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俺が真面目だとみんなは言うけれど  作者: 虹色
第六章 失敗からも学びます。
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82 悩む、悩む、悩む


「ふ、わ、あ……。」


梅谷駅から出ながら、蒼井さんがまたあくびをしている。本当に眠そうだ。


「危ないからゆっくり歩こうね。」

「ふぁい……。」


もちろん、主たる目的は一緒にいられる時間を引き延ばすことだけれど。


(どうしよう? 手をつないでもいいかな?)


危険を口実にすることはできそうだ。でも……。


「は……ふ……。」


手で口元を隠すしぐさもどこか幼い。その小さめの手を握ることを思って、胸のあたりがむずむずする。


「すみません。どうしてもあくびが止まらなくて……。」

「あはは、脳に酸素が足りてないんだね、きっと。」

「ごはん食べたから……?」

「そんなふうに言うよね。」


(ああ……、言えない!)


口に出せなければ行動で、という踏ん切りもつかない。もっと酒を飲んでおけば――。


(いや、違う。)


アルコールの力を借りないと何もできないなんて、男として情けないじゃないか。ここはしっかり自分の意志で!


(えええ〜〜〜〜い! ……また今度。)


うん。そういうことだ。今日のところは。


「花火の話……。」


がっくりしていた耳にポツリと聞こえた蒼井さんの声。


「ん?」

「花火の話、しませんね。花火を見たら、花火の話をするのかと思ったんですけど、ふあ……。」

「ああ、ホントだ。そうだったね。」


(ああ、もったいない……。)


自分からあきらめたくせに、やっぱり蒼井さんにさわりたい。彼女の方からすり寄ってくれないかな……なんて期待するのは都合が良すぎるよな……。


「どうだった? 初めての花火見物は。」


ポーカーフェイスを崩さないように尋ねると、蒼井さんは首をかしげて少し考えた。それから。


「大きくて……迫力がありました。見上げてると吸い込まれそうな気がして……」


そこでふっと眉を寄せた。


「……暑かったです。」

「ああ、確かに。あははは。」


こんな感想もかわいらしい。思い出してみると、俺もずっと「暑いなあ」と思っていた。


「人がいっぱいで風が通らないし、この時間になってもまだ蒸し暑いもんね。」


(ん? あれ?)


もう一つのチャンス到来か?


花火大会再挑戦という名目で、夜のお出かけに誘えるのでは? 彼女は眠くてぼんやりしているし!


(うん、そうだ。)


これなら理屈でどうにかできそうだ。理屈なら俺の得意分野じゃないか!


「うーん、なんだか少し残念だね。」


さり気ない笑顔を作り、下心は断固として心の壁の後ろに押し込んで。


「せっかくの花火なのにゆっくり楽しめなかった気がするよね。仕事が終わってから大急ぎだったし、こんな荷物も持ってるし。」


言いながら通勤カバンを持ち上げてみせる。


(よしよし、その調子。)


「ふあい。」


蒼井さんは返事をしながら何度もうなずいた。


「でも、みんなと一緒で楽しかったです。」


(あ。)


続きが言えなくなった。


俺のシナリオでは「もの足りなかった」から「再挑戦」だったのに。しかも、「みんなと一緒で」楽しかったと言われたら、「二人で」とは言いにくいじゃないか!


「うん、そうだね。」


(ああ!)


自分で話を終わらせてしまった。どうしてここで強引になり切れないんだ!


「でも、やっぱり疲れました。今週はあと二日も残ってるんですよね……。」


(え? え?)


それは「疲れたからさっさと帰って寝たい」という意思表示?


「そうだね……。」

「来週はスクーリングだし……。なんだかとても忙しい気がします。」

「ああ……、そうだよね。」


蒼井さんが在籍している丸里大学の通信教育のスクーリング。それに出席するために、彼女は来週一週間、夏休みを取る。最初は仕事を気にして水曜日あたりに出勤すると言っていたけれど、先輩たちに説得されて、通しで休むことにしたのだ。


「さびしいなあ……。」


(しまった!)


がっかりし過ぎて思わず本音が!


(恥ずかしい!)


顔がカーッと熱くなる。夜の闇が心底有り難い。


聞こえなかったことを期待したけれど、彼女は少し後ろで固まっていた。驚いた顔ような、困ったような顔をしているということは、きっと聞こえてしまったのだ。


「ええと、ほら、蒼井さんが一週間もいないのは初めてだから、なんだか心細くて。まだ仕事も半人前だし。」


慌てて弁解しながら、額に汗が噴き出してくる。彼女はすうっと下を向いてしまった。


「原さんも月火は休むって言ってたし。」

「ええ。」

「後半は古森さんもね?」

「ええ。」

「職場がスカスカになるよね。」

「ええ。」


彼女はどう受け取ったのだろう。俺の態度を不審に思っているのだろうか。「さびしい」の意味に気付いてしまっただろうか。


「……やっぱり、途中で一回、出勤しようかな……。」

「えっ、どうして? 大丈夫って言ってたのに。」

「でも、急ぎのものが来るかも知れないし……。」


(俺のせい?)


職場が手薄になるようなことを言ったから。せっかく先輩たちが説得したのに。そういう意味で言ったのではなかったのに。


心配しないで大学に行くように言わなくちゃ……と思ったら、彼女と目が合った。その瞬間、唇まで届いていた「大丈夫だよ」という言葉が霧のように消え失せた。だって、彼女の表情が何かを訴えているようで――。


「あの……、電話、するよ。」


代わりにこぼれたのは、とても単純な言葉。単純で、簡単で……正直な。


「電話……ですか?」


彼女はまた驚いた様子で問いかけた。


「うん。毎晩。」

「毎晩……?」

「うん。」


(蒼井さんの声を聞きたいから。蒼井さんに俺のことを思い出してほしいから。)


彼女は意識をはっきりさせるように、目をパチパチした。それからにっこりと微笑んだ。


「仕事の様子を教えてくれるってことですね? ありがとうございます。」

「あ……。」


そうじゃない。蒼井さんと会えないことが淋しいんだ。蒼井さんと話したいんだ。


でも……。


「うん。だから心配しないで、大学生気分を十分に味わっておいでよ。当然、勉強の苦しみも。」


(ああ! 俺はなんて馬鹿なんだ!)


本当に言いたいのはこんなことじゃない。これじゃあ本当に、ただの仲良しの先輩じゃないか!


「はい。」


(ああ……。)


どうして俺はこんなに愚図なんだろう……。


仕方なく歩き出すと、蒼井さんはちゃんと並んでついてきてくれた。まあ、俺が蒼井さんを安心させたのだと思えば少しは慰められ――。


「……どうしたの?」


憂うつそうな表情で深々とため息をついているなんて。


「その前に……」


そこでまた小さくため息をついた。


「クラス会があるんです。」

「クラス会?」

「はい。今週の土曜日。行きたくないけど断れなくて……。」


ため息がもう一つ。


「会いたくない人がいるの?」

「そういうわけじゃないんですけど……。」


そのまま待っていると、彼女が続けた。


「わたし……大学生じゃないから。」

「あ、そうか。」


きっと九重高校のクラス会なのだ。だとすると、ほぼ全員が大学生だと思って間違いないだろう。


「あ、でもでも!」


蒼井さんが俺を押し留めるように両手をかざした。


「あの、普段はもう平気なんですよ? そんなこと忘れてますから。ただ……ちょっと。」

「ときどきは思い出しちゃうよね、どうしても。」


俺の言葉に彼女は唇をきゅっと結び、ため息をもう一つついてからうなずいた。


(そうだよな……。)


さっきだって白瀬さんに就職のことを言われて嫌な気持ちになったはずだ。表情には出さなかったけれど、受け答えがためらい気味だった。だから急いで話に割り込んだのだ。


(理屈じゃないんだよな……。)


頭では理解していても、心がどう感じるかは別だ。気持ちを整理するためにいろいろな理屈を並べても、簡単にあきらめきれないことはいくらでもある。


(何かできないかなあ。)


彼女の気持ちが軽くなるようなもの。


(おまじない、とか?)


「おまじないだよ」なんて言って、手を握ってあげたり、抱きしめてあげたり、おでこにキスとか――。


(いや、無理だし!)


そんな気障なこと、素面でできるわけが無い! しかも何なんだこれ? 自分が嬉しいだけじゃないか!


(なんて不謹慎な!)


「あの……?」


(あ。)


もう蒼井さんのアパートの前だ。階段の手前で、問いかけるように俺を見上げている。


「あ、玄関まで送るよ。」


(なんと!)


こんなにすんなりと言えるなんて! 俺も進歩してるのか?


(じゃなくて。)


蒼井さんを元気にするもの、だ。


(何か無いかな……。)


玄関まであと何歩?







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