんがうなずいたような気がした。小さな巾着に入っている小石を思い出す。
「違うよ。」
答えながら笑顔になれた。
「葉空市役所だよ。わたし、卒業したあと就職したから。そこの同じ職場に、今年、そのひとが来たの。」
気付いたら、顔を真っ直ぐ上げて胸を張っていた。
あんなに知られたくないと思っていた。でも、わたしは正々堂々と獲得した仕事をきちんとこなしている。職場の先輩たちにもちゃんと認められている。
(宇喜多さん、ちゃんと言えました!)
感心のざわめきの中で宇喜多さんに感謝した。いつも励ましてくれたことばが、今、わたしを支えてくれている。
そう。高卒で就職したことは恥ずかしいことなんかじゃない。誰にも恥じるようなことはしていないのだから。小さいけれど、世の中のためにちゃんと役に立っているのだから。
(そうですよね、宇喜多さん!)
もう一話、春希が続きます。




